第74話:騒動の元凶

 内裏、蔵人所。

 寝不足で青い顔をした師氏は、尋問官たちから提出された二つの文書を指さした。


「なあ師伊。これは報告の体を成していると思うか?」


「これは……ふっ」


「笑い事じゃない! 全く……高明卿はまだしも、権中将殿の分はなんだ。コレほとんど情報がないじゃないか!」


「いや、佐伯の若君がどういうお方かは手に取るように分かりますが」


「そんなことは今どうでも良い!!」


 雅信の報告書には、無駄に流麗な筆致と無駄に高い表現力で仁王丸の一挙手一投足が克明に記されている。それでもって、事件の内容に関わる記述は最初の方にしかない。

 きっと彼女に見惚れて話は右から左へ通り抜けていってしまったのだろう。文学作品としては一級品かもしれないが、これでは報告書として落第点である。


 口元を隠しながら半笑いの師伊をよそに、師氏は頭を抱えた。


「はぁ……よくよく考えたら、なんで全部私に押し付けられてるんだ?」


「それは師氏兄が蔵人頭と近衛中将を兼ねているからですよ」


「それは分かっている。分かっているが、そういうことじゃない」


 師氏はため息をつく。仕事に次ぐ仕事、別件に次ぐ別件。彼の心が休まることはこの頃ほとんどない。


「はあ……どちらかでいいから辞めてしまいたい」


「贅沢なお悩みですね。どちらも並みの殿上人なら喉から手が出るほど欲しがる官職ですよ?」


「とはいえこんなに過酷ならただの拷問ではないか!!」


「今だけですよ。ほら、口を動かす暇があれば手を動かしましょう」


 今にも倒れそうな師氏の横で、涼しい笑みを浮かべながら師伊は着々と仕事をこなしている。そんな時、一人の官吏が新たな文を持ってやって来た。


兵衛佐ひょうえのすけ殿、本日の調査結果でございます」


「そう、ありがとう」


「お前完全にここを仕事場にしてるな。ここ蔵人所だぞ?」


 呆れたような師氏の言葉を聞き流して、師伊は官吏から受け取った文に一通り目を通した。そして、「ふーん」と意味深な表情を浮かべてニコリを笑みを浮かべる。


「ご苦労さま、もう帰っていいよ」


「はっ」


 退出する官吏の背中を見送りながら、師氏はちらりと師伊の顔を見た。


「調査って、何の?」


「情報源です」


「情報源?」


「そうです。神器喪失の情報がどこから漏れたか、その元を探っているんですよ」


「そんなの分かるものなのか?」


「ええ、もうだいたい分かりました」


「なに!?」


 ことがいつの間にか進んでいた事実に少しばかり衝撃を覚え、師氏は目を見開く。そんな兄を見て、師伊は得意げに鼻を鳴らした。


「私は優秀ですからね。兄上とは違う方面で、ですが」


「お……おう」


「ですが、優秀過ぎるのも困ったものですね。これはちょっと面倒ですよ……」


 そう言うと、師伊はさっきまでの鼻高々とした態度を引っ込め、今度は深刻そうな表情を浮かべる。


「どうした?」


「情報源は分かったんですけど、そこがちょっと……」


「ちょっと、ってなんだ?」


「いやぁ……」


 顔をしかめ、兄の質問への返答を渋る師伊。だが、「私になら良いだろ」と再三の催促に押され、逡巡しながらも口を開いた。


「……九条邸ですよ。師輔兄の」


「……まさか!! じゃあお前は師輔兄が今回の元凶だって言うのか!?」


「今のところその可能性が一番……いや?」


 突然何かに気付いて、師伊は天を仰いだ。


「そうだ、師輔兄じゃなくて義姉上あねうえだ。あの人なら動機がある」


 ▼△▼


 平安京、九条大路、藤原師輔邸。その北対きたのたいにある一室の御簾のうちで、彼女は不機嫌そうな顔を浮かべていた。


「何故です。何故、あの女は獄につながれていないのです」


「北の方、そうは仰いましても悠天様は」


「その名を申すな!! 忌まわしい……」


 声を荒げる彼女に女房は恐れおののく。


 彼女は藤原盛子ふじわらのせいし。「彩天」藤原師輔の第一婦人である。父親の強い意向ともろもろの事情で師輔の妻となった彼女であるが、かれこれ十年に渡る結婚生活の中で、師輔と交わした言葉は数えるほど。その夫婦仲は最悪であった。

 生活には何一つ不自由はないが、そんな境遇ゆえに彼女の不満はとどまることを知らない。そして不満の矛先は、彼女をそうたらしめた一人の女性に向いたのである。


「再臨や佐伯の小娘などどうでも良いのです。私は、私は!! あの女にさえ痛い目を見させられたらそれで良かったのに……!!」


「で、ですが旦那さまのご意向で」


「旦那!? 私は九条殿を、あんな男を旦那だと思ってはいません!!」

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