第98話:山積する課題
武芝を説得したその日のうちに、海人は社員のリクルーティングを行った。
といっても、彼には人脈など全くない。放っておいたら誰も来てくれないし、かといって声を掛けても無視されるに決まっている。なので武芝の声掛けで集まった役人たちを適当に選別することにしたのだが、いきなりいくつかの問題が発生した。
一つは、集まった人数が少ないことである。そもそも郡衙の役人があまり多くない上に、西の人間が主導する前代未聞のプロジェクトとなれば、人数が絞られるのも当然だ。
海人は不本意ながらもそこはぐっとこらえる。彼にとっては一応予想通りの展開であるし、結果が伴えばいずれ自然に解消される問題でもあるからだ。
だが、もう一つ。
こちらは想定外の問題である。
「思ったより教育水準が低いぞ……」
海人は社員たちのレベルを知るために中学数学程度の試験を実施したのだが、その結果が芳しくない。
――まあ、四則演算と割合計算は出来てるし、最低限の算術は出来るんだろうけど……
ただ、ここにいる役人のほとんどが
――
確かアレ、かなりの高等数学まで扱ってたはずなんだけど、地方だとこのレベルまで落ちるのか……
こんなところでも地域格差を感じ取り、海人はため息をついた。
「仕方ない。ややこしい計算は基本俺がやって、補助をみんなに頼もう」
▼△▼
それから数日。海人は休みなく情報収集に努めていた。
今だってもうとっくに日が暮れているというのに、執務室で文書を読み漁っている。食事と睡眠、あと郡衙の役人との会議以外は、一日中ずっとこんな感じだ。
その努力の甲斐あって、郡中の村落や地理、経済事情にはかなり詳しくなってきたところである。
ただ、少々オーバーワーク気味だ。体力の有り余る10代後半といえど、さすがに一日2時間睡眠の生活は無茶が過ぎる。
とはいえ、時間が限られている以上無茶をするほかない。海人はウトウトしながらも事業計画を練っていく。
ちょうどそんな時のことであった。
「えっ、将門さん帰っちゃうのっ!?」
突然知らされた衝撃の事実。
彼は思わず目を丸くし、読み漁っていた文書をはらりと落とした。
「すまねぇな。
「そ、そうですか……」
「どっちにしろ
あご髭を弄りながら、揺れるろうそくを眺める将門。えらく
なにせ、海人と郡衙の面々の間にはまだ壁があるのだ。そんな中で、海人の事実上の庇護者である将門たちがいなくなるのは懸念材料である。そして何より、軍事力の大幅な低下があまりに痛い。
不安そうに表情を曇らせる海人に将門は、
「なに、片が付いたらすぐ戻ってくるさ。それに五月はおいておく。あと、千晴も多分残るんじゃねえかな」
「……」
「まあそんな顔すんなって! お前ならいけるさ」
わしゃわしゃと海人の頭を乱雑に撫でまわすと、将門は豪快な笑い声を上げつつ去っていった。
海人は一つため息をつくと、文書を拾い上げて呟く。
「仕方ない……頑張れ、俺」
▼△▼
それからさらに数日経って、おおよその事業の方向性が固まってきた頃のこと。海人は新たな問題に直面していた。
平安時代の輸送手段筆頭、馬。その数が絶対的に足りないのである。原因は明白。将門たちが馬ごと本国へ帰ってしまったからだ。
そもそも海人は、将門勢力を事業に巻き込むつもりであった。武芝との会談以前に真樹の同意は得ており、計画自体もそれを前提に組んでいた。
なので、彼らの本国帰還を知らされた直後海人は死にもの狂いで計画の大幅な変更を行い、なんとか修正を行ったのだが、どうしても
将門が引き上げてしまったことの弊害が、ここに来て露見した形だ。
「困ったな……」
恐らく、彼が考えている商売自体は成立する。それは、直近の税収から算出した村ごとの物品の生産量と郡内での物々交換のレート、さらに、人件費等もろもろの出費まで計算して導き出された結論だ。
順当にいけば、冬の間に件の村を立て直すだけの米は確保できる。
だが、それはあくまで当初の予定通りの輸送が行えた場合の話だ。
馬がなければ物品は輸送できない。物品が輸送できなければ商売も出来ない。馬の数イコール商売の規模である。馬の数が、得られる米の量に直結するのだ。
とはいえ、無いものは仕方ない。今ある範囲で当面はどうにかするしかないだろう。
――でも、問題はその後だ。将門さんたちがいつ帰ってくるかなんて分からない。何か別案を考えておかないと……
社員の数不足、能力不足、後ろ盾の不在、防衛力の不足、輸送能力の不足、そして海人の経験不足――ありとあらゆる課題が積み重なっている。
だが、事業を成功に導き、あの村を、さらには坂東を救うためには、これら全てを解決しなければならない。
「……ったく。無理ゲー押し付けやがって……」
海人は強がったような笑みを浮かべながら、自分を東国に飛ばした白髪の少年に恨み言を吐いた。
しかし、彼の心は燃えている。逆境こそ俺の舞台――そう自分に言い聞かせて、海人は帳簿に勢いよく朱の線を引いた。
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