第32話:『彩天』の権限

 朝廷軍の動揺、『影』の乱入、実頼の暗殺、そして、満仲が通告した悪夢の二択。ほんの数分の間に、立て続けに起こった最悪の事態。

 そんな中で、師忠だけは冷静さを失っていなかった。


「しかし、少しばかり厄介ですね……」


 微笑の中に少しばかり苛立ちを織り交ぜて、師忠は満仲の真っ黒な双眸を捉える。


「贄の術式……ですか」


 言ってしまえば、身代わりの術式。自分が受けた傷を、契約者に一方的に押し付ける凶悪な術式。古い記憶が師忠の心をざわつかせた。


――おそらく、実頼卿はそれを逆転されたのでしょう。しかも、まだ何か仕掛けがあるはず……


 淡々と思考を進め、師忠は満仲の手の内を暴こうとする。

 そして、何かに思い至った。


「……師輔卿、影と『蒼天』はお任せください」


「――っ!?」


 目を見開く師輔に、師忠は微笑みかける。


「伏見までおめおめ焼かれてしまっては、朝廷の威信に関わるでしょう? なに、影如き私一人で十分です」


「随分と軽く見られたものですね」


「実際、私が対峙してきた者たちと比べれば軽い」


「――!!」


 師忠が手をかざす。瞬時に満仲は跳躍するが間に合わない。その刹那、満仲の左腕がはじけ飛んだ。


「ぐッ!!」


 師忠は穏やかな笑みを浮かべたまま、


「さあ、南都軍をお討ちなさいな、『彩天』様」


「チッ!!」


 忌まわしげに舌打ちする師輔。しかし彼は、己の感情で好機をふいにするような愚者ではない。いかに気にくわない男が整えた盤面であったといえども、それが最善であれば迷わずに動く。彼はそういう男だ。


「結局、貴様の思惑のうちかっ!!」


 『彩天』は袖を一度振る。そして、手を合わせた。

 直後、空気が変わる。気脈への接続、それに続く術式の構築。そして――


盟神めいしん:「天児屋根命アメノコヤネノミコト」:御業『天津祝詞あまつのりと』!!」


 至高の女神を岩屋から引きずり出した祝詞の神の霊威が、盟約に従い地上に顕現する。『彩天』の詠唱は世界に染み渡り、金色の光を放った。


「な、なるほど……そう来ますかっ……!!」


 顔を歪ませながら、満仲が目を見開く。

 真なる神子の証明――権限の発動。今この世界で彼にしか扱えない術式の効果、それに付随して引き起こされる効果は一つではない。


『彩天』の権能の応用――契神術の同時展開。


ならびに契神:「賀茂建角身カモタケツヌミノミコト」:霊験『熊野路道標くまのじのみちしるべ』」


「並契神:「八意思兼ヤゴコロオモイカネノミコト」:託宣『神意下達』」


 師輔は同時に三つの契神術を発動する。一つは術式の同時発動のための『彩天』の固有術式。もう一つは「迷い人」に「正しき道」を示す八咫烏の霊威。そして、最後が術者の思考を天が補助し、またその思考を対象とに共有する術式。


「立て直すッ!!」


 彼は戦場の兵を対象として、御所から術式を行使した。

 それを見届け、師忠は一つ頷く。


「さて、こちらはこれで良い。あとは――」


 ▼△▼


(もしもし、皆さん。聞こえますか?)


「師忠さんっ!?」


 突如海人たちの脳内に響いた声。

 伝心術式――離れた相手と思考を共有する術式だ。


(事態が少々動きました……が、説明している時間はありません)


「えっ!」


(『影』の従者が、恐らく四人ほど御所の結界内に潜んでいる。彼らを見つけ、速やかに無力化してください。猶予は幾許もありません)


 師忠にしては珍しく、焦りが含まれた声色でそう告げる。海人は困惑して、


「で、でもどうやって探せば」


(貴方の直感に任せます。人探しは得意でしょう? では)


「はぁっ!?」


 予想だにしない程の投げやりな要求に声を上げる海人たち。だが、術式はそこで切断され、結局事態は彼らの手に委ねられた。


「チッ、仕方ねェ……頼んだぞ神子さん!」


「ちょ……くっ!」


 何が何だか全く分からないが、任された以上やるしかない。海人は冷や汗を流して歯を噛みしめつつも、覚悟を決めて拳を軽く握る。


「こうなりゃ仕方ない……よし!!」


 そんな彼に向かって仁王丸が何か独り言つが、誰にも気付かれないまま風の音にかき消されていった。

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