第15話:二日目の夕食

 風呂から上がると、夕食の良い香りが漂ってくる。海人にとってはこの世界で二回目の夕食だ。そして、今日は屋敷の人間が全員揃っている。


――つまり、親睦を深める絶好の機会!


 彼がこの先一緒に暮らしていくであろう人たちとの関係を決定づける重要なイベントだ。昨日の師忠との夕食のように、無言で終わらせるわけにはいかない。


――よし、今日こそは!


 決意を胸に、海人は長い廊下を歩いていく。そんな時、何か棒でも振るような音が聞こえてきた。ふと庭を見ると、仁王丸が木刀を素振りしている。


「五百四十五、五百四十六……」


 ――この世界でも素振りあるんだ……にしても、頑張ってるなぁ。


 そんな感想を抱き、海人は彼女に声を掛けようとした。だが、何を言っても嫌な顔をされるのが目に見える。

 結局、海人は喉まで出かかった声を引っ込め、そのまま立ち去った。


 ▼△▼


「湯加減はいかがでしたか?」


「ええ、バッチリでした!」


 実を言うと少し熱かった気もするが、そこはこの際気にせず海人はニコリと笑う。そんな彼の表情に、師忠は満足そうに幾度か頷いた。


「そういえば、お風呂の準備とかって誰が……」


「犬麻呂と仁王丸が交代交代でやってますね。今日は仁王丸がやっておいてくれました。本当は犬麻呂の日だったんですがね……」


「へえ、当番制か」


 そんな生活感満載の返答に、海人は親しみを覚えて穏やかな表情を浮かべた。ただ、海人としては少し気になることもある。


「……てか、こんな広い屋敷3人で回せるもんなんですか?」


 迷子になるレベルで広い貴族の屋敷。部屋も多ければ物も多い。到底そんな少人数で管理出来るとは思えないが――


「問題ありませんよ。食事の用意や買い出しなどは表の方でやってくれますし、こちらでやることといえば掃除洗濯くらいです。それに、術式の補助もありますので」


「なるほど……」


 ――術式の補助か。


 別に全部人力でやる必要はない。言われてみれば確かにその通りである。

 まあ、海人にはそれが具体的にどういうものかは皆目見当もつかないのだが。 


 それはさておき、気になることはもう一つある。


「結局表って何なんですか?」


 昼間犬麻呂が案内してくれなかった『表』の高階邸。今のところ海人にとっては食事が作られているところ以上の情報がほとんどない。これではほぼ給食センターだ。

 怪訝な表情を浮かべる海人に、師忠は表情を変えずに口を開く。


「表向きの高階邸ですよ。朝廷の賓客をもてなすときなどはそちらで行いますし、大多数の家人は表にいますね」


 ――ああ、表ってそういう?


 何か特殊な意味があると思っていた海人は、その文字通りの意味に少し拍子抜けする。だが、すぐに別の疑問にぶつかった。


「じゃあここは?」


「こちらは『裏』の高階邸です。ちょっと位相がズレた場所にありますから、身内しか入れないようになっていますね」


「位相が、ズレてる……?」


 どう考えても平安っぽくない響きの単語に、海人は怪訝な表情を浮かべる。そんな彼に、師忠は人差し指を立てると教え諭すように口を開いた。


「空間術式の応用――高階の秘術の一つです。まあざっくり言うと、同じ場所なのに違う場所にある、といったところでしょうか」


「分かったような、分からんような……」


 とにかく、なんか凄いことやってるらしい――その程度の理解しか出来ず、海人は小難しい表情を浮かべた。

 だが、師忠もそれ以上は求めていなかったらしく、どこか満足げな表情で海人を見つめている。


「まあ、細かいことはいっか」


 海人も海人で疑問は概ね解消出来たらしく、これ以上の詮索はよすことにした。

 そんな時、犬麻呂と仁王丸が部屋に入ってくる。師忠は穏やかな表情のまま頷いた。


「では用意も出来たことですし、夕餉といたしましょうか」


 ▼△▼


 食卓に並んだのは、昨夜と変わらず豪華な食事だった。肉は無いが、様々な野菜、魚が綺麗に料理されている。さすがは貴族の夕食といったところだろう。

 そんな時、海人はふと一つの皿に目がいった。


 ――刺し身あるじゃん。


 平安京は海から遠い。そのままではどうしても鮮度が落ちてしまう。だから、昔は塩漬けにしたり干物にしたりして何とか運んで来ていた。鯖街道とかいうやつはそのルートの一つだ。

 しかし、今目の前にあるのは生魚。それも結構鮮度の良さそうなもの。これも恐らく術式の応用なのだろう。どうやらこの世界は海人の想像より進んでいるらしい。


「はぇー……」


「何鯛の刺身見てため息ついてンだよ。もしかして生魚無理なクチか?」


「いや、そうじゃない。むしろ好物……てか天ぷらもあるじゃん」


 確か天ぷらの発明は江戸時代じゃ……などと考えながら、海人は驚いたように息を漏らす。そんな彼に、犬麻呂は海老天をつまみながら、


「昔の人ってスゲェよな。よくこんなの思いつくぜ」


「昔の人?」


「ああ。この辺の料理や調味料は、全部都が近江や飛鳥にあったころに考えられたもんだ。浄御原帝のよく分からん思いつきを、膳職ぜんしきの官人があれこれ試行錯誤したり、時には唐に渡って探し求めたりしながら今の食事は出来てきたッてわけよ」


「なるほど。てか、また出た浄御原帝……」


 ここ二日で何度聞いたか分からないその名前。犬麻呂の言葉を借りると、皇国の全てを造った名君中の名君らしい。ただ、海人はその全てに食文化まで含まれるとは思ってもみなかった。


「この世界の天武すげぇな……」


 そうこぼすと、海人も料理に口を付ける。


「うん、今日も美味しい!」


「お気に召されたようで何より」


 ニコリと微笑む師忠。笑顔で返す海人。特に反応のない佐伯姉弟。


「……」


 これっきり会話は途切れ、皆は再び食事に意識を向けた。


――これはなかなか……おっ、この椀物茶碗蒸しじゃん!


 豪勢な料理にご機嫌な海人。黙々と箸を進める師忠たち。とても穏やかで、とても静かな――


「……ん?」


 そんな時、ふいに海人は手を止める。そして、当初の目的を思い出した。


 ――あ、コレ昨日と同じパターン……


 そう、彼は別に夕食を楽しむためだけにここへ来たのではない。彼の目的は師忠たちとの交流だったはず。茶碗蒸しなどにうつつを抜かしている場合ではない。


 しかし、口下手の海人にはどうすることも出来ず、ただ時間だけが過ぎていった。

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