第21話:邂逅

 悲鳴の発生源は、人通りのない小路にある店棚だった。


「我らに酒が売れぬと申すか、生意気な小娘が!!」


「ご、ごめんなさい!!」


 男たちに髪を鷲掴みにされ、少女は涙目で悲痛に訴えかける。見たところ、少女は十に満たないくらいの歳。男たちは酒に酔っているのか容赦する気配はない。海人は怒りで拳を握りしめた。


 ――大の大人が子供相手に……


「ん?」


 ふいに、海人は男たちの中に見覚えがある顔を見つける。


 ――あいつは、時忠の従者!!


 思わず声を上げそうになるのを必死に抑えて、因縁の相手に厳しい視線を向ける。ここでも悪事を働いていたか、と海人は表情を一層険しくし、飛び出そうとしたところで理性がストップをかけた。


 ――いや、普通に行っても前みたいにボコられて終わりだ。何か策がないと……


 海人は思考回路をフル回転させる。だが、良い手は思い浮かばない。相手は見たところ八人。全員体格は彼より上。まともに組み合ったら敗北は必至。そうなると状況は変わらずやられ損。これでは目も当てられない。


「くそっ!」


 しかし、こうしている間にも少女は痛めつけられている。焦燥感に駆られる海人。


 ――いっそダメもとで突っ込むか!


 差し迫った状況が、彼を早まらせる。

 だが、海人が右足を踏み込んだ、ちょうどその時だった。


「大の大人が子供相手に手を上げるなど、見苦しいにも程があろう」


「――!?」


 よく響く、透き通った声。そこに立っているのは、一人の青年だ。彼は紺碧の双眸に怒りと軽蔑を浮かべて、目の前の男たちを睨んでいる。

 俄かに張り詰める空気。小路を吹く風が彼の薄橙の髪を揺らした。


「貴様、何者だぁ?」


「我らを誰だと心得る!」


「摂政殿下の御甥にして前左大臣さきのさだいじんが嫡子、従二位じゅにい大納言兼右近衛大将うこのえのたいしょう藤原朝臣ふじわらのあそん時忠ときただ卿が家人であるぞ! 控えよ! 頭が高い!」


 男たちは各々好き勝手に騒ぎ立てる。彼らは目の前の青年に標的を切り替え、少女を突き飛ばした。青年は恐怖で声も出ない少女を優しく受け止めると、彼女の涙を拭って優しく微笑みかける。


「怖かったな。だが、もう案ずることはない。後は私に任せたまえ」


「はぁ? 俺らは客なんだよ! 余計な口出すんじゃねェ!!」


 青年は男の言葉を無視して、


「君は奥で隠れていたまえ」


 少女の頭に優しくポンと手を置き、穏やかにそう囁く。少女が無言で頷くと、青年は「良い子だ」とだけ返し、男たちを再び睨みつけた。 


「主の威を借りて増長するなど、見るに堪えん小物め。身の程を弁えよ」


「な、何をッ!!」


「貴様こそ身の程を弁えろっ!!」


 顔を真っ赤に染めて、男たちは青年に殴り掛かる。一対八。青年の体格は海人よりは良いが細身。何よりあまり強そうには見えない。


 ――まずいっ!!


 態度は堂々としており、気品に溢れているが、そんなもの実戦ではさしたる意味を持たない。数秒後には血祭りに上げられるのが目に浮かぶ。海人は、目の前の勇気ある青年を見殺しになど出来なかった。


 ――ええい! こうなりゃヤケクソだっ!!


 海人は覚悟を決めて物陰から飛び出そうとする。だが――


「ぐふッ!!」


「がァ!!」


「ぬォッ!!」


 立て続けに倒れたのは、青年ではなく男たちのほうだった。青年は、地に伏しうずくまる男たちの真ん中に、涼しい顔をして立っている。


「……は?」


 一瞬の出来事だった。海人の目には、男たちが殴り掛かった瞬間、なんの前触れもなく倒れたように見える。残りの男たちもそのまま青年に向かっていくが、同じように皆何もできずに倒れ込んだ。


「つ、強ぇ」


 海人は思わず呟く。そんな時だった。


「クソガキがッ!!」


「――!?」


 さっき倒したのは七人。まだ一人いる。その最後の一人が、青年の後ろから太刀を振りかぶった。


 ――危ないっ!!


 青年は無手。幾ら彼が強いといっても圧倒的に不利。このままだと斬られる。そんな時、何気なく突っ込んだポケットの中で握られた数枚の紙。


 ――霊符!


 海人は術式を使えない。しかしこの期に及んで、そんなのは些細なことだった。ついに海人は飛び出し、手を振りかぶる。


「霊術! 氷晶ひ――」


 その瞬間、眩い光が放たれる。発動失敗の時のお決まりのパターンだ。しかし、それで良い。


 パァン!!


 霊符の暴発。乾いた音が鳴り響く。


「ッ!?」


 突然のノイズに、男の動きが一瞬鈍る。青年はその隙を逃さなかった。


「ふっ!!」


「ぐァッ!!!!」


 華麗な回し蹴りが男の横っ腹を薙ぎ払う。男はそのまま宙を舞い、壁に叩きつけられて動かなくなった。極度の緊張で息も絶え絶えの海人。そんな彼に、青年は穏やかに微笑みかける。


「助かった。礼を言う」


「お、おうよ……」


 海人は壁にもたれ掛かりながら、力なく手を振った。

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