第11話:どうか落ち着いて……

 真っ白な壁に純白のレースのカーテンが微風にひらりとなびく室内は、清潔感であふれている。


 病院なのだから衛生面については、他よりもずっと厳重なのだから当然の配慮で、しかし怪我人でもないのに数多くの野次馬が群がるという光景は異様そのものだと言わざるを得ない。


 病院とは本来静寂であるはずなのに、この喧騒は本当にどうにかならないものなのか。

 すこぶる本気でそう思った一颯は、一先ず意識を患者である少女へと向けた。



「先生、この子の容態の方はどうですか?」と、一颯は医師へと尋ねる。



 故郷では珍しくもないのだが、散々女性ばかりを目にしてきただけあって、男性がこうして医者であることに一颯は違和感がどうしても拭えない。


 とにもかくにも同じ男だから物珍し気に見やることもないし、一颯もホッと安堵した。



「正直言って、後少し遅かったら危なかったですね……外傷自体は大したことはなかったのですが、彼女の血液から強い毒素が検出されましたので。恐らくこの患者を襲った相手は武器に毒を塗っていたのでしょう」

「そうですか……でも、とりあえず無事でよかったです」

「それにしても、本当に驚いちゃったよ。お兄ちゃん勝手にどこかで一人に行っちゃうし、見つけたと思ったらボロボロの状態のこの娘背負ってくるし」

「悪かったよ楓。どうもあの視線とか人気に耐えられなくなってな。落ち着くために一度静かな場所に行きたかったんだよ――それが、こうしてとんでもない結果になったけどな」

「う……」「あ、お兄ちゃんこの娘気が付いたみたい!」



 うっすらと開かれた藍色の瞳はまるで海のよう。

 思わず見惚れそうになる一颯を他所に、件の少女は周囲をゆっくりと一瞥いちべつする。

 目覚めたばかりでまだ意識がハッキリとしない所為か、表情かおはどこか虚ろのままだ。



「ここ、は……」

「落ち着いて聞いてください。いいですね、どうか落ち着いて……」

「いや、そんなに落ち着け落ち着けって言わなくてもいいんじゃ……」



 一颯からのツッコミに一切意に介することなく、医者であるその男はゆっくりと語り聞かせるような口調で少女へと話した。



「あなたは、そう。とても危険な状態にありました。全身に回った毒は遅行性ではあるものの、それでも死に至らしめることは十分に可能なものでした」

「毒……そ、そうだ私は!」

「ま、まずい! お、おい誰か鎮静剤を!」

「いやいやいやいや! いくらなんでもそこまでする必要はないでしょ!」



 さしもの一颯も医者の暴走には制止しないわけにはいかず、とにもかくにも落ち着くべきは医者であり一颯はしすとんと項に手刀を打ち込んだ。


 糸が切れた人形のように全身脱力した医者をベッドの上へと放置して、さてと。

 一颯は改めて少女の方を見やった。



「えっと、とりあえずお前はあの路地裏で襲われて瀕死だった。そこでなんとか病院まで担ぎ込んで今に至るってわけだ。かなり端折りはしたけど、だいたいこんな感じだな」

「あなたは……そうだ、あの路地裏で戦っていた!」

「あぁ、まだ病み上がりなんだから寝ておけ。いくら治療したと言っても感知じゃないんだ、無理をすれば響くぞ?」

 案の定、勢いよく身体を動かした反動に少女は苦痛の感情いろを表情して強く示した。

「イッタタ……」

「ほら言わんこっちゃない……」

「そうそう。今は無理しない方がいいよ?」

「……まさか、あなたみたいな男の人に助けられるなんて、夢にも思っていなかった」



 不意に、そうぽつりと呟いた少女。

 何か含みのある言い方ではあるが、穏やかで優しい言霊は決して相手を罵るものではない。

 どちらかと言えば、自分を嘲り笑うかのよう。

 なんとなくという曖昧あいまいな理由ながらも、そのように一颯は感じ取った。



「……あ、ごめんなさい。別にあなたが男だからとか、馬鹿にするために言ったわけじゃないの。寧ろ本当にあなたの剣はすごかった……私なんかよりも、ずっと!」

「ふふーん、当然だよ。だって私のお兄ちゃんなんだからね!」



 と、我がことのように得意げな顔で胸を張る楓。

 少女の顔にも自然と笑みが綻び、ひとまずもう大丈夫そうだと一颯も頬を微かに緩めた。



「……改めて、危ないところを助けてくれて本当にありがとう。私の名前はアニエス。あなたは?」

「俺は大鳥おおとり 一颯いぶき。それでこっちが妹の楓だ」

「イブキに、カエデ……。あなたがいなかったら私は今頃死んでいたわ」

「気にするな。たまたま通りかかった先にアニエスを見つけただけだからな」

「それでもあなたは私の命の恩人よ。このお礼は必ず返すわ――この剣……ってあ、あれ? 私の剣と鎧は!?」

「それなら、ホラ。あそこに置いてあるぞ」と、机の方を指差す一颯。



 教えるや否や、痛みを感じないぐらい血相を変えて放たれた矢の如く装備一式にアニエスは飛びついた。


 恐らくは先程の戦闘によるものだろう、防具にほんのわずかな傷がちらほらと見られるが、機能は全然問題ない。如何せんデザインについて一颯はどうしても、アニエスに追及せずにはいられなかった。



「……アニエス、その鎧は?」

「これ? これは私の家に代々あった鎧と剣よ。実は私のお母さん、ずっと昔は冒険者をしていて、それで私が無茶言ってもらったって感じかな」

「いや、そういうのを聞いたんじゃなくて……性能面の方はどうなのかなってな」



 防具とは読んで字の如く、使用者の肉体を守るためにあるものだ。

 刀や弓、果てはおどろおどろしい怪異による猛威などなど。

 軽重の違いはむろんあれど、あらゆる攻撃が命を守る、それが防具の役目だ。

 一颯は機動性の低下や立ち回りのし辛さを理由に、防具の類を基本身に付けない。

 要するに直撃さえしなければいいだけの話である。



(アニエスの鎧……どっからどう見ても、防具としての機能が最悪だろ)



 いったいどこの誰が、なんの意図があって制作したのか。

 一颯は激しくそう思う中で、今一度アニエスが堂々と目の前で装着した鎧に着手した。

 幸い包帯が胸部を隠しているので、楓からのお咎めもない。

 部類は板金鎧プレートメイル。胸部と腹部はしっかりと守られている。

 あくまで、胸部と腹部のみ。


 脇腹や背中については完全に乙女の柔肌をこれでもかとばかりに露出しているので、一颯はどうしてのアニエスの鎧が奇抜な娯楽品のように思えてならなかった。


 他にも籠手ガントレットやラウンドシールドとあるが、それでも頼りない。

 まずこの娘にはもっときちんとした防具を揃えることが優先事項だろう。



「それなら心配ないわよ。生半可な攻撃だったら全部塞いじゃうし、それにこれ見た目よりもずっと温かいの。だから寒さにだってへっちゃらよ」

「えぇ~……本当かよそれ」

「あ、私嘘なんか言ってないわよ!」

「ま、まぁとりあえずすごい鎧だってことはよくわかった――それじゃあ、俺達はそろそろこれで。でももう少しきちんとした防具にした方が……って言うのは、野暮ってもんか」

「忠告ありがとう。だけど私はこの剣と鎧を変えるつもりはないわ。大切なお母さんから譲り受けた、大切なものだから」

「そう、だろうな。とにもかくにも道中気を付けて。あんな路地裏にはあんまり近寄らない方がいいぞ――それじゃあ」



 俺達はこれで、と紡ぐはずの言葉は「ちょっと待って!」とアニエスに先を越される。

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