四章-2 祈りと呪い

23.すっごく、翔びたい空だ

 その少女が、その島にのは何年かぶりだろうか。

 獣の皮を縫い合わせた胸元から下を覆う所謂ベアトップの形状の着衣は、羊角族シープホーンの伝統的なものだ。島に自生している花をすり潰した染料で描かれた紋様は、魔導書グリモア巻物スクロールに近い魔法回路の役目を果たし、神秘マナを込めれば身体の疲労を少しだけ回復できる。

 少女のその表情は笑顔で、左右のくるりと巻いた角を揺らし、足取りも軽く、森の道を往く。

 その少し後を、この森においてはあまりに場違いな礼服のようなものを纏った男が悠然と歩く。白髪交じりのブラウンの髪。歳は中年といったところであろうが、身なりの良さと細く絞られた体躯には清潔感があった。その余裕ある笑顔は、胡散臭さを感じさせる。

 やがて、先を歩いていた少女が目的地に辿り着いた。

 眼前にあるのは、大樹。

 両腕を広げた大人が何十人も居なければ囲うことが出来ないようなその太い幹の先端で、何か大きなものが大樹の枝が絡みついていたが、同様に大きな葉に隠されてよく見えない。

 少女が立ち止まって目を瞑ると、神秘マナが光を帯びた粒子となって、そのに送り込まれる。

 しかし少女はそこで拒絶のようなものを感じ、神秘マナの操作を止め、振り返った。不満げに、口を尖らせて。

先生せんせぇ、やっぱり応えてくれないみたいだよぉ」

「それは残念ですね。しかしまぁ……既に原書オリジナル所持者として認められているからかも知れません」

「そうだね、先生せんせぇがチャームにぴったりなの、見つけてきてくれたもんねぇ」

 先生と呼ばれたその男が然程落胆も見せずににこにことして告げると、チャーム・ティアドロップはまた、花のような笑顔を咲かせた。



「到着ー!」

 発着港とは名ばかりの、綺麗に舗装されただけの台地に降りたテューポーン号から、真っ先に駆け下りたのは、カーキのサファリジャケットにサファリハットを身に着けた、エウル・セプテムだった。

 こうした島の表面を使用した発着港は魔法船マナシップが大型化する以前のものであり、規模の大きくない島に見られる。

「……」

 エウルに続いて島の地面を踏んだ黒木真織は、その景色を眺めて陶然としていた。


 空を覆う神秘マナの雲は、爽やかな青や柔らかな緑に黄色に彩られていて、遠くにあるように見え、空が高く思える。

 発着港のある台地の下には森が広がっていて、その中にはいくつか点在する森が開けた箇所に、質素な木造家屋が何軒かずつ並んで村を形成していた。

 その更に向こうには岩山がそびえていたが、その少し手前の大きな樹木が目を引いた。昔見た何かのTVCMで見たような感じの巨木で、思わずCMソングが口から流れ出そうになる。

 間近に寄れば、魔装グリモローブよりも大きいのでは無かろうか。


 真織の知る、例えば山頂の景色。例えば海岸の景色。それらを肌で感じるときの圧倒される感覚。独特な風と匂いの、清々しい、心地よい感覚。

 真織は息を深く吸い込んで、それをその身に染み渡らせた。

「いい風ね」

 真織と色違いの白いダウンジャケットに、水色のキュロットの裾が風に揺れる。隣に立ったアイラ・グラキエースが、その感覚を簡潔に口にすると、真織は心地よさそうに目を細め、頷いた。

「私の箒、未だ出来てないのが残念。なんだろ、すっごく、翔びたい空だ」

「そしたら帰ったら先ず資金調達のために、実力証明取らないとよね」

「進級課題優先で、先送りになっちゃったもんね」

 向こうで大きく手を振っているエウルの方に歩きながら、真織とアイラはその先の計画を話し合う。

「監督役は任せたぞ、ガイトよ」

「ええ、自分にお任せを。ボアさんはどうするんですか」

「船長と茶飲み話でもしておるよ」

「ジジイと一緒にするな、ボア・ソルダート。私は帰りの食料やらを、調達せねばならん」

 学生達の背後では、大人たちがそんな話をしているが、結局は三人について羊角族シープホーンの集落まで行くのはガイト・レオンだけのようだ。


「ツノリンドウに、モクモソウ、あれは、んー、ツバキの仲間かな?」

「……あら、エウルがマオ化してる?」

「何かアイラが酷い。……そういえばエウル、花が好きなんだっけ」

 最初に会ったのはエウルが花壇の手入れをしているときだが、真織は朧気にしか覚えておらず、後で思い出して苦笑されてしまった。

「うん! こんなに綺麗で可愛いものが、自然に生まれてくるって、実は凄い事なんだよー!」

「確かに、その通りだね」

 街に生きていると、当たり前の自然の在りようが奇跡のように見えるものだ。エウル・セプテムがその奇跡を噛み締める間に、森の奥の道から何人かの人影が現れた。

 色が濃いものから薄いものまで。その全員が巻いた角をこめかみの辺りに生やしている事から、この島に住む羊角族シープホーンだと解る。

「ようこそ、羊角族シープホーンの島へ。こんな何もない島へ、どんなご用向でしょうか?」

 長い髪の若い羊角族シープホーンの男性のその言葉。一先ずは歓迎の言葉を口にしたものの、端々に警戒を滲ませている。

 いつもの定期便ではない、個人所有の魔法船マナシップが来たのだから無理からぬ事。それは当然と受け入れると同時に。

(あ……普通の話し方だ)

 真織は、全く別の事で安堵していた。


 一先ず校外学習の一環としての観光が目的、と言う事にして、村人の案内を受ける。

 暫く黙って凸凹な道をついて歩いていたが、そのうちに真織が彼らを興味深く眺めている様子に気がついて、アイラは真織に小声で話しかける。

「何を見ているの? あの方々に失礼でしょう」

「あ、そうだね、ごめん。……あの服、ちょっとした巻物スクロールで作られてるみたいで、気になったんだ」

 言われてみれば確かに、と、アイラも彼らの伝統衣装に目を向けると「……いや、逆なのかも」と真織は付け加えた。

「逆って?」

「原始的な巻物スクロール魔導書グリモアは、魔法回路を持つ生き物を解析して、その能力の再現を目的としたのではないか、っていう説を読んだんだ。そういう魔法の研究の始まる前からの伝統衣装だとすると、あれは昔ながらの体系化されていない魔法回路であり、巻物スクロール魔導書グリモアの源流のひとつなのかも、って」

「さすが名高いグラキエース魔法学園の学生さん。お見事な考察です」

 真織たちの話が聴こえていたのか、先程、最初に話しかけてきた男性の羊角族シープホーンが、手を叩いた。

 意外なところから反応があったため、真織は一瞬肩をびくっと跳ねさせる。

「すみません、驚かせてしまいましたか」

「いえ、こちらこそジロジロ見てしまって」

 そう言いながら、真織は先程名乗られたばかりの男性の名前を頭の中で検索するが、なかなか引っ張り出せない。

「シオン・ハクヨウさん、でしたっけ。真織は、魔導書グリモアとか魔法機械の事になると、周囲が見えないところがあって」

 と、アイラが助け舟を出したが、続いた言葉が不服なようで、真織は頬を膨らませる。

「……好きなもので周りが見えなくなるの、アイラもエウルも似たようなもんじゃないか」

「私がいつ、何のために、周りが見えなくなったのかしら?」

「……さあ?」

 真織がそれを言うのは烏滸がましい気がして、不平を漏らすのはそこまでにした。

 やり取りを聞いていたシオン・ハクヨウと呼ばれた男は愉快そうに

「私のことはシオンでもハクヨウでも結構ですよ。――周りが見えなくなるほど好きなものがあるのは良い事です。特に若いうちは」

「シオンさんだって若いじゃないですか?」

 そう話に加わってきたのはエウルだ。途中から気になって聞いていたらしい。

「村の爺さん方に比べれば若いですけど……ああ、でも私にもそういう、好きなのは1つありますね」

「何ですか?」

「うちのかみさんです」

「わぁ……ノロケだ!」

 そう言って楽しそうなエウルに、真織は苦笑してからふと、山のような荷物を背負って後を歩いているガイト・レオンを見やる。

「……そういえば、レオンさんも同じくらいだよね。結婚とかしてるの?」

「いい人は居るって聞いたことあるわね」

「聴こえてますよ。結婚は未だでして……絶賛、喧嘩中です」

 そう言った青年も、苦笑を浮かべていた。


 人口108人のこの島の生活は、この島の豊かな自然に依存していた。

 食べる物は木の実であったり、山菜であったり、獣肉であったり。使う道具も木製だったり、獣の皮や骨から作られていたり。

 王国通貨のやり取りは殆どなく、珍しい薬草や素材を島の外へ売りに出した収入は島の公金として、発着港をはじめとして様々な設備の維持等に使われているという。

 様々な仕事を島の住人で分担していて、その一つ、真織が興味を示した伝統衣装、シトムの縫製所を、三人は見せてもらっていた。

 何人もの女性の羊角族シープホーンが集まって紋様の描かれた皮を固く縫い合わせる作業は地味でありながら独特の迫力があったが、不意に片隅に積まれた黒っぽい岩を、真織が見つけた。

「……あれ、幻魔岩ですよね。この島で採れるんですか?」

「あら、本当ね、良く気付いたわね」

 アイラは真織の魔導書グリモア関係の物に対する嗅覚に驚きと呆れが半々といったところだろうか。

 幻魔岩は魔導書グリモアの特殊インクの素材としてもよく使われる。インクへの神秘マナの通りを良くし、治癒術系の魔法回路の変換効率を上げるものだ。

 答えるのは、案内しているシオンだ。

「島の外から買い付けた物ですよ。この島では採れません」

「あれは、染料に使ったり?」

「もちろん、その通りです」

「……それって、元々の製法じゃないですよね。王国に属してから変わった感じですか?」

 食いつくような真織の勢いに、シオンの腰は少し引けていた。

「い、いえ、もっと前ですね。この製法をもたらしたのは、導師トキ・アニージア様と言われていますよ」

「導師、トキ・アニージア……?」

「この島に流れ着いた、旅の魔法医師だったそうですよ」

 その人物は事故で偶然、一人乗りの魔法船でこの島に流れ着いた。

 そしてその当時、羊角族シープホーンの間ではある病が流行していたが、彼はそれを自らの医療知識と治癒魔法で根絶して見せたそうだ。

 しかし、彼の船を修理する素材はこの島にはない。

 そこで彼はこの島で、島の外からの助けを待つ間、自らの技術と、船に積んでいた様々な素材を島の羊角族シープホーンに提供し、羊角族シープホーンは引き換えに彼に棲み処を与え住まわせたという。

 そしてこの島で何人かの弟子をとり、彼らによって彼の持っていた魔導書グリモアの写本が作られ、それが後に現在流通している、つまりアリエス・ケニエの手による製品本『治癒の魔導書グリモア』の元となった、という事だった。

 彼は魔導書グリモアを駆使してその後百年は生き永らえたが、その間に外からの船が訪れる事は無く、彼はこの島で天寿を全うし、台地から見えたあの巨木の根元に埋葬されたという。

「ですから、あの木はこの島では、『導師の巨木』と呼ばれているのです」

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