72 魔法使いの家

◆登場人物紹介(既出のみ)

・リリアン…主人公。前世の記憶を持つ、黒毛の狼獣人の少女。転生前は前・魔王討伐隊、『英雄』のアシュリー(アッシュ)。完全獣化で黒狼の姿に、神秘魔法で大黒狼の姿などになれる。

・シアン…前・魔王討伐隊の一人。アシュリーとは討伐隊になる前からの付き合いがあり、ずっと彼女に想いを寄せていた。

・サム…前・魔王討伐隊の一人でエルフの魔法使い。15年前の討伐隊の任務の後、教会を抜けて行方をくらましており、2か月程前に何かがあったらしい。


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 高みから行く先を見降ろす場所で、足が止まった。


 あれ、なのだろう。

 大きな柱のかたわらにある、焼けて黒焦げになった小さな小屋。壁を作っていたはずのレンガもそのほとんどが崩れ落ちてしまっている。

 よく見れば大きな柱だと思えたものも、小屋同様に焼け焦げて枝葉の落ちた木の幹だった。

 ごくりと、シアさんが息を飲み込む音が人狼の私の耳に届いた。人間ならば気付かないほどの小さな音だったろう。


 惨い…… ここで何が起こったかなど、考えたくも無い。でも目に映ったその光景は、しんしんと心に重い闇を沈めていく。


「丸焼けじゃねえか、ひでえな」

 シアさんが、つらそうな声でぽそりと呟いた。



 下草よりも岩が多い下り道を、転ばぬよう足元を見ながら進む。

「大丈夫か? リリアン」

 そう言って、シアさんは私に手を差し伸べる。その手を取ると、彼は私に向けてそっと笑った。


 あの光景はシアさんには酷だったろう。きっと傷ついている。それなのに彼はそれを押して私の事を気遣って、笑ってみせてくれている。そう思うと、彼の優しい笑顔に応える事はできなかった。



 入口の扉は残ってはいたが、壁が崩れているこの家では全くその存在意義を成してはいなかった。扉の横に空いた大穴からシアさんが中を覗き込む。そのまま家に入る彼の、その後に続いた。


 家の中も殆どが焼けてしまっている。ぱきりと、革靴の下で何かが折れた音がした。


 おそらくここには、最低限の生活道具しか揃えられていなかったのだろう。

 小さなキッチンにわずかな調理器具、腰の高さの丸テーブルに向かい合わせに据えられた椅子、一人がけのソファー、木枠のベッド。それらだった物たちは、ただの焼け焦げた残骸に姿を変えていた。


「これといった物は、何にも残っていなさそうだな……」

 この家に入って、初めてシアさんが口を開いた。



 手分けをして家の中を探ったが、やはり何も見つからなかった。

「なあ、リリアン」

「なんでしょうか?」

「ちょっとコレを取るけど、怖がらないでくれないか」

 そう言って、右目を隠す眼帯に手を当てた。

「何かあるんですか?」

「んー、この眼でみるとな、普通じゃ見えないもんが見えたりするんだ。でも見た目が気持ち良いもんじゃないからな」

 彼が眼帯を外すと、僅かに感じていた龍の匂いが強くなった。その下から現れた縦に切れ目の入ったような瞳に見覚えがあった。


古龍エンシェントドラゴン、ですね」

「……知っているんだな」


 つい口に出してしまったが、シアさんはその事を気にする様子もなく、すぐにきょろきょろと何かを探し始めた。


「ここだな」

 歩き回ってたシアさんが、壁の前で足を止めた。足元の崩れたレンガを幾つか除くと、その下にあった一枚板に手をかける。

「よっ」

 重そうな厚い木の板を片手で軽々と持ち上げると、すぐその下に階段があった。



 勾配の急な階段を降りていくと、降りた場所は小さな地下室になっていた。いや、地下室というより貯蔵庫だろうか? ライトの魔法で照らされた広くはない部屋の中の、全ての壁は棚で埋め尽くされている。でもその棚も全てが空になっていた。


「ここは焼けてはいませんね」

 きっと蓋になっていた分厚い板が、地下室までの延焼を防いだのだろう。

「でも、ここにも何にもねえな」

 シアさんが言う通りだ。地下への階段を見つけた事で何かが見つけられると期待したのに……


「サムは……本当に死んじまったのかな…… いったい何があったんだろうな」

 はあと、シアさんが大きなため息をつくのが聞こえた。

「以前……ここに来たのはもう15年近く前の事だったが…… その時にはこの家の中にすら入れてもらえなかったよ。でもサムは確かにここに居たんだ。あれからもずっとここに居たのか、それはわからねえ…… 来てみりゃあ良かったんだけどな。一度拒絶された事で、もう会いに来ない方がいいんじゃないかと思い込んでいたよ。俺がバカだったな……」

 そう自嘲するように言うと、目を伏せた。


 もう、堪らなかった……

「……ごめんなさい」

「うん? どうしたんだ?」

 不意に理由もわからずに謝られれば、戸惑うのは当然だろう。

「ここには私一人で来れば良かったです」

「どういう意味だ?」

「私に付き合わせる事で、貴方にも…… 嫌な思いをさせてしまいました。ごめんなさい……」


「ああ…… 俺も確認したかったから、いいんだよ。俺も来たくて一緒に来たんだ」

 相変わらずだな、と、ため息と一緒にこぼれた言葉が耳に届いた。


「でも…… シアさんが、ずっと私に泣きそうな顔で笑ってるんです」

 それを聞くと、また困った様に優しく笑ってみせる。そんな彼の頬に、つい手を当てた。


 シアさんはほんの少しだけ、意表をつかれたように目を開き、でもすぐに元の優しい顔に戻った。

「やっぱり、リリアンは優しいよな」

 そんな風に言う、彼の方が優しいのに。


「俺さ、また後悔しているんだ。サムにもっと会いに来ればよかったって。バカだよなあ。そのうちにって思っていると、いつその時を失うかわからねえ。そんな事はわかっていたはずなのにさ」

 私の事を見下ろしながら、また大きく息を吐く。


「俺らはさ、家族だったんだよな。仲間なんだけど、仲間ってよりも信頼しあってて。それをアッシュが家族みたいって言ったんだ。でもこうやって皆バラバラになっちまってさ。知らない間に居なくなっちまってさ。昔の、あの時の思い出は残ってるのにな」


 そう言って、彼は私のもう片方の手をとって自分の頬に当てた。

「リリアンの手、あったけえな」

 彼の頬に当てた私の両の掌を、彼の掌が包み込む。


「俺、アッシュの事信用してたし、信頼していた。多分あいつも俺の事信頼してくれていたんだと思う。だからこそ、一人で何か抱えたりしないで、何でも打ち明けてほしかったし、頼りにもしてほしかった」


 不意打ちに、心が弾けた。こんな時に、過去の自分の話を聞くなんて……


「なあ、リリアン。俺、今でもそう思ってる」

 ……え……?


「こないださ、俺の事信頼してくれているって言ってくれて、俺嬉しかったよ。でもさ、信頼してくれるのならちゃんと俺を頼ってくれないか? また一人で抱えないで、打ち明けてくれないか?」


「……シア……さん?」


「ほら、俺の事シアって呼ぶだろう? 皆はシアンって呼ぶのにな」

 真っすぐ私を見る彼の目から、もう目をらす事は出来なかった。


「リリアンは獣人だから、俺の名前は言い難いんだろうなってくらいにしか思ってなかった。でもそうじゃないんだろう? 俺、頭わりいからさ、頭で考えても何が正解なのか全然わっかんねえんだよ。でもさ、俺の心は懐かしいって言ってるんだよ。あとさ……」


 そう言って、シアは私の首元に鼻を寄せて、

「なんでかわかんねえけど、こうして眼帯外していると、懐かしいあんたの匂いを感じるんだ…… ずっと忘れてねえよ――」


「アッシュ」

 私の名を呼んだ。

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