32 神話/

 神代かみよの時代。

 この国は一人の女神によって、平和と安泰あんたいが与えられていた。

 人々は女神を敬い、女神は人々を愛くしんだ。


 ある時、女神の元に国の外から一人の男が訪ねて来た。

 その男は言葉巧みに女神に近づき、そして事もあろうに神巫女に懸想けそうした。

 女神への信仰を持たぬ者など、ましてや神巫女になど、許される恋慕れんぼではない。

 女神と神官たちは怒り、男を追い出そうとした。


 しかし神巫女を諦められない男は、神巫女を手にかけ、その遺骸を抱えて国外へと逃げた。


 神官たちは慌てて後を追った。

 彼らは男を追い詰め、神巫女を取り戻した。が、遅かった……

 神巫女は…… すでにその身の一部を男に食われていたと言う。


 取り戻しはしたがあまりにも無惨な神巫女の姿に、女神は嘆き悲しみ、男を討つように触れを出した。

 一行の先頭に立つのは、女神の神力を手にした勇者であった。


 男も神巫女を食らうことで神力を得、すでに人ならざる者にその身を変えていた。

 魔王と化した男はその身をもって眷属の魔族を生み出し、女神の力にあがらった。


 しかし女神の力と人々の信仰が悪しき力に負けるわけはない。

 勇者一行は魔王を討ち果たし、この国は平穏を取り戻した。


 魔王は倒されてもまた復活する。

 その度に愛しい神巫女を求めて、また女神への怒りから、この人の国を襲うのだと。



 この国に生まれた者であれば、子供でも知っている物語だ。


 確かにおおよそ20年に一度、魔王はその眷族けんぞくと共に復活し、人間の国に牙をく。

 そして人の国も魔王復活に対抗すべく、魔王討伐隊を編成する。

 他国との争いもないこの国は、皮肉な事に魔王という敵の存在により、この国自身の結束と平穏が保たれているのだ。


 神代からの長い長い間、神の力を得た討伐隊が魔王に負ける事など一度もなかった。

 怪我を負う者はいても、命を落とす程の事は今の今までなかったのだ。

 だからこそ、貴族たちは息子を英雄にしたいと、そう望むのだ。


 しかし、悲劇は起きた。


 一人の英雄が死んだ。

 もう一人の英雄は、魔族の呪いにより体をむしばまれ、幾月かして命を落とした。

 さらにもう一人の英雄は…… 恋仲だった仲間の死を悼み、自らその姿を隠した。


 魔王は倒されたが、代わりに小さくはない痛みをこの国にも与えていた。


 この痛みをそのままにしておいてはならない。

 次の討伐隊は、さらに国民に希望を与える存在にならなくてはならないのです。


 歴史学の教師はそう声を高くして、熱く語った。



 俺はそんな教師の熱さを余所よそに、静かに思いを巡らせていた。

 神巫女の想いはどこにあったんだろうかと……

 教師にそれを問うと「聖なる神巫女が悪しき者に心を奪われるわけはありません。その男を拒んだからこそ、その身を殺められたのでしょう」と。

 確かにそうなのだろうが……

 ならば何故それは物語の中では語られないのだろうか。


 俺の母様は、俺を身籠った事で父から引き離され…… その父は俺が生まれる前に亡くなった。

 母様は思い出す度に、せめて最後に父に一目会いたかったと、涙を流していた。

 神巫女の話を聞いて、未だに愛しい人を想う母の姿を思い出していた。

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