第17話:どうやら俺は鈍感らしい……なんで?

 幾度となくこうして彼女……アニエスと打ち合っただろうか。

 日もすっかりと落ちて、松明で轟々と灯る炎だけが唯一の明かりになった頃、一颯はそんなことを、ふと思った。


 短期間による猛特訓としてアニエスに課した修練方法は、常人であれば精神が崩壊したとしてもなんらおかしくはなかった。


 最初の時点でやはり辞めるべきか、とそう思った一颯だったが、無様な姿をそこに晒しながらも剣を握り立ち向かおうとするアニエスの強い意志を前にすれば、そのような考えもきれいさっぱりと消えた。


 あぁ、この娘は本当に強くなろうと心から願っているのだ。

 門下生の本気に応えるのが師範代としての務めというもの。


 とことん最後の最後まで付き合ってやる……! 現在いまに至るまでの間ずっと、一颯は心剣で幾重にもアニエスの柔肌を斬りつけた。



(動きが遥かに良くなった……無駄な力みも消えて、柔軟に俺の太刀筋に対応してくる)



 夕刻の時点で75回目の斬殺を終えた辺りのことだ。

 最初の太刀合いにて、一颯がアニエスに対してつけた評価は及第点に遠く及ばない。

 素人丸出し。本能のままにぶんぶんと力任せな太刀筋は酷いの一言に尽きた。

 よくもまぁ、この程度の腕前で生き残ってきたものだ。

 そう思わずにはいられず、彼女が強い興奮に恵まれた存在だと一颯も認めざるを得ない。

 そしていざ、正真正銘の殺し合いでアニエスは何度も無様な死に体を晒した。

 空もすっかり満天の星が目立ち、いよいよ一日が終わろうとした最中。



「――、次で最後だ。アニエス」



 静かに、しかし鋭く一颯はそう告げた。

 過去のアニエスはとっくに死んだ。今目の前で剣を構えているのは一人の剣士。

 全身より満ちる闘気は凄烈にして鋭利。一点の淀みもなく、ついさっきまでの泣き顔が今やとても雄々しい。

 絶対的な自信で満ち足りた相手に、いつまでも心剣無手で対峙する方が無礼というもの。

 よって一颯もこれより先は真剣にて応えるべく、村正をすらりと抜いた。



「……行くぞ!」



 一颯は地を強く蹴った。

 本来、一颯が得意とするのは陰の太刀。


 相手の行動に対して即座に動く、後の先を主とする太刀筋だがこの時だけは、滅多に使うことのない陽の太刀をもってアニエスと対峙する。


 別段使えないのではなく、単純に使っていないだけ。


 鬼鉄一刀流おにがねいっとうりゅう龍逎りゅうしゅうによる一脚は大砲さながらの轟音を森にこだまさせて、術者を一陣の稲妻へと変える。


 ただ敵手へと肉薄して唐竹に斬り捨てる、たったこれだけの動作にして鬼鉄一刀流おにがねいっとうりゅうでは基礎でもあると同時に奥義だ。


 単純だからこその強みを一颯は、遺憾なくアニエスへと発揮する。

 もちろん今度は真剣なので当たれば確実に死が訪れよう。



(さぁ、どう出る! お前はどうする、アニエス――!)



 全力疾走によって逃亡は不可能、全体重を乗せての打ち込みは防御不可能。

 一撃必殺を正しく具象化した太刀を前に、アニエスは――やはり動じない。

 瞬きすることなく、カッと見開いたその両目にしかと一颯の姿を補足する。

 そしてついに、稲妻が天上より地へと落ちた。

 けたたましい金打音が夜の静寂を斬り捨てる。



「……お見事だ」と、一颯。



 ニッと小さく口元を緩める彼の喉元には、鋭い切先が突きつけられている。



「はぁ……はぁ……っ……はぁ……!」



 アニエスは、まだ生きてきた。

 一撃必殺だった一颯の太刀筋をラウンドシールドによる弾きで反らし、間髪入れずにロングソードで刺突を放つ。


 全身からどっと流れる滝のような冷や汗に、微塵の余裕さえもない強張った表情かおこそしてるが、だがアニエスが勝者であるのは紛うことなき事実だ。


 死の恐怖を克服し、ついに本物の剣士として成長したアニエスに、一颯は静かに葦太刀あしだちひるがえすと納刀する。


 これでとりあえず最初の関門を無事に突破させることができた。

 そう心中にて安堵の息を一人もらした。



「ようやくスタートラインに立てたってところだが、わずか一日でこなせたのはやっぱりお前自身の才能によるものが大きい。間違いなく、お前は前よりもずっと強くなってるぞアニエス」



 一颯がそう告げた、次の瞬間。

 それまでぴんと張り詰めた緊張の糸が安心感から途切れたのだろう。

 糸が切れた人形よろしく、前のめりにぐらりと崩れるアニエスを一颯はさっと支えた。



(気を失ってやがる……まぁ、当然っちゃあ当然か。よくもまぁ、これまで意識を保てたもんだ)



 正直なところ、もっと時間を要するものとばかり一颯は思っていた。

 一朝一夕で人が強くなるなど、まずありえない。

 血の滲むような修練を幾度と、長い年月を費やしてようやくはじめて人は強くなれる。

 付け焼き刃ことこそ、返って一番危ない。


 そんな心配も今となっては全部杞憂に終わり、予想していたよりも遥かに成長っぷりを見せたアニエスには一颯も驚愕するも、同時に我がことのように嬉しくも思う。


 自分がはじめて担当した門下生が目に見える形で成長を遂げたのだから、なかなか感慨深いものがグッと心に込みあがる。



「……よく、頑張ったなアニエス」



 そっと、頭上にぽっかりと浮かぶ満月のような彼女の金色の長髪をそっとかきあげれば、満足そうに微笑む美しい顔がそこにあった。



「……ちぇ。やっぱりこうなっちゃったかぁ」



 と、そう不満そうに呟く楓を一颯は「こらっ」と咎める。

 殺すつもりでやらなければアニエスがここまで成長することはきっとなかった。

 だから加減なく、強烈な殺気を幾度と当てたし最後には真剣も用いた。

 されど別段、本当に命を欲したわけではない。

 殺すつもりとは言っても、その辺りの線引きはしっかりと一颯も弁えてはいたつもりだった。



「人が不幸になるようなことを言うもんじゃないぞ、楓」

「ふーんだ。お兄ちゃんにはわかんないんでしょうねぇ」

「……何が言いたいんだ? 言いたいことがあるのならハッキリと言えばいいだろ」

「べっつにー。これはお兄ちゃんがしっかりと気付いてくれないと意味ないんだから、私からは絶対に教えないもーん」



 すっかり拗ねた様子でそっぽを向いてしまった楓はそそくさと、この場から離れていく。


 何が言いたかったのか、さっぱり皆目見当もつかない一颯が小首をひねっていると、ずっと静観していたリフィルがもそりと口を開いた。



「……鈍感ですね」と、たったそれだけ。



 鈍感……何が? 更にわからなくなった一颯は、先々と去っていくリフィルの後ろを姿を怪訝そうに見送ることしかできなかった。

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