第4話:これがカルチャーショック!

 耳をつんざく金打音が室内にこだまして、そこでようやく楓も腰の得物に手を掛けた。


 どこに隠し持っていたのか――答えはすねも隠すほどの長いスカートの中。


 リフィルのショートソードを一颯の太刀が大きく弾き飛ばした。



「大丈夫か? 楓」

「お、お兄ちゃん……! うん、私なら平気だよ」

「この反応速度……わたくしからすれば、あなたほど容姿端麗なお方がここまでの武を修めていることが正直信じられません」

「こっちは子供の頃からずっと武術の稽古ばかりしてきたんだ。それよりもいきなり不意打ちとはやってくれますね……」



 そう言って、太刀を構え直す一颯。だが穏やかな口調とは裏腹にその顔は笑っていない。


 本物の実戦であったのならば、先の奇襲にも正当性がつく。

 【ValkyrieBraveアリーナ】は武術大会だ。

 詳細はリフィルの口から直接、聞かないことには定かではない。


 しかし少なくとも殺傷行為を良しとはしないはずだ、というのが一颯の見解だった。


 リフィルの太刀筋は迷いなく、楓の命を奪わんとしていた。

 であれば兄として、一颯がを守るのは至極当然の行動である。



「わたくしはイブキ様、ではなくカエデ様の実力の方を見させていただきたかったのですが……――確かに【ValkyrieBraveアリーナ】の招待状をお渡ししましたが、わたくし共としてもあまりに弱いとお客様を盛り上げられないばかりかお給料が減っちゃうんで、そのあたりはしっかりと把握しておきたいのです」

「金儲けのための試験かよ……」

「大丈夫だよお兄ちゃん。さっきはちょっとだけ驚いちゃったけど。もう平気だから」

「……それならいい。ただし、油断はするなよ」

「わかってるってば!」



 一颯からの警告を、楓はにこりと笑って返した。


 太陽のように明るく優しいその笑みに、だが一颯はどうしても一抹の不安が拭えずにいる。



(調子に乗って相手を殺さなきゃ・・・・・いいんだが……)



 緊迫した空気が室内にぴんと張り巡らされる。

 次に動いたのは、楓の方だった。

 疾風迅雷――初速は、人間が持つ視認速度をあっさりと凌駕するほど。


 鬼鉄一刀流おにがねいっとうりゅう龍逎りゅうしゅう――その意味は、龍が天に昇るが如き勢いで打倒開放すること。


 床が爆ぜる程の勢いはむろん、その轟音を初見で対応できるものはまずいない。

 たとえそれが刹那、那由他に値する極めて短い時間であろうとも。

 鬼鉄一刀流おにがねいっとうりゅうの剣士にとっては絶好の勝機チャンスも同じ。

 音と速さに支配された敵手は、自らが斬られた事実さえも気付くまい。

 よってこの太刀合わせ、楓の勝利で揺るぎないと一颯は確信した。

 現実は――一颯の予想とは少々異なる展開をそこに描いていた。



「ふぅ……い、今のはさすがにゾッとしましたね……」

「嘘……今の、見切るの?」

「…………ッ!」



 楓が酷く驚く。それも無理もあるまい。

 楓の技は決して未熟ではなかった。

 リフィルの動体視力と即応能力が、それを上回っただけのこと。

 敵を必ず殺す技だから、必殺技という。


 鬼鉄一刀流おにがねいっとうりゅう龍逎りゅうしゅうはあくまで、鬼鉄一刀流おにがねいっとうりゅうでは基本中の基本にして、歩法にすぎないのだが立派な必殺技だ。


 それをこうもあっさりと、結果として女性を象徴するふくよかな乳房を晒すだけに留めたリフィルを、一颯はここで認識を改める。


 近衛兵長という肩書はどうやら伊達や誇張ではないらしい。


 遥か遠く離れた異国の地にもよもやこれほどの実力者がいようとは、まだまだ世界は広い。


 同時に何故自分が武術大会という晴れ舞台に出られないのか、一颯はそれが悔しくて仕方がなかった。



「って、ちょっとお父さん何やってるの!?」

「ぶべっ!」



 突然、楓が虎丸の顔面に蹴りを叩き込んだ。

 徒手空拳術も一応修めているが、鬼鉄一刀流おにがねいっとうりゅうでは使用する機会は滅多にない。

 それでも超人的な身体能力から繰り出される技は、真剣に勝らずとも劣らない。


 盛大に鼻血をわっと噴いてどかりと倒れた虎丸に、一颯が狼狽する間もなく楓の上段回し蹴りが強襲する。


 バシッと小気味良い肉を鋭く弾く音が鳴って、一颯の顔に苦痛の感情いろがかすかに浮かぶ。


 直撃は両腕でしっかりとブロックしたことで辛うじて免れた。

 しかし、まったくダメージがないわけでもない。



(相っ変わらず、いい蹴りをするなこいつは……!)



 ひょっとすると剣よりも徒手空拳の方が強いのでは……。

 そんなことを、一颯はすこぶる本気で思った。


 それはさておき。



「いきなり何をするんだお前は! 戦うべき相手が違うだろ!」

「お、お兄ちゃんが悪いんだからね!」

「はぁ? どうして俺が――」

「あー! あー! ととと、とにかくお兄ちゃんはお父さんを連れて早くどっかに行って! だ、だってリリリ、リフィルさんのおっぱい見えちゃってるんだよ!」



 そこまで言われてようやく「あっ! あぁ……」と一颯も納得した。


 女性が胸部を晒す、これに羞恥心を抱かぬ者はよっぽどの痴女でもなければまずおるまい。


 リフィルがあまりにも堂々とした佇まいであったから、一颯もなんの違和感も抱いていなかったが、楓から改めて指摘されたことで理解した。


 同じ女だから、楓がこうも怒るのも致し方なし。



「わ、私だったらお兄ちゃんになら見られてもいいんだけど……」



 と、ほんのりと頬を赤らめた楓の発言には、あえて一颯は聞かなかったことにした。



「何をそんなに驚かれているのですか? たかが胸が見えたぐらいで大袈裟な……」

「はぁ!? ちょ、ちょっとリフィルさんそれ本気で言ってるの!?」



 まったく恥ずかしがるばかりか、あっけらかんとした言動のリフィルに、楓が大いに反応した。


 同じ女性だからと気遣ったのに、当事者がけろりとすれば彼女のこの反応も頷けよう。



「本気も何も、我が故郷……もとい大陸においてこの程度のことで狼狽する女性は恐らく存在しないと思いますよ? 楓さんは失礼ですが、胸を晒すのがそんなに気になるのですか?」

「あああ、当たり前じゃないですか!」

「……それでしたら、正直に申しますと【ValkyrieBraveアリーナ】の参加は厳しいかもしれないですね」

「そう、なんですか?」

「えぇ、何せこの【ValkyrieBraveアリーナ】はヘルムヴィーケのみならず多くの人が観戦しにくるほどの大イベントですので。そこでいちいち観衆に胸を見られたからと恥ずかしがっているようでは、その隙を突かれ倒されてしまうでしょう」

「だからってそんな……うぅ……で、でもいい加減貧乏生活から脱出したいのも事実だし……!」

「……どうするんだ? 楓」



 一颯の意志をここで暴露するならば、楓の参加はやっぱり取りやめるべきだ。

 死の危険は、絶対にないとは断言できない。


 だがそれ以上に、女性としての尊厳を低俗な理由で喪失させることも、一颯としては許せたものではなかった。


 妹が傷付くぐらいならば貧乏生活を甘んじて受け入れよう。

 父も娘を差し出してまで裕福になろうとは思うまい。

 一颯はそう固く決心して、しかし先に楓が口を切った。



「……私、参加する」

「よろしいのですね?」

「ちょ、ちょっと待ってくれ! 楓、お前本気で言っているのか!?」



 一颯は楓に強く問い質した。

 もし、勢いで冷静さを失ったがための回答であれば、それを正す必要がある。

 しかし、楓のまっすぐな視線に一颯は息を飲んだ。


 何故なら楓の瞳の奥では、強い決意をひしひしと感じさせる炎がぎらぎらと輝いていたから。


 それは間違いなく、迷いある者の目ではない。

 己が信念を貫かんとする武士としての、力強き目。



「正直言うとね、ちょっとだけ不安だよ? でも、私だって鬼鉄一刀流おにがねいっとうりゅうの剣士だもん。お父さんの子供で、お兄ちゃんの妹だもん。だから、私絶対に参加する。参加して、みんなやっつけて優勝してお父さんとお兄ちゃんを楽にしてあげるんだから!」

「楓……成長したな、お前」



 一颯からすれば楓はまだまだ、甘えた盛りの幼い子供でしかなかった。


 事実、隙あらばべったりと甘えてきてちょっとでも離れたり異性と接すれば、頬をむっと膨らませて不機嫌さを露わにする。


 そのような姿ばかりを目にしていただけに、此度の楓の成長に一颯は深く感心していた。



「それでは明日、もう一度ここにわたくしは来ます。その時までに準備の方を整えておいてくださいね。船旅ももちろんですけど、ヘルムヴィーケまでかなりの時間を要しますので」

「わかりました」

「……正直言って貧乏生活のあなた方にあれやこれやと準備させるのは心苦しいものがあるので、まぁある程度はこちらの方からまかなってやりますから安心していいですよ。ありがたく施しを受けてください」

「アンタ本当に一言も二言も多いな!」

「うぅぅ~……! 絶対に優勝してやるんだから!」



 失礼極まりない言葉を残してさっさと立ち去っていったリフィルを、楓は舌をべっと出して見送った。


 その隣で一颯も心底嫌そうな表情かおを、リフィルの背中が見えなくなるまで終始浮かべた。



「――、本当に失礼な人だったねお兄ちゃん。私、あの人ものすっごく嫌い!」

「こればかりはお前に同感だよ楓。あんなだから友達いないんだろうな」

「いなくて当然だよ。私でもあんな人と友達になんかなりたくないもん」

「そりゃそうだ。とりあえず今日はさっさと明日に備えて準備をするとしよう」

「お父さんは、どうする?」

「親父は……留守番でいいだろ」



 と、鼻に詰め物をして大の字に横たわる虎丸は、まるでひっくり返ったカエルのようだ。


 気絶して一向に起きる気配のない父を一颯は一瞥いちべつした。

 今後道場に来客があるとは到底思えない一颯だが、万が一と言うこともある。

 万が一盗人がくる可能性もなくはない。


 起こる可能性はそれでも那由他に等しいだけに、一颯は我が家の相変わらずな貧乏っぷりに対して自嘲気味に小さく笑った。



「えへへ……」と、嬉しそうに楓が笑う。

「どうかしたのか?」



 と、何をそんなに嬉しそうなのか。不思議ながらも微笑ましく見守る一颯。



「だって、生まれてはじめてだもん旅行って。それにお兄ちゃんと二人っきり」

「厳密に言うとリフィルさんが引率者だから、三人旅になるけどな」

「もう! そういうせっかくのムードを台無しにするようなこと言わないでよね!」

「わ、わかった! 俺が悪かったら殴ろうとするな楓! お前が本気で拳を振るうと洒落にならん!」



 ぶんぶんと振り回す楓の拳から必死に逃れる一颯は、嬉しそうに笑う妹の姿に頬をかすかに緩めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る