第9話:異国の洗礼

 ここヴァルハラ大陸では、主に9つの大都市で形成されている。


 遥か古の時代である。混沌より生じた獣が猛威を振るい人々が苦しめられたその時、神より遣わされた9人の戦乙女によって地上は平和を取り戻した。


 とても古い、幼子には必ず語り聞かされるこの逸話にそって、各都市は戦乙女の名を冠している。


 山岳地帯に囲まれたヘルムヴィーケは、9つの大都市の中でも最も堅牢であることはあまりに有名だ。


 その由来は歴史にあり、自然の恵みや鉱石と物資が豊である一方でモンスターによる被害はどの都市よりもずっと多い。


 破壊と再生、幾度となく壊されては修復をしていくことで近年においては、モンスターの被害もぐんと抑えるほどになった。


 同時に、北のシュヴェルトライテと東のグリムゲルデ――孤立しがちにある両都市との交流および交易を盛んにするべく中継砦を設けるなどして大きな偉業を立てた。



 現在、一颯らがいるそこ――漁港都市グリムゲルデは、その名が示す通り他国との貿易が極めて盛んな都市である。


 自国にはない珍しいモノを求めて、わざわざ遠路はるばるからここへ訪れる者は極めて多く、市場はさながら祭のような雰囲気で大賑わいだった。



「ここがグリムゲルデです。ヘルムヴィーケまでの道のりはここより西へと進んだ先にあります」

「うわぁ、見てお兄ちゃん! すっごく珍しいものがあるよ!」

「本当だな。こんなの葦原國あしはらのくにじゃあなかったぞ」

「――、あの……お二人とも? 聞いておられますでしょうか?」



 リフィルがもう一度そう呼び掛けるも、一颯と楓、兄妹の耳にはまったく届いていない。


 生まれてはじめての異国というだけでも彼らの心はいつになく高揚していて、そこに物珍しい品々がずらりと並ぶことでより一層好奇心の海へと駆り立てる。



(そう言えば……ここには男の兵士が一人も見当たらないな)



 ヘルムヴィーケのみならず、大陸全体の女性がきっとそうなのだろう。

 剣や槍と言った武器を手にしている女性が圧倒的に多い。

 一方で男性はと言うと、屈強そうな男は驚くほどに少ない。


 よくよく見やれば力仕事の類も全部女性がしているものだから、一颯にとっては十分に驚愕に値する光景だったと言えよう。



「女性だけしか参加できない【ValkyrieBraveアリーナ】……その理由も、今ならなんとなくわかるな」



 大会の出場という明確な目的があることも、むろん一颯も楓も忘れていない。


 すべては貧乏生活から脱出するため――つい先ほどに己が人権を死守するという、新たな目的が加わったけれども。



(是が非でも、楓にはどうにかして優勝してもらわないと……!)



 さもなくば、下手をすれば誰かの所有物になりかねない。

 いくらなんでも、自意識過剰すぎるだろう。

 先刻まで一颯自身も、そうすこぶる本気で自嘲していたばかりであった。


 キャプテン・ユーリの時はたまたま、そのような形となっただけで全員が全員そうなる可能性はそれこそ、天文学的確率だろう。


 田舎暮らしの貧乏育ちな男を欲しがる酔狂な女子などいるはずがない。


 その考え方は、グリムゲルデへと着いた瞬間あまりにも呆気なく、脆く崩壊したことを一颯はすぐに思い知らされる。



「ねぇ、あの人見て」



 と、それは一人の女性からの一言より始まった。



「どうしたの? って、あら……なかなかかわいい男じゃない?」

「でしょ? それに見てよ彼のあそこにあるの」

「……えっ!? 嘘……すごく大きくて太い」



(いや言い方よ! なんでそんな卑猥な会話してるみたいになってるんだよ!)



 視覚情報なくして言葉だけを鵜呑みにすれば、卑猥な会話極まりない。


 日も高い内から公衆面前でするような会話ではないが、あくまでも女性達が指差しているのは一颯の腰にある得物である。


 決して男性を象徴するアレではない。



「男なのにあんな立派なものをぶら下げてるなんて……なんだかそそるわね」

「あ、それものすごくわかる。なんて言うのかしら、ギャップ萌えってやつ?」



 ジロジロと一颯の方を盗み見ては、ぺろりと舌なめずりをする。

 そんな妖艶な雰囲気をかもし出す女性に楓が番犬よろしく、うぅぅ、と低く唸った。



「よせ楓。みっともない」

「だ、だってお兄ちゃんがあんな下品な女たちに見られてるのが我慢できないんだもん!」

「……それ言い始めたら、多分キリがないぞ」



 少なくとも一颯の視界に映るだけでも、女性からの視線は軽く二桁を越えていた。

 付け加えるなら全員がうっとりとした表情かおをして、熱を帯びた妖艶な眼差しを絶えず向けてくる。



「とりあえず移動しましょうか。なんだか余計ないざこざに巻き込まれてしまうような気がしてきましたし」

「賛成。安心してねお兄ちゃん。お兄ちゃんに近付こうとする変な女は私が皆やっつけちゃうから!」

「あぁ、というかちょっと厳しくなってきたな……!」



 一颯は逃げるようにそそくさとその場から離れた。


 はじめてきた異国の地だ。誰かの案内もなく単独で動くのはあまり褒められた行動ではなく、それは本人も痛く自覚こそしているが、現状の居心地の悪さにどうしても耐えることができなかった。



「あ、お兄ちゃん!」「イブキ様おひとりで行動されては……!」



 楓とリフィルからも制止の声が掛かるが、今の一颯は人気のない場所を何よりも欲していて、彼女らの言葉に耳を傾けるだけの余裕は一切なかった。


 大通りの人気は思わず卒倒しそうになるほどで、そこで明らかに人気が少ないであろう路地裏へ誘われるように一颯が身を投じたのは至極当然の反応で、ようやく賑やかな喧騒も遠くに、しんとした静寂の時間に一颯はホッと安堵の息をもらした。



(どうも昔っから、人気の多い場所はあまり好きじゃないだよなぁ……) 



 人気が多くて祭のような賑わいを見せる都会よりも、緑豊かな自然の方が一颯は昔から好きだった。


 誰にも邪魔されることなく、しんと静謐な空間で一人、さらさらと流れるせせらぎや小鳥達のさえずりを耳にして心に癒しと穏やかさを与える。


 人気が多い場所は今度とも、できることならば避けて生きたい。

 そう心から強く願う一颯だったが、しかしヘルムヴィーケではそのワガママも通用するまい。

 ましてや妹の雄姿を見届ける、兄として一颯にはその責務がある。

 その責務を果たさずして放棄するなどどうしてできよう。



「……俺がしっかりとしないとな」



 いい加減心も落ち着いたところで、一颯は改めて周囲を見やった。

 一颯が入ったその路地裏は、日がまだ高くあるというのに薄暗くて不気味な雰囲気をかもし出している。


 鬱蒼とした雰囲気は常人であればまず、よっぽどの理由でもない限り自ら足を踏み入れようとはまず、しないだろう。


 ではどういう輩ならば利用するか――皮肉にもこの質疑への回答は一颯のすぐ目の前に転がっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る