第3話 吐露
もう大丈夫だと思った。
そうでもなかった。
さらにふた月が経ち、いまや冬も目前である。
「迷惑をふりまくのをやめろと言っておろうが。いつになったらわかるのだ、性悪狐」
杖で地面を叩き、新右衛門はこがねへと怒号をはりあげた。狐が化けた娘は野の松の枝にちょこんと腰かけて、黙ってそれを聞き続ける。
新右衛門が怒鳴り疲れて黙ったころ、少女は「風車。ちょうだい」と要求してきた。
いまさらなんのことだといちいち聞き返したりはしない。新右衛門は新しく作ってきた風車を地面に放り出した。乱暴な扱いは憤りの表れである。
「これでもう十五本目じゃ、いいかげんにしろ」
……こがねは、『人に手出しするな』という新右衛門の説得を一部だけ受け入れている。
里の田畑には、手を出さなくなっていた。
その一方で、街道を通りかかる旅人を脅かすことはやめようとしなかった。刃物で切りつけるような悪質なことはしなくなったが、化かして迷わせることは相変わらず続けている。
村の者らの新右衛門に向ける顔も、微妙なものへと変わりつつある。この山伏は役立っているのかいないのかわかりゃしないとばかりに、かれを侮る色が露骨に浮かんでいるのだ。
村の利害に敏感な
追い立てられるようにして新右衛門は毎夜のように野に出、こがねと対峙した。
脅し、なだめすかし、「なんぞ要求でもあるのか」と探りを入れたあげくにかれはひとつの条件を突きつけられた。
風車を作り、出来上がりしだい仔狐のもとに持ってくることである。
持っていって数日のみは仔狐の悪戯はやむ。だが、五日もすればすっかり元通りである。そして、こがねが「もう風車はいらない」と言うことは決してなかった。
おかげで新右衛門はここしばらく、朝から夕まで風車作りに没頭せざるをえなかったのだ。日銭か米が手に入るもっとうまみのある仕事がいくらでも他にあったのに。
――慰めになればと玩具なんぞやるのではなかった、きりがないわ。
気に入ったといっても限度がある。なぜここまでこがねが風車に執着しているのか新右衛門にはわからなかった。ただ苛ついた声を浴びせるのみである。
「五本欲しいからあと四本作ってと最初は言っていただろうが。五本そろってもつぎつぎ追加で求めおって。これで満足して悪行をやめろ」
しかし、届けられた十五本目を見下ろしながら、こがねは笑いもせず言った。
「もっと作ってどんどん持ってきてくれなきゃ、やめない」
「ふざけるな。やっておれるか」
とうとう頭に血がのぼった。
聖者ではないのだ。当初こそ同情もしていたし、成り行き上ほうっておけないと思ってもいたが……もはやその忍耐は底をついていた。
行李を背負いなおして新右衛門はこがねに背を向ける。
街道に出たところで、少女の声が背にかけられた。
「どこ行くの。村はそっちじゃないよ」
振り向かずに言い捨てた。
「ほかの土地に行くに決まっておるわ。二度と会うこともなかろうよ」
少なくとも新右衛門のほうではふたたび顔を見る気はない。
間が開いてから、また声が追いかけてきた。少し早口ぎみである。
「出て行ったらだめ。あんちゃが行ったらあたし人に悪いことするよ。たくさんするよ」
「勝手にしろ、わしはもう知らぬ。この地にはもう嫌気がさした。とりわけおまえには愛想がつきた。せいぜい討ち果たされる日まで悪行三昧楽しんでおれ」
まだこがねは何か言っていたが、新右衛門は耳をふさいだ。右足を引きずりつつ道を急ぐ。
これで仔狐のわがままとも村人の白眼視とも縁が切れると思うと、なぜもっと早くこうしなかったのかと悔やむほど気が晴れ晴れとした。
しかし、足を引きずりつつ半里も行ったころには、早くもその気持ちは変わりかけていた。
――冬がすぐそこだ、野宿に戻るのはきつい。かっとなって早まったかもしれぬ。
本来は、村長の屋敷に春まで置いてもらおうと画策していたのである。舞い戻るのも業腹だがどうしたものかと未練がましくふりかえり――新右衛門はぎょっとして身を引いた。
すぐ後ろに、手に風車を持った無表情のこがねがいた。
見なかったふりをして二百歩ほど進み、また肩越しにうかがうとやはり背後にぴたりとついている。
我慢しきれず、鼻にしわを寄せて低い声を投げつけた。
「気味悪いわ、なんのつもりじゃ」
こがねは口元をむずむずさせて小さな声で言った。
「あんちゃといっしょに行きたい」
「こ……来られてたまるか! わしは物見遊山でさすらっておるのではないわ」
新右衛門自身が生きて冬と春を越せるかすらおぼつかないのである。
こがねをあらためて日銭を稼ぐ見世物にするつもりならともかく、さすがにその気は失せていた。よしんばそうするつもりになったところで、通力を宿した狐をどうこうできるわけもない。
「おまえのような性悪の
邪険に突き放して歩きだす。もう一言半句たりとも会話を交わすまいと心に決めたが、後ろからしゃくりあげる音が響いてきた。
やむなく三度目に回頭すると、こがねが顔をおおってしくしくと泣いている。
――新手の騙し方を覚えでもしたか。
そう疑った瞬間、泣くこがねがみぞおちに頭突きするような勢いでぶつかってきた。
「やだ。やだ、やだ」
「は……離せ、おい」
「あんちゃがいなくなったら、だれもあたしに話しかけてくれなくなっちゃう」
悲痛な訴えとともに、涙をあふれさせる大きな黒目が見上げてきた。
垢じみた小袖をしっかりつかんでくる少女を引き剥がそうとしながら、新右衛門は毒づく。
「なにを言っておるかさっぱりわからぬ。おまえは狐であろう。自然の理に従って、狐仲間のもとへ行け」
「ほかの狐には仲間に入れてもらえないの。
こがねはつっかえながら告白した。
「人を祟り殺した狐は駄目だって。まとめて狩る口実を人に与えるからって、
「し――知ったことか。それでおまえは仇を討つことを選んだのだろうが、おのれの選択ではないか。いまさら孤独が嫌だなどとごねるでないわ」
「だって、やっぱりさびしいよう」
びいびいと泣き声が強まる。
「仇を討ててしばらくはうれしかった。でもあたらしい巣にはだれもいないまま。稲荷の社の巣穴にいたころは、
ずっと一匹っきりは、もういやだよう」
ふところで泣きじゃくるこがねに、新右衛門は苦りきる。
――獣の分際で甘えたことをぬかしおって、一匹きりの狐など珍しくもなかろうが。
そう口中で罵ったが、ふと思い当たる。
こがねは、ただの野狐とはまるで違う。化ける狐というものは、その性質まで人にずっと近いものなのかもしれない。
泣き顔を見下ろす。
これまでは、薄気味悪いほどに感情をまったく面に出さないやつだと思っていた。だが、号泣しているいまの様子は人の子とまるで変わりない。
――あるいは他者とほぼ交わらなかったゆえに、表情を作ることが下手なのかもしれんな。
――泣き顔だけが自然に出るということは、普段からこうして泣き暮らしておったのであろうか。
「風車が鳴ってたら、昔みたいににぎやかで、少しだけ気がまぎれたの」
こがねがぐすぐす鼻を鳴らしながら言う。
新右衛門は腑に落ちてつぶやいた。
「ああ、だから五本最初にそろえたがったのだな。父と母と弟三匹に見立てていたのか」
――悪さの数々は、怒りを周りにぶつけているのだと思ったが。
見当違いだったわけである。こがねが抱いていたやるせない想いは憤怒ではなく孤愁であった。
要はこやつはかまってほしかったのかと、新右衛門は深々と嘆息した。
「子供じゃのう。……それで、五本を過ぎても風車を作れと言ったのはどういうわけだ?」
「だって、作り終わったらあんちゃが来てくれなくなるって思ったから……何度も来てほしかったの。怒んないで。あたしを残して行かないで」
「甘ったれ狐が!」
吐き捨てる。おかしみと腹立ちがないまざってどのような表情をつくればいいか見当もつかない。寂しがりの童にさんざん振り回されたのかと思うと、笑うに笑えず泣くに泣けぬ。
「大人になったら、寂しさなどどうでもよくなるわ。独りでいることが気楽だと思うようにさえなるぞ。とにかく離せ、厄介な狐妖など連れていけるか」
「厄介にならないよ。役に立つ。役に立つから」
しがみつかれて涙声で食い下がられ、新右衛門はどうにも辟易しきった。
これも狐に
このままでは突き放しても本当に後をついてきそうである。
それに、少女の事情と本音を知ってしまった。憤りがほぼ失せたあとに残るのはやはり、断ち切ることのできない共感だった。
新右衛門はなんとなく、こがねが追ってこずとも自分は結局戻ってきたのではないかという気がしはじめている。
――せめて、こやつを人と和解させてからでなくては後味が悪くて出ていけぬわ。
こがねをどうにか引き剥がし、かがみこんで目線を合わせた。
「……いいか、金輪際、
目に手を当てて泣きながらこくこくとこがねはうなずいている。
ようやく、狐害は終息した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます