第16話:秘めたる歪んだ想い

「あのお二人は……さっきから何をやっているのですか? というか今わたくしは何を見せられているのでしょうか」



 一颯とアニエス、二人の修練模様は傍から見やれば――せいぜい、演技をしているようにしか思わぬだろう。

 何せ片や剣を抜いているのにもう片方は無手なのだから。


 これのどこか修練なのだろう、と少なくとも随伴者であるリフィルにはそのようにしか映っておらず、代わりに楓がその疑問に答えたが、得意げそうな表情かおはリフィルを見下している。



「近衛兵長なのにそんなこともわからないんだ」と、楓。

「……では、どういうことかご教示願えますでしょうか?」と、返すリフィル。

 口調こそ冷静なままだが、楓を見据え返す瞳には明確な怒気は強く宿っている。

「……お兄ちゃんが使ってるのは心剣よ」

「心剣……?」

「そう、心剣。殺意の投影って言ってもいいかな」

「殺意の……」

「こんな話聞いたことない?」



 と、小首をひねるリフィルに楓は相変わらず我が功績の如く、得意げに語り始める。

 遠当て、という技法がある。

 この技は本来、殺気を相手に当てることで気勢を削ぐことを目的とする。

 流派、もとい仕手の力量にとっては物理攻撃に用いる者も少なからずいる。



「お兄ちゃんがやったのは、強烈な殺気をアニエスに当てたことで、あたかも本当に真剣を持っているように錯覚させたの。死のイメージをより強力にアニエスにさせたって感じかしら。だから本来あるはずのない刀の幻覚も見るし、斬られてないのに本当に斬られたって錯覚しちゃう」

「なるほど……ですが、肉体は無事かもしれませんが精神の方は無事ではないですよね?」

「そりゃあもちろん」



 と、リフィルからの何気ない一言に楓は静かに首肯した。



「何度も強烈な死をイメージさせられるんだから、精神が弱かったらいずれ崩壊しちゃうわよ。だからアニエスは早く、お兄ちゃんの心剣に立ち向かえるだけの強靭な精神力と覚悟を手に入れないと……冒険者どころじゃないわね」

「……カエデ様。なんだか嬉しそうじゃありません?」



 と、訝し気な視線を浴びせるリフィルに、楓は「そう?」と返す。

 ただし彼女の顔にははっきりとした嬉々とした表情かおが浮かんでいた。



「正直言うとね、私はお兄ちゃんがアニエスを鍛えるのは反対だったの。だってあの人も大会に出場するんでしょ? 負けるつもりなんか更々ないけど、でも不穏な因子は早い内から芽を摘んでおくのに限るじゃない?」

「はぁ……まぁ、確かにそうですね。それは、一理あるとは思います」

「それにね」と、楓。次の瞬間、笑みを浮かべていたはずの表情かおが酷く歪む。それは嫉妬、怒気、殺意……この世に現存する、ありとあらゆる負の感情が収束したかのように、どろりどろりと混ざり合った楓の表情かおに、いつも平然としているリフィルも、この時ばかりは頬の筋肉をひくりと釣り上げている。

「私にはわかるもん。あの人……アニエスは絶対に私の障害になる。今はお兄ちゃんに特別な感情は多分ないんだろうけど。でも必ずお兄ちゃんを狙う意地汚い雌豚になる。もしそうなったら私、全力で叩き潰さないと」

「そ、そうですか……」



 と、どす黒い笑みを隠すことなく表情かおにする楓にリフィルはその一言を返すので精一杯だった。



「――、お兄ちゃんは絶対に渡さない。誰にも、絶対に……私だけのお兄ちゃんなんだから」



 楓が兄……大鳥おおとり 一颯いぶきに兄妹以上の感情を寄せたのは、ずっと昔のこと。

 当時の楓は今のように活発な性格ではなく、どちらかと言えば引っ込み思案で泣き虫な少女だった。

 刀を握るなどもっての他で、それが何故こうまで女武者としての実力を身に付けたか。

 すべては兄を……一颯いぶきを悪い虫から守るため。

 非力のままでは自分のように弱っちい人間なんかあっという間に潰されてしまう。

 そうならないためにも楓は女人でありながら、剣を得る道を自らの意志で選んだ。

 幸いだったのは、楓は女人でありながら武人としての才能に恵まれていたこと。

 短期間でメキメキと腕を上げて、今では“月姫”という大層な敬称で親しまれている。



「――、お兄ちゃん……」



 楓にとっての一颯とは、すぐ身近にいる異性にして誰よりも頼れる存在だった。


 貧乏だと常に周囲から揶揄された楓は、それが思春期特有の男性心理だと当然幼い彼女がそうと気付くはずもなく。



 イジメられたらいつも一颯が、颯爽と助けてくれる。


 そのようなことが何度も繰り返しあれば、兄妹として以上の感情を抱いてしまうのは、寧ろ当然だったと言ってもきっと過言ではなかろう。



(私は、お兄ちゃんが好き……ううん、誰よりもずっと、心から愛している)



 これから先ずっとお兄ちゃん以外を愛さない……。楓はそんな絶対的確信があった。

 他の威勢など有象無象、路傍の石に等しい。

 いつか必ず、自分が兄の伴侶となる。


 兄妹同士……もとい、血縁関係者同士による近親相姦や結婚は基本、葦原國あしはらのくにでは禁忌とまではいかずとも、それでも異端視する者は少なくはない。


 もっとも、楓からすれば知った話ではない。

 言いたい奴はそうのたまわせておけばいいし、逆に自分がどれぐらい兄……一颯を愛しているか証明する。


 それぐらいの覚悟と気概がある楓は、つい最近になって一つの不安に心中穏やかでない。

 リフィルと出会ってからというものの、圧倒的に一颯に関わろうとする女性が増えた。

 これが勘違いであればどれほどよかったことか。


 事実、キャプテン・ユーリをはじめ、漁港都市グリムゲルデ、現在いまではアニエスが――これまでお兄ちゃんの周りには女なんかいなかったのに! どんどん増えていく女の影に、楓の胸中ではどんどん焦燥感が募っていくばかりだった。


 恐らくこれからも兄の周囲には女が集まるだろう、それも一癖も二癖も強い。

 そうなった場合、楓は己に勝ち目がないことをよく知っていた。

 楓の想いは言わば、一方的によるものだ。

 肝心の当の本人にその気はこれっぽっちもない。

 いくら好きだと言っても兄妹を理由にして、はぐらかされてしまう。


 だからこそ楓が【ValkyrieBraveアリーナ】に懸ける想いは炎よりも苛烈で、勝つためであれば手段もいとわない。



(お兄ちゃんは、誰にも渡さない。渡すもんか……邪魔する奴はみんな、殺してやる……)



 決意を新たにした楓は、改めて視界と意識を前方へと集中させた。

 まだ一颯の心剣にアニエスは意識を保っている。


 大粒の涙をぼろぼろと流し、全身は冷や汗でべっとりとして、よくよく見やれば下腹部より下……すらりとして健康的でむちっとした太ももを黄色を帯びた液体が滴っている。


 圧倒的恐怖を前にしたことにより小水を漏らすその姿はあまりにも無様と言う他ない。


 さっさと倒れてくれればいいものを、と楓がすこぶる本気でそう願うのとは真逆に、アニエスは醜態を晒しながらも果敢に一颯へと挑んでいく。


 気に入らない。楓は忌々しそうにアニエスをじろりと睨んだ。

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