24.もっと早く言ってよ

 滅多に人の訪れない島であるから、宿と言える物は存在しない。いくつか使っていない家屋があり、公人の訪問等がある際はそれを使うのだが、真織達は予定されていない訪問者であるという事もあって、そちらに宿泊するのも遠慮した。

 テューポーン号は真織達がこの島にいる間は停泊することとなるから、即ち拠点として利用することが出来るため、それでも不都合はないのだ。交渉事やらで島民側とお互いに手間をとる必要はない。

「これまでの情報を繋げると、アニージア導師が当事の生命の魔導書グリモアの所持者という事で良さそうだね」

 夕食時。黒木真織はそう言って、よく焼いた野鳥の肉に塩と香辛料を振りかけただけの物をフォークで口に運ぶ。

「んぐ……そうすると明日は、『導師の巨木』に行けばいいのかな?」

「禁足地だって言うし……あんまり気がすすまないわね」

 白飯を飲み込んでからエウル・セプテムが明日の予定を確認すると、アイラは島民から得た情報を添え、上品にスープを一口。

「この島は亜人種族自治区域ですからね。他の島の人間が掟を破ると、大きな問題になりかねませんよ」

「そうは言っても原書オリジナルやアニージア導師の情報が欲しい。わざわざ禁足地にしてるのは、何かあるからだよ」

 ガイト・レオンは懸念を口にするが、しかし真織は行く気満々だ。

「校外学習扱いなのだろう? 魔法学園の跳ねっ返りが自然観察の最中に道を誤って禁足地に迷い込んだというのは、あり得る事故だ」

 見つかった時はそういう話にしてしまえば良い、と言うように、オウラン・メダンは語る。恐らく彼女も過去に似たようなことをした事があるのだろう、と、その場の誰もが一瞬思ったが、あえて触れずに。

「長老様にも会えればよかったけど、学生が予約アポ無しで押しかけるってのもね……」

「それに、儂らも仕事せんといかんからな。長老のところには、白槍隊としてチャーム・ティアドロップについて聞き取りに行かねばならん。お嬢様方と一緒にとはいかんよ。……ガイトも来い。いい大人が学生と一緒に迷子というわけにもいかんだろ」

 黙って話を聞いていたボア・ソルダートがそう申し出るが、ガイト・レオンは渋る様子であった。

「しかし、この島には危険な魔獣も……」

「多少の不安はあれ、少なくともお嬢様とエウルは魔法戦闘は嗜んでおる。まあ最悪……手に負えない魔獣やらが出たり、島民が掟破りを見逃してくれんと言うなら、ディモスに乗って逃げ帰ってくればよかろ」

 アイラ・グラキエースの魔法の実力はガイト達も知っているし、エウル・セプテムは白槍隊見習いで治癒魔法が使える。それに加えて真織の「虚無の魔導書グリモアさえあれば、好きな時にディモスが使える」というのは、保険となり得る。

「……子供に悪事をそそのかすって、ろくな保護者じゃありませんよ」

 ガイト・レオンが諸々を諦めた為、予定としては白槍隊ホワイトランサーズはチャーム・ティアドロップの調査に動き、その間は学生は自然観察の為森に入る、という事となった。



 森に張られたロープをくぐり、導師の巨木へと至る道のりは、街での生活に慣れきった女子学生三人にとっては、あまりに険しいと言わざると得ない。

 王国内であり豊富な神秘マナが存在するために魔法通信端末マナフォンが正常に機能することが、物質世界マテリアにおける山林とは大きく異なるところであり、彼女らにとっての救いでも在る。

 重ねて空中から視界を確保でき、加えてそれを魔法通信端末マナフォンに映像として表示できる妖精イヴが居るため、真織達は着実に、目的地に近付くことが出来ていた。

 そしておそらく、今はその半ばまで来た辺り。

「……あのさ。もう少し木の背が高くなったら、ディモスで行かない?」

「だめ。ディモスで歩くとこの森を傷つけちゃうでしょ」

 獣道のような細い林道を進み歩き疲れた真織の意見に、エウルは口を尖らせて反対する。

「ディモスで歩くんじゃなくて、空を飛んでいくのは」

「だめよ。私達が巨木に向かってるのは島の人達には内緒なんだから。見つかったら面倒よ」

 今度はアイラに反対され、真織は渋々ながら足を動かす。

 目立つと面倒なのでディモスは使わない。彼女らが最初から決めていた事である。ダメ元で言いはしたが、やはり却下されただけの事。

 真織は魔法世界マナリアに来てから、以前より多少は出歩くようになり、多少は体力もついたように思っていたが、所詮は”多少”の域を出ないのだと痛感する。

 アイラは領主家のお嬢様ということで質の良いトレーニングを受けているらしいし、エウルは見た目と性格に似合わず白槍隊ホワイトランサーズ志望者で、それなりに鍛えられている。物質世界マテリアの地方都市でぼんやり暮らしていた真織ではついていくだけで精一杯だった。

「やっぱり箒、持ってくるんだった……」

『……マオ。一応確認しますが』

「何?」

『風の魔導書グリモアは、あえて使わない選択をしているのですよね』

「……」

 妖精の言葉に、黒木真織はひとたび動きを止め、そして次の瞬間には、その場に頭を抱えて座り込んでしまった。

「イヴ……もっと早く言ってよ……」

 風の魔導書グリモアには飛翔フライトの魔法が収録されている。

 空飛ぶ箒フライングブルームを使って翔ぶより神秘マナのコントロールに神経を使う事になるが、真織にとっては徒歩で使用する足の筋肉やスタミナよりも、遥かに訓練されている部分の筈である。

『与えられた状況下、己の持つ手段を把握し適切な取捨選択を行える事は、魔法使いメイガスの大事な資質ですよ』

「それは、そうなんだけどさ……」

『あの巨大凧蛸カイトパスの時と言い、マオはその辺りがまだ甘いように思います』

「あの時はイヴだって、杖のこと忘れてたじゃないか」

『私は魔導書庫アーカイヴ管理妖精。魔法使いメイガスではありません』

「……まあいいや。やってみる」

 真織は釈然としないながらも立ち上がり、魔導書の入った鞄に手を置く。自ら解釈し、書き写した魔法回路なため、発動するにはそれで充分だった。

 問題は発動のイメージで、そこを考えるにあたって空飛ぶ箒フライングブルームのような乗り物や、魔装グリモローブ飛翔外套フライトクロークは、それ自体が発動イメージを具体化したものであると解る。やりやすさが全く違うのだ。

 箒も翼も無い状態で、浮き上がり風に乗るイメージを作らなければならない。その時に真織の頭に浮かんだ、その身一つで空を翔ぶイメージは――

「ぇ、ぅえ……――っ」

 足から推進力を噴出するとても単純なものだったから、足下より高出力で噴射された神秘マナは、彼女を一気に空高くまで押し上げてしまったのだった。


「それで、マオ。今どの辺り?」

『……あはは、ごめん……巨木飛び越えて山の方、多分』

 アイラが魔法通信端末マナフォンを耳に当て、呆れたように声をかけると、向こうから真織の乾いた笑いが返ってくる。

 真織の無事を確認したエウルは、通話しているアイラの横でほう、と安堵の息を吐いた。

『一先ず、なんとか安定して飛べるようにはなったけど、やっぱり箒無しだと難しいんだね』

「普通は杖も箒も無しで、そんなに加速できないのよ。……神秘マナ操作のいい訓練になりそうだけど、言ってる場合じゃないわね」

 どうやら遙か上空で魔法のイメージを練り直したようだが、お互いに視認できない距離まで飛んでいってしまっているようだ。

『巨木は見えるけど、ここからだとアイラ達は見えないな……』

『私もマオの方に来てしまっていますし、困ったものです』

 行動範囲を真織の端末の周囲に限定されているイヴは瞬時に端末の中に戻され、今は真織の近くにいる。

 そうなると、アイラ達は己の位置確認をイヴに頼れなくなってしまった事になる。

「ディモスを出すのは無しよ。島民を無闇に刺激したくないし」

『分かってる』

「ぅーん……こっちはどうにかするから、マオは巨木まで行ってて?」

『了解、もうちょっと練習したら行くよ』

 そんなやり取りで通話を終わらせたものの、アイラはどうしたものかと思案する。そこへエウルが遠慮がちに声をかけた。

「あのねアイラちゃん。あんまり自信はないんだけど」

「どうしたの?」

「巨木までの道、分かったかも」

 そう言って、エウルが頭上の花を指差す。それは木の枝に巻き付いた蔓から垂れ下がり、スカートのように白い花弁が広がっていた。

「今までの道、大体同じような間隔でこの白い妖精の服フェアリードレスの花が咲いてたの。これ、島の人達が迷わないための目印じゃないかな」

「そんな事、できるものなの?」

森精族エルフとか、山林に棲む亜人種族がよく目印に使うって本で読んだことあるよ。羊角族シープホーンも使うのかもだし、そうでなくてもアニージア導師が森精族エルフとかなのかも知れない」

 エウルがそこまで語り終えると、アイラが口を開く前に、間延びした声がエウルに語りかけた。

『へぇ~、よく知ってるねぇ?』

 のんびりとした、少女の声。はっきりと聴こえたその声の源に視線を向けると、そこには、妖精が浮かんでいた。

 身体の大きさはイヴと同程度。

 背中に生えた蝶の羽は、黄色味の強いアゲハチョウのもので、金色の頭髪は左右にお団子に纏められている。服装は緑色の長袖のワンピースの上に白いエプロンを着用し、頭にナースキャップに見える帽子をちょこんと載せている、昔の看護服のようなスタイルだ。

「よ、妖精さん?」

『見ての通りの妖精さんだよ~。何の妖精かは忘れたけどねぇ』

 ぼんやりと眠たそうな惚けた言葉とともに、妖精は二人の周囲をくるくると飛び回る。

『……でもこの先、行かないほうが良いよぉ? 少し前から、血の匂いがする魔法使いメイガスが来てるんだよねぇ』

「……! それって、巨木のところに?」

 アイラがそう尋ねると、金髪の妖精は頷いて答える。

『そうだねぇ……どうやら、そこに封印されているものが目当てみたいだけど』

「……『生命の魔導書グリモア』」

 エウルの呟きに、妖精はぎょっとして視線を向け、そしてすぐに、にぃ、と口の端を上げた。

「あるんだね、本当に」

『なるほどねぇ~』

 眼鏡の奥から向けられる真剣な眼差し。それを受け止めて、妖精は面白がるように目で笑っていた。

『……いいねぇ、君。名前は?』

「エウル。エウル・セプテム、だよ」

 そこに着実に、近づいている。その実感はエウルに高揚感と緊張感を与え、その口から出た言葉は確りと力強い。

 妖精は、満足げに頷いた。


『いい名前だね。ボクはアーチェ――「今は」森の妖精、アーチェ。君たちの目的地まで、ボクも一緒についてってあげよぉ』

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