第30話:積み重なる誤算

 ――洛南、城南宮じょうなんぐう、時忠の陣。


 右近衛大将時忠は、相も変わらず不機嫌だった。


「なんで敵の情報が入ってこねぇんだよッ!!」


 副将たちは気まずそうな顔で冷や汗を流して俯く。というのも、一刻前に送り出した斥候が帰ってこない。彼らは転移術式と伝心術式が使える軽装の兵士であるから、そろそろ何か知らせがあってもいいはずの時間だ。


「はぁ……これじゃあ進むに進めねぇじゃねえか」


 ままならない状況に、時忠のため息が木霊する。ただでさえ戦力的に劣っているのに、情報までないとなれば勝ち目などありはしないだろう。

 朝廷の為に死んでやる程の殊勝さを持っていない時忠は、戦場を目前にして進軍を渋っていた。


 そんな折、一人の兵士が陣幕をくぐって入ってくる。


「……」


 だが、彼は何も言わない。時忠たちは怪訝な表情を浮かべた。


「おい、なんとか言ったらどうだ」


「……」


▼△▼


 ――平安京、御所、近衛陣。


「時忠卿は何をしているのだ!!」


 一人の公卿が怒号を上げる。

 時忠が出陣してからもう五刻は経つというのに続報がない。術式の補助があれば、そろそろ戦場に到達しても良いはずの時間だ。


「もう良い! 私が兵を率いて出る!!」


忠文ただふみ卿、お気持ちは分かりますが……」


 困り顔で高明は彼をなだめるが、内心では高明も焦っていた。


――やっぱり、時忠卿じゃ……


 時忠の性格をよく知る公卿たちは、はなから彼が素直に命令に従うとは思っていなかった。とはいえ今は非常事態。なんだかんだで役目を果たしてくれる――そう期待していたのだが、


「怖気づいたのでしょうか」


 実頼は顔を南東に向ける。そんな彼に、師輔は鋭い視線を向けた。


「……どの口が仰る」


「はて、何のことやら」


 わざとらしくとぼけて見せる実頼。師輔は諦めたようにため息をつくと、今度は師忠を睨んだ。


「……蒼天の件はどうなっている。足取りは掴めたのか?」


「全然駄目です」


 笑顔のままぶっきらぼうに言い放つ師忠。悪びれる様子もない彼に、師輔は更に表情を険しくした。


「どうやら高階の結界もやられているようですね。全然探知に引っ掛かりません。家人に修復を命じましたが、かなり難儀している。いやぁ、してやられました。敵方はかなり上手い」


「役立たずめ」


 忌々しげに吐き捨てる師輔。師忠は肩をすくめて見せるが、やはり反省といった類の感情は伺い知れない。


「ま、まあ、今は京中の要所を兵で固め、敵襲に備える、それが最善かと。影も怖いですし……」


 高明がためらいがちに告げる。これについては反対意見が出ず、公卿たちは無言で頷いた。


「大結界さえ直れば全て解決する。それまで時間を稼げば我々の勝ちだ」


「ああ。陛下のおわす御所だけでも死守すれば、後はどうとでもなりましょうよ」


「御所の結界は生きております。なら、今は京中にいるやも知れぬ蒼天に注力すべきだ」


「異議なし!」


「影はどうなのだ」


「恐らくは影も御所の結界の対象。それに、この面子が揃う中に攻め入るほどの身の程知らずではあるまい。無視して構わないでしょう」


 皇都の結界と御所の結界。有効範囲が異なるだけで、その効力はほぼ同じ――遠距離からの転移の阻害、そして、一定以上の神気を持つ未登録のを通さないというものだ。

 一定以上の神気を持つ者は弾かれ、一定以下の神気しか持たない者では、御所に控える猛者には太刀打ちできない。つまり、結界が生きている限り御所は安全圏、後は、市街地での被害をいかに抑えるかの話になる。


「なら、当面はその方針で……」

 

 公卿たちの話がまとまり始めた、その時であった。


「火急の知らせでございます!」


「何だ!」


 突如飛び込んできた一人の蔵人。彼は恭しく跪くと、顔も見せずに口を開く。

 彼の一言は、近衛陣を再び混沌に叩き落した。


「時忠卿が洛南城南宮にて討ち死なされました」

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