第115話:蒼天の実力
迫る蒼天。接敵まで残り数秒。
千晴は抜刀する。
「アタシはどうしたら良いッスか?」
「好きに動いて貰って構いません。こちらでどうとでも対処します」
「分かったッス!!」
「来ますよっ!!」
身構える少女たち。
仁王丸は霊符を宙に撒き、一つすう、と呼吸を整えた。
爆音のような衝撃波を引き連れ肉薄する蒼天に向けて、彼女は先陣を切る。
「契神「
彼女の詠唱と同時に霊符は光球へと変容し、無数に分裂。それらは光の矢となり、射程範囲内の対象物に風穴を開ける。
いかに最強の名を冠する神子であっても、食らえば致命傷となりうる神の矢だ。
今回は手加減の必要などない。仁王丸は殺意を込めて力を蒼天に振るう。
「――ィッ!!」
だが、蒼天は止まらない。
神気を込めた太刀は、疑似的に神器に近い性質を得る。それは、神の矢すら容易く裁断した。雨のように濃密な矢の弾幕は、尽く彼の前で撃墜される。
「化け物め……!」
苦し気な笑みを浮かべる仁王丸。
だが、ここまでは想定通り。彼女の目的はあくまで時間稼ぎだ。
はなから撃破など考えていない。
今の術式も、ほんの一瞬彼女に意識を向けさせるためだけのもの。真打は――
「とりゃァッッ!!!!」
側方から、千晴が蒼天に斬りかかる。蒼天は空中で身体を捻り、千晴の斬撃を軽々と躱して見せた。
が、これも仁王丸の想定範囲内。
次の一手は用意している。
「契神「
完璧なタイミングで交錯する神の一撃。
いくら蒼天でも回避は間に合わない。
祖神の力を纏った仁王丸の太刀筋が、確かに彼を捉えたかに見えた。
だがその瞬間、蒼天はふっと笑みを溢す。
「な……!」
妖しく赤く光った彼の双眸。突如現れた巨大な氷塊が、仁王丸の術式を相殺する。
詠唱は無かった。
本来、契神術は詠唱が必須。にもかかわらず発現した異能。その正体は一つに定まる。
「権限っ!?」
「流石は高階の家人。ご名答だ」
蒼天は上機嫌に答える。
「蒼天の権限は、水を操る力。他の神子と比ぶれば、幾分か淡泊に思える力だ」
「しかし、その分応用範囲は広い……まさかここまでとは」
冷汗が仁王丸の頬を伝った。
今、蒼天が権限を行使して起こした現象は非常にシンプル。ただ、空気中の水分を凝縮して凍結させただけだ。
それで、あの耐久性である。出鱈目というほかあるまい。
「さて、次はどうする、佐伯の若君」
「……霊術『
蒼天の着地点が爆ぜ、踏むべき足場を失った彼は空中で身を翻す。
そこへ、千晴の太刀筋が綺麗な弧を描いた。薄橙の髪を数本かすめ取りながら、彼女の刀は空を斬る。
「速いな。初速だけなら満仲を凌ぐやも知れぬ」
「誰ッスかソイツ!!」
千晴は勢いそのまま刀を振り上げる。
蒼天ですら賞賛する神速の閃撃も、二度目となればもう届かない。
「だが、単調だ」
「くっ……」
蒼天の純粋なスピードと身のこなしに、仁王丸たちは翻弄され続けている。海人からすれば人間の域を脱した剣技も、蒼天の前では稚児の戯れに過ぎない。
不気味なのは、彼がまだ一度も攻撃のそぶりを見せていないことだ。
明らかに蒼天は手を抜いている。
いや、彼女たちの力量を見極めるため、あえて全力を出さないでいるのだ。
「うらァァァああああ!!!!」
「そして荒い」
「ぐッ!?」
渾身の一振りを難なく躱し、千晴の鳩尾に叩き込まれる蒼天の掌底。彼女は勢いを殺し切れずそのまま吹き飛んだ。
蒼天は、大地に蹲る少女をどこか失望したような瞳で見下す。
「才はあるだけに惜しいな」
「「千晴!!」」
海人たちの呼びかけに、千晴は苦し気な笑みで答える。幸い、命に別状は無さそうだ。
だが、今蒼天は確実に彼女を殺すことが出来たはず。それをしなかったのは、ひとえに彼の気まぐれにすぎない。
いつでもこの場にいる全員を鏖殺できるという自信が、彼にそんな気まぐれを許しているのだ。
千晴が五体満足であるという事実自体が、彼と彼女たちの間に存在する圧倒的な実力差の証明となっている。
「……もう終わりか?」
異様な存在感をまとい、蒼天は海人たちの前に降り立った。
貞盛たちは、抑えようのない恐怖に身体を震わせている。絶対者たる蒼天の前では、北都の精兵といえども土塊同然の存在なのだ。
蒼天は、少し離れたところで身構える海人を、美しい紺碧の瞳でジロリと見やる。
「海人、君は出ないのか」
「お、俺が混ざれると思うか!?」
突然話しかけられた海人は、戦々恐々としながらも声だけは威勢よく返す。
蒼天は呆れたようにため息を吐くと、
「何とも情けない答えだが……己の力量を弁えた悪くない選択だ。現実を受け入れるその行動を、私は肯定しよう」
「くッ……」
悔し気な表情を浮かべる海人。
対する蒼天は悠々としている。
当然だ。彼にとっては、今周辺に存在する全ての人間が脅威となり得ない。
海人たちにとっては命の瀬戸際でも、蒼天にとっては普段の延長線でしかないのだ。
「さて、お喋りはこの程度にしておこうか」
蒼天は再び刀を振り上げる。
この距離で術式が炸裂すれば、味方の兵たちを巻き込んで大惨事になるだろう。
呼吸を整える海人、刀を構える千晴。
最初に動いたのは仁王丸だった。
「っ!!」
彼女は再び霊符を撒く。
だが、詠唱はしない。
「ふむ……?」
怪訝そうに目を細める蒼天。
だが、彼はすぐに気付いた。
「なるほど、そうくるか」
ピクリと眉を動かす蒼天に、仁王丸はニヤリとほくそ笑む。
「ええ。貴様がここまで寄ってくれるのを待っていた!」
輝く霊符。この状況こそ彼女の真の狙い。今までの動きは、全てこの為の布石である。
詠唱に関する条件を極限まで緩くし、かつ、水の神気に反応するよう調整した霊符。それを空間に散りばめることで、蒼天に神気の暴発を起こさせるのだ。しかも、
「これらの霊符の効果は、もっとも神気の多い者へと向くよう設定してある。これで貴様は迂闊に動けまい!!」
一瞬の隙をついて、仁王丸が作り上げた地雷原。祟り神を閉じ込める牢獄。
この領域内にいる限り、蒼天は術式を使うことも、神気を流して自分の肉体を強化することも出来ない――かと思われた。
「契神「
「なっ!?」
仁王丸の思惑をふいにするかのように、蒼天の詠唱が響き渡った。
伊勢でも彼が見せた術式。効果範囲内の神気を、強制的に凪いだ水の神気へと書き換える海神の宮殿。
仁王丸が撒いた霊符は、蒼天へと届く前に押し流される。
「馬鹿な……!!」
「発想は悪くない。だが、その手はもう知っている」
容易く仁王丸の策を破った蒼天は、再び刀を構える。
来るのは術式か、通常斬撃か、徒手空拳か。いずれにせよ、一撃で彼女たちの命を刈り取るのに十分すぎる威力を持っている。
その中で、仁王丸は対応を迫られた。
「……契神「
「契神「
同時の詠唱。蒼天から放たれたのは術式。至近距離ゆえ海人の反応は間に合わない。
だが、仁王丸が唱えた空間作用の防御術式は蒼天の太刀筋を歪め、破滅的な結果から海人たちを遠ざける。
とはいえ、彼の斬撃は空間そのものにすら影響を及ぼす英雄神の一閃。たとえ仁王丸の切札であっても、完全に無効化することは不可能だった。
「おのれ……!」
轟!! と、軋む空、うねる大地、転回する視野。
大地に投げ出され、仁王丸は片膝を付く。
射線上に兵たちがいなかったことは不幸中の幸いだが、神気を使い果たした彼女に継戦能力は残っていなかった。
「ぐっ……」
それは千晴も同様。先ほどの一撃の余波か、身体に力が入らないらしい。致命傷は与えずとも、戦闘能力を奪う程度のダメージは与えていたというのか。
「舐めやがって……」
目つきを険しくする海人。
彼は腕時計へと目をやる。
気付けば、あれから五分半経っていた。
――あと二分。どうやって稼ぐ……!?
涼しい顔で佇む蒼天を睨んで、海人は奥歯を噛み締めた。
蒼天はため息をつく。
「北都の精鋭というのもこの程度か……まあ良い。私の標的は君たちでは無かったが、一応目的くらいは確認して置かねばならぬな。君たちは、どこへ何をしに向かっている?」
「……っ」
海人は何も言わない。
言うわけにはいかない。
恐らく、南都にとって海人たちの行動は望ましいものではないはずだ。
――邪魔されてたまるかよ……
口を真一文字に結んで、海人は再び蒼天を睨んだ。
蒼天は、もう一度ため息をつく。
「言えぬか。なら、力ずくで調べるまで」
赤く光る蒼天の目。
彼が刀に手を掛けた瞬間、
「!?」
突如、横薙ぎに振るわれた豪胆な太刀筋。
虚を突いた一閃。
流石の蒼天も目を見開く。彼は初めて受け太刀し、衝撃をいなすように後方へと弾け飛んだ。
「な……」
そこに立っていたのは、五尺はありそうな大きな太刀を構える青年。背丈は高く、細身ではあるが貞盛より筋肉質な体つき。
そして、冷や汗を流しつつもニヤリと笑みを浮かべる彼の髪は、千晴と同じ桃色をしている。
青年は、蒼天を見据えたまま叫んだ。
「おい平太! これはどういうことだ。なぜこんなことになっておる!!」
「兄様っ!?」
「
同時に声を上げる千晴と貞盛。
千常と呼ばれた青年は、太刀を構え直して彼女たちの前に立つ。
「まあいい話は後で聞く。強き者よ、今度は俺が相手だ!!」
新たな参戦者、千常。
転移術式の発動まであと二分。
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