第6話:名無しに名前をつけましょう

 己のあずかり知らぬところで、揺らいでいた自分という存在。信じられないこと続きの現実の中で、唯一信じられると思っていた自己ですら、もはや少年にとって信じられなくなってしまった。

 そんな現実を、少年の脳は拒絶する。


 ――そんな馬鹿なことがあるか! 自分の名前だぞ!? そんな異常事態……いや、そもそも転移が異常事態なんだ。何が起こってもおかしくない。この期に及んで自分の常識でことを推し量ろうとすること自体が馬鹿だ。これしきの事でパニクってどうする! 落ち着け、とりあえず素数を数えよう。1、2、3……1って素数だっけ?


 少年の思考が脱線し始め、本格的にこんがらがりそうになってきた。

 そんな時、師忠はふっ、と笑みをこぼす。


「すみません。少し意地悪な問いを発してしまいましたね。」


「え」


「貴方、自分の名前が分からないのでしょう?」


「………………………………は?」


 全てを見透かしたかのような口ぶりで言い放つ師忠に、少年は驚きを禁じ得ない。

 だが師忠は、穏やかな表情のまま幾度か頷くと、少年の目を見てニコリと笑った。


「なにはともあれ、これで晴れて貴方が『再臨』である確証が取れました」


「確証……?」


 困惑する少年をよそに、師忠は指を立てて首を傾ける。


「ええ。ただ、名前がないのは不便でしょう? ですから、ここはまず仮の名前をお持ちになってはどうでしょうか?」


「どうでしょうか、って……」


 名前を忘れた。でしょうね知ってました。じゃあ付けましょう! 

 それが、ここまでの流れである。突拍子がないにもほどがあろう。情報過多で少年はただただ唖然とするばかりだ。

 だが、師忠は待ってくれない。


「私の知り合いに、腕のいい陰陽師がいるんです。彼ならきっと、良い名を付けてくれますよ」


「お、陰陽師……!? いや、そんな急に言われても! それに」


「大丈夫です。もう話はつけてあります。では」


「ちょっ、ちょっと待って! 考える時間を――」


 師忠は少年の話を無視して、笑みを浮かべたまま手を叩いた。


 ――っ!!


 少年を浮遊感が襲う。そして、入れ替わる光景。少年の目の前にあったのは、師忠邸ではない別の誰かの屋敷だった。


「な――!?」


 ――瞬間移動!?


 いきなりの出来事に腰を抜かす少年。そんな彼を見下ろす、一つの人影。


「えっ誰!?」


「へえー。このお方が神子様ですか」


 彼は興味深そうな視線を少年に向けている。中性的な顔立ちだ。もしかしたら彼ではなく彼女かもしれない。やや薄い緑がかった髪、高くも低くもない背丈、そして青と緑のオッドアイは、その人物の神秘的な雰囲気を引き立たせていた。


「えっと……近くない?」


 学生服の少年は思わずたじろぐ。だが、オッドアイの少年は不思議そうな顔を浮かべたままだ。


「もしかして、なにか付いてる?」


「ええ。憑いてますね」


 彼はニコっと笑って答える。そして、くるりと翻って一礼した。


「ささ、師匠がお待ちです。中へどうぞ」


 ひとりでに開く屋敷の門。もはや少年は自動ドアごときで驚かなくなったが、気になるのは彼が何者かということだ。


「君は一体……」


 そんな少年の問いかけに、彼は人懐っこい笑みを浮かべて答える。


「ワタクシは賀茂忠行かものただゆきの弟子、安倍晴明あべのせいめいと申すものです。今後お見知りおきを」


安倍あべの晴明せいめい!?」


「いかにも。ワタクシのことを神子様はご存知で?」


 不思議そうな顔をして、晴明は頬に指を当て小首を傾げる。そんな彼をまじまじと見て、少年は少し興奮気味に口を開いた。


「え、いや、まあ…………ホントにあの晴明だよな?」


 少年の問いを受けて、晴明は左右で色の異なる綺麗な瞳を細めつつ、怪訝な表情をする。そして再び少年のもとに近づき、人差し指を立ててポーズを取った。


「あなたがいう晴明がどの晴明かは存じ上げませぬが、ワタクシは安倍晴明にございます。それ以上でもそれ以下でもございません!」


「お、おう……」


 ふふん、とどこか自慢げな様子の晴明に気おされる学生服の少年。今のどこに自慢できる要素があったのかはよく分からないが、まだあどけなさの残るオッドアイの少年はなぜかご機嫌であった。


「で、でも、あの晴明が俺の名前を付けてくれるってんならまあ……」


「名付けはワタクシの仕事ではございませんよ?」


「え、じゃあ誰の」


「さっき言ったじゃないですか。皇国一の大陰陽師にして我が師、賀茂忠行ですよ」


「誰?」


「えっ……ご存知ない?」


「ご存知ない」


「そ、そうですか……ま、まあ、細かいことは後にして、とりあえず中へお入りください」


 晴明は師匠の知名度の低さに少しショックを受けた様子だ。だが、すぐに機嫌を直して鼻歌交じりに師忠一行を招き入れる。聞いたこともない歌だが音痴だ。


「お、お邪魔しまーす……」


 促されるままに一行は屋敷へと迎え入れられる。中には、見たことのない道具や調度品がいくつもあった。


「なんだこれ」


「あ、その辺の物勝手に弄らないでくださいね。一応これも」


「痛あぁぁぁ!!」


 バチン、という音とともに少年の手が弾かれる。ミミズ腫れができた彼の手を見やって、晴明は「あちゃー」と顔を手で覆った。


「式神の依り代なので迂闊に触れると怒りを買いますよー、って言おうとしたんだけどなー」


「え、式神!? 何っ? 大丈夫コレ!? 祟られない? 傷口腐ってきたりしない!? 大丈夫!?」


「大丈夫ですよー。その子はそこまで荒っぽくはない。いきなり触られてビックリしただけです。唾つけときゃ治ります」


 晴明の言葉に胸をなでおろす少年。


――しかし式神か。いよいよファンタジー感増してきたな……


 そんな時、ふと戸がひとりでに開いた。


「さっきもだけど、この時代って自動ドア標準装備なの?」


「じどうどあ? とやらが何かは分かりませんが、多分違います。これも式神です」


「式神ってそんな何でも屋だっけ?」


「そうですよ!料理・洗濯その他家事とかなんでも命じたらやってくれます。あ、でもこの前買い出しを頼もうとしたら兄弟子にいさまに止められました」


「そりゃそうだろ」


「なんでだろー」と不思議そうに呟く晴明に対し、少年は冷や汗交じりに呆れた表情を見せる。


「おしゃべりが過ぎますよ、晴明」


 少年たちが廊下でわちゃわちゃしていると、待ちかねた屋敷の主人が奥から出てきた。

 見るに歳は50手前、白髪の混じった頭に髭を蓄え、いかにもその手の人物といった雰囲気漂う人物。ありていに言えば胡散臭い。師忠とは違う方向性で胡散臭い。

 彼は少年の方を見ると、穏やかな笑みを浮かべた。


「貴方が神子様でございますね。お初にお目にかかります。私が賀茂忠行にございます」

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