Ⅴ Sさんとの出会い

 それからの半月は思い出そうとすると心拍数が上がり息苦しさを感じるほど苦しいものだった。完全にりつかれ一日中彼女の存在が近くに感じられた。四六時中感じる両肩への重みや息苦しさ。他の人には見えていないが彼女は日中でも会社の私の席の後ろや前に現れたり消えたりした。家に帰ると彼女は〝私の何がいけなかったの?〟と一方的に何度も話しかけてきた。また姿が見えなくなるとラップ音というのだろうか、〝パキッ〟という異音がどこからか聞こえてきた。当然熟睡することなんて出来ない。やっと眠れたと思っても夢の中にまで彼女は現れ、その度に僕は布団から飛び起きた。成す術が無いまま食欲も無くなり僕は〝あぁ、僕はこのままり殺されるのかな…〟などと考えるようになっていた。そんな時、急に救いは現れた。


 その日も体調が悪かったが、僕は会社に向かっていた。後ろには例の女性の霊がいてきていた。すると車道を走っていた車が急に僕の真横で急停車した。運転席からお坊さんなのか袈裟を来た中年の男性が降りて来た。それがSさんとの出会いだった。

 Sさんは僕の前に立塞たちふさがるとお経を唱え始めた。すると女性の霊が悲鳴を上げながらSさんに襲い掛かろうとした。しかし目には見えない防壁ぼうへきでもあるかのように霊はSさんに近付けなかった。すると霊は振り向いて僕に向かって来ようとした。その時Sさんの唱えるお経の抑揚が変わった。霊の前進が停まった、激しく抵抗はしているようだが動けない。その時だった〝えいっ〟と裂帛れっぱくの気合を込めると女性の霊は霧散した。

 事態が飲み込めずポカンとしているとSさんから車に乗るようかされ、僕は指示に従って車に乗った。Sさんはある檀家の法事に行く途中で時間がないという事だった。車中で僕は二つの指示をもらった。一つはSさんから『護符』を渡されたのだがそれを今日1日、肌身離さず持っている事。もう一つは会社が終わったら今しがた二人が出会った場所で待つようにというものだった。それだけ伝えるとSさんは私を駅の近くで下ろし去っていった。先程まで感じていた女性の霊の気配はすっかり消えていた。


 夜、仕事を終えてSさん指定の場所まで行くと程なくSさんの車がやって来た。窓が下げられ顔がのぞき、助手席に乗るよう手招きされた。僕は遠慮がちに助手席に乗り込み今朝のお礼を言おうとしたが、それを遮りSさんは家まで案内するようかした。私は簡単な道順を説明した。

 アパートに着くと、Sさんはふところから何枚かの護符を取り出し、僕の部屋の入り口のドアや窓などに貼って回った。それから持っていたカバンの中から香炉こうろと線香を取り出した。それで準備が整ったのかSさんからあの女性の霊にりつかれた理由に覚えがあるか等いくつかの質問を受けた。僕はSさんに正直にすべてを話した。一通り聞き終えるとSさんは〝自分以外に日常的に霊が見えるヤツと初めて会った〟と言ったあと感慨深げに〝大変だったろう〟と呟いた。助けてもらった時から感じていたがSさんも霊が見えるのだろう。僕もこの世に同じ境遇の人がいるという事実に驚いていた。しかしSさんは直ぐに気を引き締めた顔に戻ると、これから行わんとする事の説明を始めた。Sさん曰く、これから焚くお香は霊を呼びよせる効果があり、あの女性の霊を今一度この部屋に招き入れ、結界で閉じ込めた上で説得して成仏させるという事だった。

 除霊の為の準備が始まった。お香が焚かれるとすぐに異変は現れた。例のラップ音と女性の〝どうして?〟という声が聞えて来た。するとSさんから厳重に結界を張った仕切られた空間、それはトイレなのだが、そこに移動するよう指示し、僕はそこに身を隠した。

 

 トイレに籠っている僕には、それから先部屋の中で起こった事は音でしか感じる事はできなかった。まず部屋の中に例の女性の霊の気配が膨れ上がるのを感じた。Sさんはその霊に時に優しく語りかけ、話を聞き、時に厳しく諭した。霊とのせめぎあいは二時間近くに及んだと思う。Sさんがお経を唱え始めると女性の声がトイレのドアのすぐ向こうから聞えて来た。〝ごめんなさい〟〝ありがとう〟僕はトイレの中に彼女が入って来るのではないかと後退あとずさった。しかし彼女が入って来る事はなく、逆に彼女の気配は徐々に消えていった。Sさんのお経が穏やかにそしてゆっくりとした調子に変化し、やがて止まった。

 トイレのドアを開けて居間に移動すると、そこには憔悴したSさんが座っていた。〝彼女は昇天したよ。もう君を悩ますことはない〟とだけ言うとSさんはその場で気を失った。


 その後、Sさんの言った通り僕は霊に悩まされることは無かった。それからというもの同じ霊が見える者として僕とSさんは時々連絡を取り合う仲となった。

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