第40話:目的
勢多の町についてから、まず海人たちは宿を探した。予約などというシステムは勿論なく、その時空いているところに飛び込むしかない。幸い勢多には宿屋が多く、程なくして彼らは今宵のねぐらを見つけた。
「さて、次は晩飯だな」
「その辺ので良かろう。我は庶民の食に前々から興味があったのじゃ!」
子供のように目を輝かせて悠天はそう言う。それなりに疲労が見える海人と仁王丸とは対照的に、心身とも元気が有り余っている様子だ。
そんな彼女に仁王丸は不安そうな顔で、
「……ですが、少々危うきところがあるやも知れません」
「この顔ぶれでか? 面白いこと言うのう」
「しかし神子さ……再臨様を守らなくては」
「そうじゃった、其奴戦えぬのじゃった」
仁王丸の至極まっとうな懸念に、悠天はしばし天を仰ぐ。が、すぐに余裕に満ちた表情を取り戻した。
「まあ、さしたる問題ではない。何かあれば我に任せよ」
頼もしい一言に「おお!」と声を上げる海人。一層得意そうに高笑いする悠天。そんな中、仁王丸だけがどこか晴れない表情を浮かべていた。
▼△▼
結局仁王丸の懸念は杞憂に終わり、何事もなく夕食を済ませた海人たち。ただ、思いのほか出費がかさんだらしい。会計役の仁王丸は、その元凶たる緑髪に鋭い視線を向けた。
「まったく……それだけ食べてよく太り――」
ふいに仁王丸は視線を少し下にずらす。そして、はっとしたような表情を浮かべて、
「チッ」
「なんじゃ今の舌打ちは!」
すらりとして起伏らしい起伏もない自分の上半身を撫でおろし、仁王丸はため息をついた。悠天はいきなり舌打ちされて困惑している。海人は引きつった笑みを浮かべた。
実際、悠天のスタイルは良い。顔立ちも整っている。海人のいた現代日本なら、モデルか何かをやっていても不思議ではない程に。
ただ、その分顔の包帯が猛烈な違和感を放っている訳だが。
そんな折、海人はふと気付く。
――あれ、こうして考えてみると悠さんかなり目立つな……なんなら仁王丸も軽装とはいえ貴族っぽい服装だし、そんで俺はいまだ高校の制服……
隠密任務というのに、三人とも庶民とはかけ離れた装い。海人は首を傾げた。
「めちゃくちゃ今更だけど、俺たちこんな服装で良かったの?」
「それは大丈夫じゃ。人の目を惑わす術式を使っておる。我を我と知らぬ者は、きっと旅の遊女か何かと見紛うことであろう」
「そんな術式あるんだ……」
「姿を変える術式など神代よりいくらでもあろう。
「あ、あー……」
微妙に知らない話が出てきて、知ったかぶるように作り笑いをする海人。悠天はそんな彼にいぶかしむような目を向けた。
▼△▼
海人たちが今日泊まる宿については、現代人が思い浮かべるところの民宿といえばほぼ誤解なく伝わるであろう。平安時代にそんなものがあったかどうか海人の知るところではないが、現に目の前にあるのだから彼も取り立てて文句は言わない。
彼らは受付のようなところで主人と言葉を交わすと、確保しておいた部屋に向かった。
「悪くない」
「狭い」
仁王丸が戸を開けると同時に、海人と悠天が真反対の評価をつけた。仁王丸は冷たい笑顔を浮かべて悠天を見る。
「なら、悠天様は外でお休みになられたらよろしいのでは? 広いですよ?」
「其方に何か嫌われるようなことしたか?」
「まあまあ……」
高階邸を出て以来、どこかギスギスした様子の彼女らをなだめるように海人が割って入る。いや、悠天の方は特に何とも思っていない様子なのだが、仁王丸が一方的に彼女を嫌っているという方が正しいかもしれない。
――仁王丸が意外と人付き合い苦手なのか、それとも悠さんが昔なにかやらかしたか……
海人が小難しい顔でそんなことを考えているうちに、悠天はいつの間にか布団に潜っている。彼女は布団から顔だけ出して、なぜかやたらと自慢げな表情で、
「我はこの布団を貰う。其方らは端の布団を使うが良い!」
――ノリが修学旅行生……
どこまでも能天気な彼女に毒気を抜かれた海人は、呆れたようにため息をついた。
「……まあいいや。仁王丸はどこで寝る感じ? 俺はどこでも良いし」
「私はその辺りの柱ででも」
「は?」
真面目な顔をしてそう言う彼女に、海人はあっけにとられる。そんな彼を一瞥もせずに、仁王丸は目を細めた。
「……高階邸ならまだしも、ここは平安京の外。護衛役の私が布団でぬくぬくと休むなど有り得ません」
「真面目じゃのう……じゃが、倒れられても困る。持ってくの面倒じゃ」
「無用なご心配有難うございます」
仁王丸は素っ気なく返すと、一つため息をつく。海人はそんな彼女と自分に温度差を感じて、ふと悠天に視線を移す。どこか落ち着かない様子でそわそわしている彼女は、どう見ても旅行気分だ。
――ここまで気楽なのもどうかと思うけど……一応俺らは朝廷の密命で……
「あ!」
突然声を上げる海人に、悠天はびくりと身体を震わせる。
「なんじゃ!びっくりするのう」
「目的ですよ!」
「は?」
「今回の旅の目的! なんで俺たちが伊勢に行くか、ですよ!」
布団の中から顔だけ出して、悠天はきょとんとしている。
彼女はしばらくぽかーんとしていたが、上半身だけ起こしてポンと手を叩いた。
「ああ、そうじゃった。まだ言ってなかったな。もう言ったつもりになっておった」
「で、結局何なんです?」
「そう急かすな。なに、簡単なことじゃ」
彼女はふう、と息を吐くと、唇に指を当て、妖しげな目を浮かべた。
蠟燭の炎が風に揺れる。静謐な空気が、宿屋の一室を包んだ。そして――
「神鏡を皇都に移送する。それだけよ」
そう、簡単に言ってのけたのだった。
「神鏡の……」
「移送……!?」
悠天の一言に、海人だけでなく仁王丸まで驚きを露にする。
伊勢の神鏡、すなわち
そんなものを、秘密裏に平安京まで持って帰るというのだ。
「一体、何のためにっ!?」
「知らん。まあ、理由はいくつか思い当たるが……」
悠天は顎に手を当て天を仰ぐ。
彼女はそのままそうしていたが、ふいにばたんと寝転がった。
「――!?」
「……明日でよかろう。我は疲れた。寝る」
「えっ、ちょっと!」
海人が駆け寄るが、彼女はもう寝息を立てている。揺すっても起きる気配はない。
「寝るの速っ!」
「……仕方ありません。神子様ももうお休み下さい。明日は早いです」
「ま、まあそうか……そうだな……」
仁王丸は刀を脇に置いたまま、部屋の入口辺りの柱にもたれかかっている。いつものように能面のような無表情だ。
ただ、海人には蠟燭の灯に照らされる彼女の顔が、憂いが少し混じったような、どこか苦しげな表情にも見えた。
「……仁王丸」
「なんでございましょうか」
「なんというか、その……あんまり無理すんなよ? 俺もやれることはやるし、他にも何か手伝えることがあったらやるからさ」
「…………お気遣い感謝します」
彼女は、相変わらず素っ気ない。それは、どうも海人に対してだけではないようだ。
悠天に対してもそうであるし、主人である師忠、弟である犬麻呂に対してもどこか壁のようなものを作っている。海人には、そう思えてならない。
彼女に感情が無いわけではない。それは海人にも分かっている。普段は誰に対しても無表情で無機質な対応をしているように思えるが、よく見れば意外と感情豊かだ。
なのに、それを表に出さない。いや、出すことを良しとしない。冷静で、冷徹であり続けることを己に課しているようにも思える。
――生真面目過ぎる……か
再び犬麻呂の仁王丸評が海人の頭をよぎる。海人に彼女の思いは分からない。でも、
――そんなの、辛くないか……
もしかしたら、余計なお世話かもしれない。彼女はそんなことを、一切望んではいないのかもしれない。
でも少し、ほんの少しだけでも、彼女がありのままでいられる手伝いが出来るのならば、自分はこの世界に来た意味があるのではないか――
「……じゃ、先に寝る。おやすみ」
そんなことを考えながら、海人は枕元の蝋燭を消した。
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