第7話:陰の太刀

 刃長はおよそ二尺四寸五分約74cm


 有名な刀工――世間体では“妖刀”として名高く、これまでに数多くの武士が手にしてはたちまち不幸に見舞われた、千子村正せんごむらまさ作のそれが一颯の愛刀だ。


 うっすらと紫色を帯びた刀身に入る刃文――のたれ刃のうねり模様はどこか禍々しくもあり、より妖刀味を帯びさせる。


 一颯が取った構えは、剣術においてもっとも基本である正眼であった。


 攻撃と防御、如何なる状況にも応じることを可能とするオードソックスな構えを一颯は好んだ。



「あら? あらあらあらあら? まさかあなた、男でありながらこのワタシと戦おうと言うのかしら?」

「そっちがくるのであれば……な」



 正直なところを申せば、一颯に女人を斬る趣味嗜好は更々ない。


 むろん世の中には例外と呼ばれる者が存在するし、命の危機となれば撃退するのもやむを得ず。


 それでもやはり強者は男性の方が圧倒的に多いのは事実であるし、一颯がこれまで対峙した相手も然り。


 これは、警告でもあると同時に一颯の願いでもあった。


 キャプテン・ユーリは人非ざる者で一癖も二癖も強いが、こと見た目に関してだけならば、彼女は紛れもなく美少女である。


 だからこそ斬り捨ててしまうというのは、あまりにもったいなかった。



「ふ~ん、あなたのような殿方を見るのは生まれてはじめてですわ。いいですわいいですわよ! あなたというお宝、是非このワタシが手に入れますわ!」

「……やっぱりこうなるかぁ」

「お兄ちゃん最初からこうなるってわかってたでしょ!」

「うん、まぁそうなんだけどな」



 船と言う圧倒的に不安定な足場の中で、陸路での生活に慣れた者は不利であろう。

 絶えず波に晒された状態ではまず、まっすぐと立つことそのものが苦難となる。


 ならば一颯も例外にもれることなく、安定するキャプテン・ユーリのいる船へと移るのは常套手段で――否。


 鬼鉄一刀流おにがねいっとうりゅうは足場を選ばず。


 平地から獣道、そして果ては船上……ありとあらゆる場所での戦闘を想定するのは基本にして、そのための対策は修練法の中にしっかりと組み込まれている。


 根踏み――大地に木の根っこがしっかりと張るように、体幹を崩さず構えを保持する基本中の基本だ。



「――、それでは……あられもない姿を晒して公開子作りをして差し上げますわ! 結婚式場がこの船の上でできることを光栄に思いなさい!」

「いや、性癖歪みすぎだろ」



 言っている内容は、女性が口にするにはあまりに節操もなく下品極まりなく。


 理性の効かない獣畜生のような性的欲求が推進力エネルギーへと変換されているかは、この際さておくとして。


 とんとキャプテン・ユーリは軽やかに飛んだ。

 文字通り、蝶が美しく舞うかの如くふわりと飛翔した。


 常人離れした身体能力に一瞬呆気に取られた一颯だが、その次の一瞬で対処法を検索する。


 どんなに相手が強敵で、果ては人外であろうと一颯がすべきことはたった一つのみ。



(あの剣の形状からして斬るのには適してない……となると、やっぱり刺突つきか)



 刺突つきとは即ち死に技だ。

 外せば最後、剣を引き戻すまでの間に凶刃を浴びるのは己となろう。


 故にそうおいそれと用いる技ではないのだが、その理を逆手にとってあえて好む稀有な剣士も少なからずいる。


 キャプテン・ユーリは、その稀有な剣士の類だ。


 刺突つきを主とした流派との手合いは、一颯は一度として経験したことがない。


 あくまで喧伝や伝記などによる情報のみで、つまりは今日が初の手合いとなる。

 刺突つき大鳥おおとり 一颯いぶきが取った行動は――



(相手が刺突く起こりを見切れるかが勝負だ……!)



 鬼鉄一刀流おにがねいっとうりゅうには主に二つの型がある。


 一つは、陽の太刀――相手の攻撃よりも先んじ、自らのペースに相手を飲み込む超攻撃特化型の剣。


 もう一つは陰の太刀――敵の攻撃を瞬時に分析して的確な対応を迅速スムーズかつ最小限コンパクトに実行する、後の先を主とした剣。


 この二つの中で一颯が好んだのは後者。俵三つを軽々と持ち上げる筋力や三間約5.4mを飛翔するが如く零にする脚力と、その身体能力が超人の域に達していながら、流麗で繊細な技を用いる。


 別段深い理由はなく、あえて述べるとすれば単に好みの問題でしかない。

 陰の太刀の方がもっとも自分にしっくりする。

 一颯が陰の太刀を好む理由は、この程度に浅いものだった。

 キャプテン・ユーリの刺突剣レイピアの先端が、ほんのわずかに揺れた。



(来るか……!)



 一颯は、目をカッと見開いた。

 恐らく瞬きの間に彼女ならばきっと、この喉元に剣先を突き立てられる。

 ほんの一瞬でもキャプテン・ユーリには勝機であり、一颯には絶望である。

 絶対に何があろうと目を閉じてはならない。


 そう己に強く言い聞かせた一颯にキャプテン・ユーリの刺突剣レイピアが――ついに刺突かれることはなかった。


 ひゅん、と鋭い風切音を奏でたのは一本の小さな矢。


 通常の弓矢と比較すると長さも四寸弱約12cmと短いが鋭いやじりには十分な殺傷能力が宿っている。


 それが一颯の顔面目掛けて放たれたのだ。



「なっ!」



 まさかの飛び道具に驚愕の感情いろ表情かおに示す一颯だが、思考は常に冷静。


 冷静にボウガンの矢をほんの少し剣先を振るうことで弾く。

 ボウガンはあくまでも囮、本命はわずかにズラして放った鋭い刺突そのもの。


 下方から上空へ、掬い上げるように振るった剣が刺突剣レイピアをキャプテン・ユーリの腕もろとも凄烈にいなした。



「きゃっ!」と、キャプテン・ユーリ。



 体制が大きく崩れたその隙を当然ながら一颯は見逃さないし、容赦もない。

 天を座した剣をまっすぐと打ち下ろす。

 これで決まった! 一颯はそう確信した。

 刺突剣レイピアはあくまでも刺突つきに特化した武具である。


 そのため剣のように振り回し、時には打ち合いとなることを基本前提としていない。


 反面、葦太刀あしだちは斬ることに特化した武具だ。


 折れず、曲がらず、それでいてよく斬れる――この三代名詞こそ葦原國あしはらのくにが誇れる魂の集大成であり、付け加えて千子村正せんごむらまさのソレは抜群の切れ味が売りだ。


 この唐竹斬りは決して防げまい。同時に避けることも然り。

 一颯は己の勝利を確信した。


 確信して――ふわりと虚空を斬るという、不可解な感触に今度こそ一颯は驚愕に思考を著しい混乱を招いた。



(嘘だろ……?)



 振り切った刀をそのままに、一颯が視線を横へ移せば五体満足のキャプテン・ユーリが不敵な笑みを浮かべている。



(今のを避けた……? ありえないだろ……)



 と、一颯は不敵な笑みを返すも、頬には一筋の冷や汗がつっと伝う。

 絶対に回避不能の一撃がするりと回避された。

 結果よりも術理が一颯は皆目見当もつかない。

 妖術の類でもない限り――これが魔女と契約して得たと言う魔力による御業か。



「……因みに、今のどうやって避けたんだ? 確実に当たったと思ったんだけどな」

「それは秘密ですわ。あなただけだったら敬意を表して教えて差し上げてもよろしかったのですけども……」

「まぁ、普通敵の内は明かさないよな。それで? 一応尋ねるけどまったくのノーダメージ?」

「ふふっ、これしきのこと、どうということはありませんわ。それにしても逆に驚かされたのはワタシの方ですわ――男性でこのワタシに一太刀を浴びせたのは、あなたがはじめてでしてよ?」



 と、愉快そうにからからと笑うキャプテン・ユーリ。

 次の瞬間――キャプテン・ユーリの衣服が真っ二つに両断された。

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