第14話:つれない少女
「えらく長い屋敷案内でしたね。それに、こんなに汚れて……」
夕方になってようやく帰ってきた海人たちに、師忠は呆れたような表情を見せた。海人と犬麻呂は顔を見合わせ、バツの悪そうな表情を浮かべる。どこか親し気な彼らを見て、師忠は「まったく」と穏やかな表情でため息をついた。
「ともかく、犬麻呂はあとでお説教ですね」
「はぁ!?」
「貴方は護衛役のはずです。見てご覧なさい、神子様はボロボロではありませんか」
「いや、それは神子さんが」
「言い訳は無用。それに、私は『表』も案内するように言いましたよね?」
「げっ、なんでバレて――」
「私の情報網を見くびらないことです」
表情こそ穏やかだが目は笑っていない師忠。そんな彼に、犬麻呂の顔はどんどん青ざめていく。海人は「まあまあ」と二人の間に割って入った。
「あんまり犬麻呂を責めないであげてください。この怪我とか大体全部俺のせいだし」
「そうは仰いましても……」
「まあ、ここは俺の顔に免じて、ということで」
俺の顔が何だというのだ、と自分で思いながらも、海人は師忠にそう告げる。師忠はすこし困ったような表情を刹那浮かべたのち、一つため息をついた。
「そういうことなら……犬麻呂、お礼を言っておきなさい」
「あんがとな」
「軽っ! いや、全然いいけど……」
どこか釈然としない表情を浮かべて、海人は師忠に小突かれる犬麻呂を見つめる。そんな時、ふと師忠が口を開いた。
「さて、汚れたままというのもあまり宜しくないでしょう。離れに湯殿がありますのでどうぞお使いになって下さい」
「ユドノ……?」
「湯を桶に張り、身体を清める小屋ですよ」
「湯殿……風呂か!」
あるとは思っていなかった現代人の日常、風呂。その存在に驚きつつも、海人は胸を高鳴らせる。別に風呂好きとかそういう訳ではないが、あるならあるでありがたいのだ。
「なら、遠慮なく使わせてもらいますっ!」
▼△▼
「って、湯殿どこだよ」
離れにある小屋とは言っていたが、屋敷が広すぎて離れがどこか分からない。また、それらしい小屋もいくつかある。そうこうしているうちに海人は道に迷った。
「犬麻呂の奴、適当に案内しやがって……」
周りは知らない部屋ばかり。どうも犬麻呂が案内したのは屋敷のほんの一角だったようだ。しかも人っ子一人いない。昼間に案内された時もそうだった。どうやらこの屋敷は師忠、犬麻呂、仁王丸の三人で回っているらしい。
「困ったな……」
これでは道を聞く相手もいない。仕方ない、戻るか――そんな考えが過った時、廊下の向こうから歩いてくる人影が一つ。
「……!」
例の少女、仁王丸だ。ふと、彼女と目が合う。が、彼女は会釈すらせずに目を逸らした。そして、まるで海人がいないかのような態度のままこちらに向かって歩いてくる。海人は若干の気まずさを覚えつつも口を開いた。
「あの……湯殿って」
「……」
「……湯殿ってどこ?」
そんな海人の問いかけに、仁王丸は面倒そうな表情で答えた。
「……この廊下を左に曲がった突き当り、そこを右に出た建物です」
「あ、ありがとう」
「……」
仁王丸は何も言わない。彼女は海人を一瞥することもなく、そのまますれ違おうとする。そんな時、何を思ったのか彼女はふと立ち止まった。
「……弟が粗相を働いたようですね。代わりにお詫びを」
「えっ、いや、別にあれは……」
「そうですか。なら結構」
感情のない声で淡々と返す仁王丸。海人はそんな彼女に気まずさを感じつつ、引きつった笑みを浮かべた。仁王丸は振り返ることもなく、再び歩みを進める。
「ではまた後程」
「後程?」
「宰相殿から夕餉への同席を命じられておりますので」
「ああ、なるほど」
「それでは」
終始そっけない、つれない態度のまま彼女は去っていく。最初から割りと馴れ馴れしかった犬麻呂とは正反対だ。
――どうしたものか……
彼女との距離の詰め方が分からないまま、海人は一人、誰もいない廊下を進んでいく。
「すみません、右に曲がって左です。言い間違えました」
「うぉっ!?」
突如横に現れた仁王丸に頓狂な声を上げる海人。そんな彼を一顧だにせず、仁王丸は涼しい表情のまま再び去っていった。
――なるほど。生真面目、か……
小さくなっていく彼女の背中を眺めつつ、海人は犬麻呂の言葉を思い出す。そして、物思いに耽りながら廊下を歩いていった。
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