第10話 内緒の子ども
「おほしさま!」
星の形にくり抜かれたニンジンを
形が少しくずれてしまったのが残念だが、調理した身としても手間が無駄にならずに済んだからよかった。
「おほしさまのあじがする!」
澄空が星形のニンジンを二ついっぺんに口に放り込む。
「澄空がニンジンを食べてる……」
澄空の隣で、顎にマスクをかけた野田が感動している。
「弟は野菜が苦手なんです。カレーにしちゃえば少しは食べられるんですけど、ニンジンだけはどうしても食べようとしなくて、いつも手を焼いてたんです」
話の内容や口ぶりのせいで、目の前にいる女子高生が澄空の母親に見えてきてしまう。
「野田はよく澄空の面倒を見てるのか?」
「平日はほぼ毎日、土日もたまに。両親は忙しいので」
そう言いながら、澄空の着ているパジャマにこぼれたカレーを拭いている。澄空の食事の介助をするので、野田はなかなか雑炊を食べ進めることができない。
「毎日か。それは大変だな。うちの親はちょっとお節介だけどいつでも頼りに来ていいから」
野田はぶんぶんと首を振った。
「お節介だなんて。千葉先生のお母さんにも、千葉先生にも本当に感謝してます。迷惑かけてすみません」
「言っただろ。うちの親は保育園で働いてたし、ベビーシッターをやってたこともあるから子どもが大好きなんだ。俺だって子どもの世話くらいできるし」
「……千葉先生、子どもがいるんですか?」
そう尋ねる野田の顔が真面目なので笑ってしまう。
「子持ちの教育実習生なんてそうそういないだろ。姪っ子がいるんだよ。姉の子どもたちで双子なんだ。最近また一人生まれた」
「双子ですか。かわいいんだろうな。でも先生のお姉さん、なかなか休まらないでしょう」
ねぎらいには女子高生とは思えない重みがある。
「双子が小さい頃はめちゃくちゃ大変そうだったね。俺もよく面倒を見に行ってたから、子どもはわりと慣れてるんだ。だから、先生に隠し子がいるだなんて噂しないでくれよ。……あ」
失言に気付き口に手を当てる。
「かくしごってなに?」
澄空が皿から顔を上げる。場の空気が凍ったことに、純粋な幼児は勿論気付いていない。
「……その噂、知ってるんですね」
野田がれんげを皿のふちにかける。
伏せられた目元が暗い。
その表情を見ただけでわかる。噂は本人の耳にばっちり入っているし「隠し子がいる」と言われていることを気にしている。
澄空は「かくしごってなんなの!」としつこい。
「内緒の子どもってこと」
野田が小声で言う。
「ナイショノコドモってだれ」
「誰っていうか……」
「幼稚だよな! 高校生にもなってそんなこと言っててさ!」
二人の会話を遮るように言い、やれやれと大げさに肩を落としてみせる。
「先生はその噂、信じないんですか?」
「信じるか、アホくさい。どう見ても弟だろ」
くだらないと思うし、それを聞き流せない野田にもやきもきしてしまうが、狭い世界だから仕方がない。
卒業した公立高校でさえ息が詰まる時があった。箱庭のような一貫校ではなおさら窮屈に感じることもあるだろう。
「ああっ!」
カレーを口に運ぼうとしてあることを思い出し、素っ頓狂な声を上げてしまった。
「えっ、何ですか?」
「おっきいこえ、こわいよー」
口の周りをカレーで汚した澄空が耳を塞ぐ。子ども用のスプーンが床に落ちた。
「ごめんごめん、『あれ』を忘れてたと思って」
食事中だが立ち上がり、キッチンの棚に忘れ物を取りに行く。
「甘口カレーにはこれをかけないと」
チャック式の小袋を持って自分の席に戻る。ティースプーンで赤い粉をすくいカレーに振りかけた。きょとんとしている野田に炎の絵が描かれた赤い小袋を渡す。
「……ガラムマサラ? 調味料ですか?」
「甘口カレーのルーの上にかけてみな。激辛が好きならスプーン三杯くらいかな。結構辛くなるよ」
「えー、からくなっちゃうの? やだあ」
「そう。だから澄空はかけない方がいいよ」
床に落ちたスプーンを洗い澄空に返す。
「じゃあ、澄空用にまず甘口カレーを作って、大人が食べる時にはこのガラムマサラをかければ辛口カレーになるってことですか? す、すごすぎる……!」
ガラムマサラの袋を手に、野田は目をキラキラと輝かせた。
「これがあれば甘口のカレーと辛口のカレーでお鍋をわけなくていいんだ……。洗い物も減るし最高ですね!」
「あまくちはさいこーだよね」
くだけた口調になって喜ぶ野田の反応に気がよくなり、また別の調味料を取りに立つ。
「こっちの玉ねぎペーストも時短になる。炒め玉ねぎってめちゃくちゃ時間かかるけど、これは具材と一緒に鍋に入れて煮込むだけだから。あとリンゴペーストとか、チャツネとかも売ってるんだけど、そっちもおすすめ」
「こんな便利なものがあるなんて知らなかったです。今度カレーを作る時、絶対に使います!」
「うちのカレーとガラムマサラを持っていっていいから、家で試してみて。野田の家に冷凍うどんあっただろ。それと合わせてカレーうどんにしてもいいし」
野田から表情が消えた。
「……なんでうちに冷凍うどんがあるって知ってるんですか」
「あ」
再び墓穴を掘った。
冷や汗をかきながら野田の家に勝手に入ったことを白状する。
「本当にごめん。でも、澄空を一人にしておけなくて」
「いえ、いいんです」
野田は顔を赤らめながら、やっと雑炊をまともに食べ始めた。
「ちょうど昨日、大掃除したんです。なので、大丈夫です」
大掃除。
もう少し散らかせば、映画「ホーム・アローン」の真似事ができそうな野田家のリビングを思い返し、つい首を傾げてしまった。
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