25.”そんな事”には使わないよ

 大分、神秘マナのコントロールに慣れてきた。

 杖や箒無しで飛翔フライトを使う場合、魔法変換した神秘マナが直接魔法イメージに沿って発現するせいで、魔法回路に送り込む神秘マナの量がそのまま出力の高さに直結する事になる。

 黒木真織は写本の際、神秘マナの変換効率を多少上げた程度のつもりだったが、それが先程の高出力発動による暴走に繋がっているのに気づいた。

 変換された神秘マナの発動イメージをもっと柔らかなものにするか、送りこむ神秘マナの量を調整するか。

 黒木真織はいろいろ試してみて、最終的には全身を変換された神秘マナで覆い、出力を分散することで、上手く空中で動くことに成功した。

「でも、慣れた、って思うとすっぽ抜けそうだなー……」

 油断は出来ないな、と注意深く神秘マナの出力イメージを維持しながら、巨木の方へ向かって降りてゆく。

 折角なので、今まで直に見たことのない程の大きな樹木を観察しておこうと、周囲をぐるりと一巡り。

 すると木の上部、幾重にも重なった木の葉の奥に、この樹木とはまた異なる金属質の光沢が目に入り、よく確認しようと近づいてみて、そして驚愕する。

 そこに在るのは枝分かれした木の幹を玉座のようにして、鎮座する緑の巨人であった。

「! これって……魔装グリモローブ……?」

「トキ・アニージアの魔装グリモローブ『タイタニア』……びっくりだよねぇ~、何百年も前の魔装グリモローブが、こんな所に現存してるんだもん」

 足下からかけられた聞き覚えのある声に、真織の背筋を寒気が這い上がる。反射的にその場から飛び退り、身構えながら確かめた声の主は、真織が頭に浮かべた人物に間違いなかった。

「……チャーム・ティアドロップ……」

 その羊角族シープホーンの少女は、にこにこと笑顔で手を振りながら、木の枝に座っていた。



 チャーム・ティアドロップは、島の将来を背負って魔法学園に送り出された羊角族シープホーンの子供たちの一人であった。

 この島に居た当事から笑顔を絶やさぬ明るい娘であり、島中の大人たちから可愛がられていた。また勉強熱心で、それに感心した長老から、保管されていた治癒の魔導書グリモアを譲り渡したという。

 初等部の頃はロサノアール島にある羊角族シープホーンたちの寄り合い所で、大人の羊角族シープホーン達と共に生活し、そこから学園に通っていたが、その時に事件があった。

 一言で言えば誘拐・監禁されたのである。

 後に島の警護隊、黒鎚隊ブラックメイスによって捕らえられたのは商家の道楽息子と、その友人数名。その目的は、金銭ではなかった。身代金目当てであったのならまだ、救いすら在ったかもしれない。

 彼女の愛くるしい見た目と笑顔が、その不良男達の劣情と嗜虐心を刺激した。そしてその男達は、それを抑える程の理性も持ち合わせてはいなかった。

 それ故に、チャーム・ティアドロップはその身と心に、決して癒える事のない傷痕を残すことになったのだ。


 長老はその事件の事を静かに語り、ボアとガイトは神妙な顔でそれに耳を傾けた。

 長老は間を空け、続けてこう言った。

「……あの子に、『死滅の魔導書グリモア』を渡したのは儂よ。王国法に反しておるのも解っておったし、いずれはこういう事になろうとは思っておった。しかし、あの子には、笑顔になって欲しかった」

 その時の事を思い出した長老の表情は、忌々しげに歪んでいる。

「事件の後、帰ってきたあの子の顔には絶望が貼り付いておった。恐怖と憎しみが貼り付いておった……これを持てば何も恐れることはないと、憎しみを晴らすことが出来ると、あの魔導書グリモアを渡したのだ。――だからまた、あの頃のように、笑っておくれ、と」

 そこまで語って長老は、肩を落とし項垂れる。

「そんな老いぼれの身勝手な言葉も、あの子を歪めてしまったのだろうよ……さ、お主らはお主らの仕事を果たしなさい……お縄につく覚悟は出来ておる」

「……禁書の単純所持に、譲渡。決して軽い罪ではありませんぞ、長老」

 それだけ淡々と口にして、ボア・ソルダートは己よりも年老いた罪人の腕に、縄をかけた。

 ガイト・レオンは何とも苦い顔で、その顛末を手元の書類に記録する。

「……それにしても誘拐の話、黒鎚隊ブラックメイスから共有されてなかったのはどういう事でしょうね」

「被害者の保護やら、何かしらの思惑はあるんだろうがなぁ……」

 島の警護団は独立性が高く、島を跨いでの捜査の時に上手く連携が取れないこともしばしばあるが、こうした過去の事件の情報まで伏せられているのには、違和感が拭えない。

 しかしとりあえず、ボアが気にしているのは目の前の事。

「さて……此度の話、お嬢様方にはなんと話したものかな」



『そっちの花は、色似てるけど、ちょっと黄色味があるから、間違えないでねぇ』

 アーチェと名乗るその妖精は、分かれ道で判断に迷うアイラ達に、そう助言を送る。妖精の服フェアリードレスの花には様々な色があって、それぞれ異なる目印になっているという。

『あっちに進むと、角熊の縄張りだからね~……うっかり迷い込むと大変だよぉ』

「く、熊さんが……」

『ところでさ……エウル達の目的は魔導書グリモア原書オリジナル、なんだよねぇ~?』

「そうよ。そのものがここにあるとまでは、期待してなかったけど」

 木の根が張り出してぼこぼことした道を踏みしめながら、アイラが質問に答えると、妖精はさらに質問を重ねる。

『何で原書オリジナルが要るんだい?』

「友達を……友達になりたい人を、助けるためだよ」

 これには、エウルが答える。足取りに迷いはなく、言葉も真っ直ぐだ。

「治癒の魔導書グリモアだけじゃ、シックくんは治療できないから」

『ふぅ~ん……でも』

 アーチェはまた、問いを投げかける。

『その後は、どうするんだい? 目の前にある命なら、その生殺与奪を握る事ができる、大きな力だよ、あれは』

「……分かるよ。お薬と同じなんだよね?」

 エウルの言葉に、アーチェははっとして振り向いた。

「お薬も過ぎれば毒になるし、毒だって使いようでお薬になる事もある。使う人が、どんな風に使うかきちんと考えて使わないと、取り返しのつかない事にだってなる。怖い事だよ、とっても」

 命に気安く触れる怖さを知ってなお、だからこそ真剣に人の命と向き合うと、そう決めている。そんなエウルの言葉は柔らかく、しかし強い芯を感じさせた。

「もし原書オリジナルを手にする事になったら、シックくんを治してそれで終わり、にはならないよね。それを欲しがる人は沢山いるし、嫌な事にだって巻き込まれる。だけど……もう一人、ね。お友達になりたい子がいるんだ」

『ふむふむ?』

原書オリジナルの大きな力を持ってるんだけど、そんなの全然気負ってないみたい。色々もう巻き込まれてるのに、本当にしょうがないって時以外は、その魔法、使わないんだよねぇ」

「エウル……」

 それが黒木真織の事であると理解したアイラは、小さく呟いて、困り笑いを浮かべる。この眼鏡の少女の目には、真織はそのように映っているのか、と。

「私は……その子とは違うけど、見習いたい所がいっぱいあって。同じように、原書オリジナルとは向き合いたいなぁって」

「そんな事になったら、きっと兄様や母様が騒ぐと思うわよ?」

「元々白槍隊ホワイトランサーズ志望だから、アイラちゃんの管理下なのは構わないかなぁ。……マオちゃんと学園長さんが対立するようなことになったら、私はマオちゃんの方につくと思うけど」

「それは、ね……私もだけど……」

『……なるほどね~。それじゃ、もうひと踏ん張りしないとねぇ』

 アーチェは何かに納得して、楽しそうに次の目印の花を指差した。

(エウルだったら、トキもきっと納得してくれるかなぁ)

 ぼんやりとしているようで、既に大切な事を決めて行動している。エウルのその思いに妖精は、かつての盟友の祈りを託せるかもしれないと思い始めていた。



「……ティアさんがここに居るって事は、原書オリジナルがあるって事だね」

「へえ、それでここまで来たの? 凄いなぁ、マオちゃんは」

 お互い安定しない場所という事で、二人とも大樹の下へ降りて、向き合って話をしていた。

「ちょっと原書オリジナルが欲しい事情があって」

「へぇ~、”送りたい”人がいるとか? 禁書だと捕まっちゃうもんねぇ」

「”そんな事”には使わないよ。私も、エウルも」

 チャームの「人を殺したいのか」という煽りに、真織は乗るつもりは無いまでも酷く気分を害されたのを自覚した。

 エウルの気持ちを、侮辱されたように感じたのだ。

 さらに相手が既に何人もの人を『送って』いる送り手であることもあって、内心恐れても居た。だから、言葉に棘がついてしまった。

 冷静で居たいのに、小心者だな、と真織は心の中で己を嗤う。

「”そんな事”かぁ、チャームにとっては大事な事なんだけどなぁ」

「私はティアさんじゃないよ。当たり前だけど」

 チャームの頬を膨らせる様は、我儘を聞いてもらえなかった幼児くらいの感覚に見える。しかし、相手は魔法使いメイガス、何が飛んでくるか分からない。

 相手の言動に注意を払いながら、真織は質問を投げかけてみる。

「それより、原書オリジナルを前にして、何してたの」

「……実はね。チャーム、生命の魔導書グリモアにフラれちゃったんだぁ。ふえん……」

 チャームは二つの握った拳を目元に、泣きまねをして見せる。しかしすぐに、呆れたように眺める真織に向けて、にっこりといつもの笑顔を作る。

 原書オリジナルは所持者として認められた者のみが使用する事が出来、その譲渡は先の所持者の意思が色濃く反映される。これは所持者を亡くし一時的に所持者不在となった原書オリジナルについても同様で、先の所持者が設定した条件を、チャームは満たしていなかった、という事のようだ。

「でも、送り手の中には、所持者になれる子が居るかもしれないから」

 チャームがそう口にしたとき、空に、穴が開いた。

 そこから落ちてきたものがふたつ、チャームの背後に地響きを立てて着地する。

「タイタニアごと、持って行くことになったんだよねぇ」

 その二機の魔装グリモローブの1つは黄色く、両肩に備えられた大きな装甲が羊角族シープホーンのような角を模していて特徴的だ。

 もう一体は白い。透明感のあるパールホワイトに、額の刀身ブレード状の一本角が、伝説上の一角獣を彷彿とさせる。

 その白い魔装グリモローブが身を屈め、チャーム・ティアドロップにその手を差し伸べる。チャームがその上にぴょんと飛び乗ると、そのまま黄色い魔装グリモローブの操縦席へと運んだ。

 操縦席に乗り込んだチャームは、機体の起動手順を踏みながら、もう一体の魔装グリモローブに通信を入れた。

「チャームの『ネメシス』、持ってきてくれてありがと、アラネアちゃん♪」

『いえいえ、お姫様プリンセスのバックアップは、先生からの依頼です。礼には及びません』

 白いショートヘアのその人物、一見少年のように見えるが女性である。白い魔装グリモローブ『カイルス』の魔法使いメイガス、アラネア・ニウェウスは、己の前髪をピンと指先で弾きながら、チャームに応えた。

『早速運搬作業に入りましょうか……ところでお姫様プリンセス。先程誰かとお話していませんでしたか?』

「あ、そだ、マオちゃんはぁ……あれ?」

 機体の足下に居たはずの黒木真織の姿が、どこにもない。不思議に思って周囲を見渡すと、正面に大きな、黒い穴が空いた。

「あれぇ、これアラネアちゃんが?」

『いいえ、違います。これはまさか、最近噂の――』

 黒い穴の縁に手をかけ、その黒い空間から這い出してくるのは、黒い悪魔のような魔装グリモローブ

『ティアさん達に、黙って持っていかれるわけに行かないから、さ』

 そうしてスピーカーから放たれる声は、先程までチャームと話していた黒木真織の物に相違なく。

『悪いけど、邪魔させてもらうよ』

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