第2話 こがね

御坊ごぼう。かの狐の調伏、引き受けてもらいたい」


 村長むらおさが深刻な顔つきで迫ってくる。


 ――わしに押しつけられても困る。本物の調伏などやったことはないわ。


 新右衛門は内心で悲鳴を上げた。それでも、ずっと村長のもとに厄介になっている身分では、とうてい断れるものではない。


 狐たちが惨殺されたなんとも後味の悪い事件は、ふたつの余波をもたらしていた。

 ひとつは、新右衛門が村に長期にわたって留まるのを黙認されたことである。一頭のみとはいえ村の稲荷の狐を救ったためであろう、村人がかれに注ぐ視線からはよそ者に対する冷ややかさがだいぶ消えていた。日がな一日、村の作業を手伝わされる日傭ひやといの者の扱いではあるが、有り金すべてを失ったばかりの新右衛門に文句はなかった。


 しかし、もうひとつ。

 これまた狐と関わることであったが、こちらは誰にとっても凶報であった。


 ちかごろ、村の近辺では狐の害が増えている。それも山人、里人、旅人の区別なくであり、秋を迎えた近江おうみの国じゅうに噂は広まりつつある。

 村での被害は、畑の作物を夜のうちにひっこ抜かれたり、戸口から履物はきものを残らず盗まれたりと枚挙にいとまがない。畑に残った仔狐の足跡は村じゅうの者が見た。


 悪童のいたずらじみているとはいえ、度重なると決して笑って済ませられる被害ではない。やむなく仔狐を追い払うことに決まり、稲荷社の裏にある狐穴は掘りくずされるに至った――しかし仔狐の姿はすでにその巣穴にはなかったのだ。


 また、夜近くなって街道を通ろうとすればほぼ確実に狐火に出会うという。

 被害にあった旅人いわく、一夜の宿をもらおうと人家の明かりを目指して進んでいたはずが、どれだけ歩いても村に付かない。気がつけば暗い野っ原のただ中に迷いこんでいる。沼にはまって溺れかけてからようやく目が醒めた者もいたようである。

 妖しいわらべも目撃されていた。暗闇のうちより走りいで、手にしたはさみのようなもので馬の手綱や人の手指に切りつけていく。狐火をともなって、陰惨な恨みの相をしている、と見た者は震えながら語った。


 いつしか近辺の道は“狐火街道”などと呼ばれて恐れられるようになってしまっていた。


「行商の者がこのあたりを避けるようになってからでは遅いのじゃ、御坊。そういうわけで日が暮れたらよろしく頼む。狐相手は、御坊のような験者にはお手の物であろう」


「とはいえ村長どの、かの狐はなんといってももとが神の眷属、また哀れな事情もある。悪さのやむ日がいずれ来ないとはかぎらぬ、もうしばし様子を見てやるほうが……」


 新右衛門は必死さを面に出さぬよう注意しながらも言い立てる。

 夜の野になどおもむきたくはない。こちらは修行をしたこともない似非修験者えせしゅげんじゃの身だ。臨兵闘者皆陣列在前と九字の印を切ろうが、朱筆で梵字を記した札を突きつけてカン・マン・ボロンだのビシビシ・バク・ソワカだの真言を唱えようが、そこに験力が宿るはずもない。

 しかし、村長は気が重そうに首をふり、続く言葉で新右衛門に息をのませた。


「わしも当初はそう思った。そう思っていればこそ、今日まで捨ておいていたが――人死にが出ていたとあってはな、これ以上の堪忍はならぬ」


「……人が死んだ?」


「おぬしが見たという例の木地師の三人よ。かねてより乱妨らんぼう者として山でも恐れ憎まれていた奴ばらだが、突如乱心して互いに斬り合い、深手を負って果てたそうな。木地師の長がこちらに詫びを入れるついでに伝えてよこしたわ。

 死ぬ前の数日は、ものみなが狐に見えるといって憔悴し、ついに互いに『おのれ狐め』『なにを、おのれこそ狐であろう』と刃を突きつけて怒鳴り合うにいたったそうじゃ」


「ああ……」


 三人の山人を思い出し、新右衛門はやや恐怖が薄れるのを感じた。


「言ってはなんだが、長どの。あれらの所業は祟られて当然じゃ。自業自得をこうむった悪人と、善人をいっしょにするべくもない。仇を討ったならば狐怪の害もおさまろうよ」


「いいや、御坊。連中が死んだのはすでに四ヶ月前、社で狼藉しおってからすぐのことだそうじゃ」またしても、長は新右衛門の言葉を断ち切った。「そして今にいたるまで害はやんでおらぬ。……人の血に穢れたとあらば、すでに神狐ではなく妖物のたぐいじゃ、祓うにしかず。よろしく頼みましたぞ」


 かくして、心ならずも新右衛門は夜の野を歩きまわることになった。

 秋草のなびく月下の近江盆地は、幽暗茫々として人魂のひとつふたつ飛んでいてもおかしくない雰囲気である。びくびくしながら、月明かりをたよりに一刻ばかりもうろついていただろうか。このまま厄介ごとに行き会わずにすめばよいとの新右衛門の願いはあえなく打ち砕かれた。


 くろぐろとした野面に、いつからあったのか、火がぽつりと灯っている。


 ――狐火。


 ごくりと固唾を呑む。

 それはさながら先行する旅人のかかげる松明のように見えた。新右衛門の目を惹きつけたと確信したのか、誘うようにちらちら揺れながら、人が歩く速さですうっと移動してゆく。後をついていけば、聞いた話のとおり、迷わされるか水場に誘いこまれるのだろう。


 ――いっそこのまま依頼を放り出して逃げようか。


 服装と持ち物をたしかめる。六角頭巾ずきんくずの小袖、四幅指貫袴よののさしぬきばかま脚絆きゃはんに草履、杖、刀。しょった行李こうりにはもろもろの小道具。咒札まじないふだに小刀に、作って貯めおいた木細工、竹細工……


 調伏には必要だからと言い訳して、新右衛門は私物をすべて持ち出してきていた。雲を霞と遁走することになんの支障もない。


 にもかかわらず、新右衛門はついに逃げ去ることを選ばなかった。

 ためらった末に、行李を下ろしてあるものを取り出す。

 咒札ではなく、風車。

 それは野風に、からから、きい……と軋みつつ回った。


 ――妖物ではなく、親兄弟を失った子供が相手と思えばよい。

 ――あの仔狐はわしと同じじゃ。


「おおい。『あんちゃん』だ、こちらは」


 肚を決めて呼ばわると、かなたの火はぴたりと動きを止めた。

 かなたで火がふうっと揺らいで消える。

 ややあって、横手の熊笹のやぶが揺れ、燐火のごとく青白い光がぽうと宙にともった。新右衛門の心臓がとびはねる。


「お、おお……そちらにいたのか」


 顔を向ければそこにはぼさぼさの髪を腰まで垂らした少女がいた。年のころ十一か二、襤褸ぼろの柿色小袖を着、素足を泥に汚している。小さな手には、錆びたはさみを持っていた。

 人の形をしていても人ではないのは、一目でわかった。なにしろ、かたわらで一個のたまが発光しており、青、赤、橙……とその色は刻々移り変わっている。

 相手が女童めわらべだったことに少したじろぎつつも、新右衛門は狐妖について知識をさぐる。


 ――狐が持つ宝珠を“狐珠”というのだったか。

 ――しかし、狐は総じて化ければ美形というが……薄気味悪いのう。


 珠に照らされる少女の顔は、汚れてはいるがたしかに整っている。だが、感情がかけらも浮かんでおらず、どこか人形めいて見えた。

 ただ、周りのすべてを呪うように、瞳だけが据わって暗い。


 ――たしか五十年は生きねば化けぬとも聞いた気がするのだが。


 疑問を覚えながらも、新右衛門は問いかけた。


「おまえか。『こがね』」


 少女はうなずきもしなかったが、戸惑う様子はなく、肩がぴくりと動いた。彼女が顔見知りのあの仔狐だと、新右衛門が確証をもつにはそれでじゅうぶんだった。


「名はあるのか」


 ない、と少女は首を振った。


「では、こがねと呼ぶぞ」と新右衛門は言い渡して、本題に入る。「人に仇なすのはもうじゅうぶんと思わぬか。あの三人を殺して仇は討ったろう」


 仔狐、こがねは、ますます瞳の色をよどませただけである。

 しかし次に新右衛門が「関わりのない者にまで当たることはあるまい」と続けたときには反応があった。


「関わりならある。だれもかれもみな、人だ」


 奇妙に聞き取りにくい声だった。人と話し慣れていないからであろうか、発音や会話の抑揚に違和感があるのだ。

 新右衛門は背筋に寒いものを覚えながらも説得を試みる。


「人というだけで、まとめて憎むのか。わしも人だが、おまえはわしも憎んでおるか」


 最初、よこしまな企みを抱いて餌付けようとしたことはおくびにも出さない。

 こがねは新右衛門の顔をあおいだ。瞳の奥の敵意がわずかに和らいだように見えた。


「あんたには何もしない。放っておいて」


 村長から頼まれていることを思えばそうもいかん、と新右衛門はひとりごちた。


 ――屋根の下になるべく長く腰を落ち着けていたいからの。


 冬を越すまで屋敷に置いてもらえるなら言うことはない。そのためには、こがねを説得するという手柄をあげねばならなかった。

 少し考え、新右衛門は行李を下ろしてそこに腰をすえた。

 自分の不自由な右足を示す。


「人が狐だけにむごいことをしていると思うのか。人は人をも殺し、売り買いしているぞ。

 こちらのかかとの腱、十年前に切られておる。逃げ出さぬようにとな」


 狐の仔は、わずかに目を見開いたように見えた。

 からから夜風に回る風車に乾いたまなざしをそそぎ、新右衛門はとつとつ語る。


「わしの親父どのは、主筋の勘気怒りをこうむって領地から追放された武士よ。

 一家で各地をさすらい、そのあとわしは十になるかならずのうちに、弟ともども下人げにん(売買され召し使われる身分)となった。

 それでもましな主人に当たればよかったのであろうが、わしら兄弟を買った主人はとんだ吝嗇けちでなあ。飢饉・戦乱のおりを狙って下人どもを安く買いたたき、牛馬並みに働かせつつ、与える飯をいかに減らすかに心を砕く男であった。餓鬼道とはまさにあそこのことじゃ。骨と皮のみになったあげく弟はあっけなく死んだ。わしは何度も逃げ出そうとしたがそのたびに捕まり、そのあげく、ほかの下人どもへの見せしめとして、くるぶしをのこぎりで半ばまで切断された」


 だが、新右衛門が逃亡に成功したのはその夜だった。まさかその深手では逃げ出すまいと主人が油断して寝入った隙をついて、川に這いこんだのである。

 十中八九流されながら水死するところであったろうが、奇跡的に助かった。

 意識のない新右衛門を川辺で拾った山伏は情け深い男であった。かれをかくまって介抱したのち、余った衣装や小道具を与えて、最低限とはいえ生き方を示してくれたのである。


 数年間、新右衛門は各地を漂泊しながらも元の主人の追手に怯えていたが、やがてその心配はなくなった。

 主人の館が戦に巻きこまれたことを聞いたのである。聞くところによれば、館に火をつけられたあとの混乱にまぎれて、主人は下人たちによって顔の肉をすべて噛み千切られたという。そのあとは燃える館のなかに妻子ともども放り込まれたらしい。


「快哉を叫んだな、その知らせを聞いたときには」


 暗い笑みが頬に浮かびかけた。そんなかれへ、表情はほとんど変わらないながら、聞かずにいられないといった口調で狐の仔は訊いてきた。


「親はどうして守ってくれなかったの。……死んでいたの? あんちゃも、捕まえられたの」


 新右衛門は古傷がずきりと痛むのを感じた――足ではなく、心でそれはうずいている。


「はは、たしかに下人には、戦で捕まえられて売り買いされたという者も多いな。だがわしら兄弟は違う。一家が路頭に迷ったのち、親によって売られたのだ。母親にな」


 胸をさいなむ古傷が、新右衛門の口調を冷え乾いたものに変えていた。

 立ち尽くすこがねを一瞥する。


「最後の瞬間まで二親に慈しまれたことだけは、おまえのほうがましじゃ」


 自分がなぜ最初、仲睦まじい狐の家族にあれほど悪意をつのらせ、こがねをさらおうとしたのか、新右衛門はいやでも悟らざるをえない。


 ――どこかで妬んでいたのだな、わしは。


 幸せな家族を壊してやりたいとどこかで思っていた。新右衛門自身の境遇と同じように。

 しかし実際に狐たちが殺され、売られるためにこがねがつながれた光景を見たとき、新右衛門の胸に生じたのは強い共感と悲哀だった。それが、山人どもに銭を渡しまでしてこがねの縄を解かずにいられなかった理由でもあった。死んだ弟の面輪おもわを彼女に重ねたからだけではなかったのだ。


 ――いまのおまえはわしと似ている、狐の仔。


 家族を永久にうしなった。かれの家族は貧窮によって散り散りとなり、こがねの家族は暴力によって消えたという違いはあれども、喪ったこと自体は共通していた。

 そして、似た経験をした新右衛門には、こがねの鬱屈がわかる気がするのである。


 ――この仔狐は仇以外の人までを本気で憎んでおるのではない。

 ――一時期のわしがそうであったように、ひたすらに世をすねておるだけじゃ。荒れて、何かに噛み付かねば気がすまぬだけよ。


「こがね、わしにはおまえを調伏する力などない」


 正直に新右衛門は告白し、


「だから道理を説くだけじゃ。人に手をだすのをやめろ。

 ことに田畑を荒らされるのは、農民にとって命に関わる。

 飢饉が多い近ごろでは、みなぎりぎりで生きておる。農民はその年の税が納められずば、銭貸しから借銭借米借金して払わざるをえぬ。もしすでに借銭があって、作物でそれの利息を払うことを当て込んでいた家ならば――多いぞ、昨今はそういう家も――土地家屋を抵当として取られることもある。そうなると悲惨よ。流民となって天下をさすらうことになる。


 あるいはわしの一家のように、自分の身や妻子を下人として売るしかなくなる。

 死ぬよりつらい目に人の家族を追いこんで満足か、こがね。

 満足だと言うなら好きにせよ。悪狐あっことして振る舞い、人間に害をなしつづけるがいい、どうせわしには止められぬ。だがそうすれば、近いうちに本物の比良峰の修験者なり京の陰陽師おんみょうじなりがやってきておまえを討つだろう。

 陰陽師どもは怖いぞ。通力のある狐を捕らえたら、あえて苦しめぬいて殺し、その死霊をおのが式神として召し使うと聞き及ぶ」


 こがねは話を聞くうちにじわじわとうつむいていた。痩せた肩が震えている。それが自分の所業を悔いた証かはわからない。差し出口をと怒りを覚えたか、それとも調伏されると聞いて怯えたのかもしれない。


 ――だが、おおかた大丈夫じゃろう。


 新右衛門は確信に近い感触を得ている。もとが悪い子ではあるまいから、と。


「いいか、わしとて親や主人のみならず、世の中に復讐してやりたいと思っておる。だがそれは自分が幸せになって、すべてを見返してやる形でじゃ。

 ましておまえは、直接の仇をすでに討っておるじゃろう。ならもう前を見て生きろ。

 話は終わりだ。これをやる、持って帰れ」


 風車を突き出すと、こがねは顔をあげた。

 おずおずと近寄ってきて、泥に汚れた手指で風車を受け取る。

 新右衛門が村へと戻る途中でふりむいてみると、少女はまだ立っていて、無表情で手にした風車をじいっと見つめていた。


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