第12話:収入源の確保は大事

 突然の制止に一颯は、はてと小首をひねった。



「どうかしたのか?」

「あなたに、お願いがあるの」

「お願い? あぁ、それなら心配しなくていいぞ」、と一颯。



 大方、病院への治療費についてだろう。

 一颯から見ても彼女、アニエスはお世辞にも俗に言う金持ちには到底見えない。

 だから治療費についてアニエスが心配するのも、まぁ無理もなかろう。


 金に余裕がないのは双方共にお互い様で、ではどうして裕福ではない一颯が賄えたかというと、その答えは至って単純なものである。


 金がないのならば稼げばいい。

 方法は十人十色、飲食店で臨時従業員になるのも良し。他者から奪うのも良し。

 一颯が選んだのは言うまでもなく前者の方で、幸いなことに顧客ならばすぐ目の前にいた。



「彼のマッサージ、とっても気持ちよかったわ……」

「グイグイッて、もうやめてって言ってるのに強引で乱暴に圧してくるんだもの……」

「あんな風にされちゃったらお姉さん、もう我慢できなくなっちゃう……」

「ちょ、いいなぁ。アタシもやってもらいたかったなぁ……」



 外で口々に聞こえる内容はまたしても、事情を知らぬ者からすればさぞ卑猥な内容と錯覚したことだろう。

 一颯は確かに、己が肉体を対価として支払った。

 自らの特技を生かせる唯一無二の方で、だが決して性的なものではない。



(まぁ、俺もまさか肩もみだけでこんなに馬鹿稼ぎできるだなんて思ってなかったよ……)



 この企画の立案者は楓であった。



「お兄ちゃんが肩をもむとすっごく気持ちよくてついつい眠っちゃいそうになるって結構評判だから、それを商売にしてもいいんじゃない?」



 と、妹からの提案に最初こそ一颯も否定的な考えだったのは否めない。


 たかが肩もみだ。一颯が正式な按摩あんま師であったのならばあるいは、事業として成立したかもしれないし、今のような貧乏生活からも脱していただろう。


 按摩あんま師として技量は皆無である自分にできるわけがない。

 恐らく自国であったのならば、きっとそうだったに違いあるまい。

 ここは異国――ヴァルハラ大陸である。女性社会である以上、異性からの奉仕はそれだけでも十分に意味を成す。


 結果的に言えばアニエスの治療費を差し引いても、十分すぎるぐらいの路銀がほんのわずかな間で一颯は手にすることができた。


 もちろん、危険がなかったわけではない。

 肩もみだけで、何をどう勘違いしたのか危なげに、怪しく誘ってくる女性は数知れず。

 その度に楓が追い払うと言った構図ができ、いつしか楓を番犬と称する者も少なからず現れた。

 これを本格的に商売としてみるのも、案外悪くないかもしれない。

 たんまりと溜まった路銀にホクホク顔の一颯はそんなことを思った。



「――、とまぁ、そういうわけだから本当に気にしたくても大丈夫だぞ」

「そ、そういうわけにはいかないわ! いえ、お礼をするのはもちろんなんだけど、そうじゃなくて……」

「何か他にもあるのか?」

「……お願い。どうか私に、剣を教えてくれないかしら!?」



 まっすぐなアニエスの瞳は、まるで焔のようだ。

 ぎらぎらと力強く輝く彼女の意志に、一颯は一瞬だけ気圧されるもすぐにまっすぐと見据え返す。



「剣を教えてくれ……って、どういうことだ?」

「……私はお母さんに憧れて、お前はただの村娘なんだから無理だって言われるのが悔しくて、みんなが驚くぐらい自分もすごい冒険者になるんだって……そう言って故郷を飛び出した。なのに、イブキがいなかったら今頃私は殺されていた……」

「それで、俺に剣を教えてくれってか?」

「お願い! お母さんのような……ううん、お母さんなんかよりももっとすごい冒険者になるためにも私は強くなる必要があるの!」



 アニエスの愚直すぎるぐらいまっすぐな言葉は、しかし一颯は対照的に難色を表情に示す。



(あぁ、こいつは本当に根っからの善人で甘っちょろい考えの奴だな……)



 一呼吸の間をおいて、一颯はアニエスへと尋ねた。

 ただしその言動はさっきまでの穏やかさはなく、真剣のように冷たく鋭い。

 故にアニエスの表情かおもたちまち強張って、じんわりと頬には冷や汗が滲み出る。



「一つ尋ねる――剣とは、武術とは何か? お前はこの二つをどう思う?」

「どうって……剣は武器で、武術はそれを生かすための術……」

「お前のためにもハッキリ言っておく。そんな――」

「そんな甘い考えだったら今すぐに冒険者なんてやめて故郷に帰った方がいいよ」



 と、楓が口早にアニエスへと言い放った。

 アニエスを見やる楓の眼には呆れ、怒り……いずれも好印象とは真逆の感情が色濃く渦巻いている。

 そんな妹からの蔑視にアニエスが食って掛かった。



「ど、どうしてあなたにそんなことを言われなきゃならないのよ!」

「だって事実だもん。そんな甘い考えでよく今まで生きてきたのが逆に不思議なぐらい」

「くっ……! だったら今すぐ私が弱いかどうか確かめて――」

「はいそこまでだ――アニエス、俺が言いたかったことはみんな、こいつが代弁してくれたよ。お前は剣も武術も、その本質についてまったく、全然、これっぽっちも理解していない」



 武術とは己を鍛えるための、言わば侍としての品性を鍛えるための精神鍛錬である。

 こう豪語する者は実は少なからず存在する。

 彼らの言い分はすべてが間違いではない。

 如何に侍であろうと、理性も信念もなく刀身を弄べばただの愚物にすぎす、その所業は犬畜生にも劣ろう。

 だが、彼らは根本的な部分を酷く曲解してしまっている。

 故にいざ実戦で太刀合えば成す術もなく無様に殺されることとなる。



「剣も槍も、武器は等しく殺人を容易に可能にしてしまう道具。そして剣術も槍術も、等しく武術は殺人に特化した技術だ。真剣をもって太刀合えば、そこにはもう性別も年齢も等しく無価値になる。生きるか、死ぬか、殺すか殺されるか……お前はそれをまったく理解できていない」

「そ、それは……!」

「――、俺が見るにアニエス。お前は恐らく実戦経験が絶望的に乏しいんだろう。だから、スパルタでもいいんだったら教えてやってもいいぞ」

「えっ?」と、素っ頓狂な声をもらすアニエスに一颯は府と不敵な笑みを返す。



 これはまたとないチャンスだ。

 一颯が見やるにこの娘――アニエスは確かに実戦経験が乏しい。

 しかし母親が凄腕の冒険者と言う経歴あってか、完全な非才であるとも断言できない。

 恐らくアニエスは、未だ発展途上の中にある。

 刀匠が熱した鉄を幾度と打って鍛えるように、経験を積めばそれだけ彼女も強くなろう。


 故に今からでも門下生として鬼鉄一刀流おにがねいっとうりゅうに入門させてしまえば、少なくとも一人分の月謝は確定だ。


 安定した収入源はやはり確保しておきたい。

 内に秘める野望ににやけそうになる頬を理性で堪えつつ、一颯は咳払いを一つする。



「俺や楓が会得している流派――鬼鉄一刀流おにがねいっとうりゅうの修練はかなり厳しいぞ? それでもお前は、やるか?」

「――、やる」と、そう発したアニエスの言霊に嘘偽りの感情いろは一切孕んでいない。



 これで門下生を一人手に入れた。

 内心でほくそ笑みながらアニエスの回答に一颯は満足そうに、力強く頷いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る