15.いいねぇ、それ

 魔装グリモローブディモス。それが格納されている何もない空間は、妖精曰く『虚無の領域に神秘マナを送り込み、間借りしている』ものだと言うことだった。

 つまり真織達が暮らしている魔法世界マナリアとはまたを無理やり極小規模で創ったと言える空間らしい。

 虚無の領域に干渉できる『虚無の魔導書グリモア』ならではの芸当であり、そこで働く法則もまた最初から作られた物であるが故、魔法に相反する法則が存在せず、その空間が立ち消えることがない、という理屈で維持されている。

 その空間に安置された魔装ディモスのその操縦席は、今まさに真織の勉強部屋にされようとしていた。

『寮の部屋も在るのでしょう? 何でここに来るのです。魔導書グリモアの持ち出しはマオの自由ですよ』

「イヴの圧縮書庫アーカイヴ、中身全部持ち出すわけにいかないし。こっちの方がすぐ参照できるじゃない」

魔導書グリモア写本の課題なら、特殊インクで操縦席が汚れるという問題があります』

「こっちでは下書きしかしないよ」

 魔導書とは言うが、それは要するに紙とインクで作られた、魔法を発動するための回路である。どの頁にどんな魔法が在るかを把握し、そこを通過し変質した神秘マナ小杖ワンド等の収束具に送る事で、魔法を発動するのだ。

 神秘マナをどのように運び、どのように変化させるのかは、描かれた文字や線、それを描いたインク等で決まる。そのため何百種類もの写本用特殊インクが販売されているが、拘りの強い写本師は、自分でインクの調合をしたりもするらしい。

 こうした写本の過程は魔導書グリモア及びそれで発動する魔法の書式・術式構成を理解するにはもってこいなため、学園では中等部二年の必修課題として取り入れられている。進級までに最低一冊の写本を作製しなくてはならず、真織の場合転移してきた時期が悪かったため、その期限タイムリミットは間近に迫っていた。

『……それで、課題に使う魔導書グリモアは決まっているのですか』

「今迷ってるとこ」

 表示板タブレットの表示を指先で弾き、流れる目録を眺めながら、真織はそう答える。そこで、ふと浮かんだ疑問を、口にしてみた。

「そういえば、イヴって何の役割でここにいるんだろ。アイラ曰く、書庫アーカイヴ管理妖精って、珍しいらしいけど」

『そうですね。例えば一般的な操縦席では魔法を使用する際、操作板で適切な操作が必要になります。音声入力が可能なものでも、正確に発動コードを発声し、神秘マナの経路を繋がなくてはなりません』

「ふむふむ」

『私のような書庫アーカイヴ管理妖精が居る機体は、曖昧な指示でも、把握している魔法使いメイガスの性質から、ある程度読み取って、書庫を検索・経路接続することが出来ます。マオが「でっかい穴ー」とか「ハインリッヒの指ー」とか言っても対応できるのはその為です』

「……え、それってつまり、おじいちゃんおばあちゃん仕様じゃない」

『全世界のお年寄りに謝って下さい』

 白い目で淡々と反省を促すイヴから、マオは前髪を摘みながら目を逸らす。

『……ところで気になっていたのですが。ハインリッヒとは誰ですか』

「ぁー、それね。父さんの部屋にあった、古い漫画の登場人物キャラクター。すっごいカッコいいの」

『その方とあの魔法弾バレットの使い方と関係が?』

「その人はね、全身改造されて、内蔵武器の塊になってるの。その一つに、指先がマシンガンになってるっていうのがあって」

『マシンガンとやらは解りませんが、弾体を指から高速連射するイメージを、そこから持ってきたわけですね。理解しました。理解しましたので早く正本とする魔導書グリモアを決めましょう』

 少し早口になりつつあった真織をイヴは言葉で制し、真織は苦笑で返してから再度、目録に視線を戻した。

「……どうせなら、使いやすいのがいいかな」

『虚無の魔導書グリモアでは、授業で使うのには不向きでしょうしね』

「うん。虚無の魔弾ってあれ、出力落としても小さくなるだけで、魔法防壁マナシールドに穴開けちゃうのは変わらないんだよね。一回、危うく模擬戦で相手に怪我させるとこだった」

防壁シールドを構成している神秘マナを虚無領域に送ってしまいますから、そうなるでしょうね』

 魔弾と名前が付いているが、解釈を深めて理解したのは、本質的には黒い穴や扉と変わらないと言うことだ。虚無の領域と繋がっている『穴』を、弾丸大かつ強い強度を持たせて発射している。命中した部分を虚無領域に送る事で、そこを破壊するという仕組みだ。

 真織がそれを説明する時、穴を対象に当てて抉るイメージから『まあ大根スライサーみたいな感じかな』と例えたら、聞き手のアイラが爆笑していたのを思い出してしまった。

 真織のそんな頭の中は置いておいて、イヴは真織のリクエストに近いものをピックアップしていた。

『そうすると四大元素系からでしょうか。火・水・風・土、一応揃っては居ますが』

「うーん、その中からなら……風にしとこうかな。確か空力型の飛翔魔法も収録されてるんだよね」

『ええ。島の上での汎用性は高い部類です。――では、風の魔導書グリモアの取り出しを実行します』

 イヴが宣言すると、操作盤の横にスリットが開き、青緑色の表紙の魔導書がせり上がってきたので、真織はそれを手に取った。

 表紙をじっと見据えて、真織はポツリと呟く。

「……これだって使い方によっては危険なんだよね」

『どうしました、マオ』

「この世界の『禁書』の話を聞いたんだ。この本とどう違うのかなって」

『理由は諸々考えられますが、それにより得られるメリットとデメリットを天秤に掛けた結果ではないかと』

「メリットとデメリット……」

『確かに風の魔導書グリモアにも攻撃魔法は収められていますが、その危険性に目を瞑るだけの利便性はあるという事です。包丁みたいなものですね。包丁は人を殺傷する事も出来ますが、だからと全面禁止とされては、料理する時困るでしょう』

「うーん……でもだったら、『虚無の魔導書グリモア』は? 利便性、あんまりないように思うけど」

 真織から投げられた質問に、イヴはひとつ頷いた。

原書オリジナルについては、また別の理由があるのです』



 魔導書グリモア分析の座学が終わった後、エウル・セプテムは、前の席の羊角族シープホーンの少女が、椅子の背もたれで顔を隠すようにしながら自分の机の上を見ているのに気が付いた。

 視線の先には、緑の表紙の魔導書である。

「……どしたの、チャームちゃん?」

「それ、治癒の魔導書グリモアだよねぇ?」

「? そうだね。お父さんのお下がりで、ちょっと、版の古いやつだけど」

 エウルが首を傾げていると、チャームはごそごそと自分の魔導書を取り出す。こちらも緑の表紙だが、装丁が随分と異なるように見える。

「チャームのも治癒の魔導書グリモアだけど、長老様にもらったの。エウルちゃんのと、ぜんぜん違うなぁって」

「なるほどー……私のは写本といっても製品本だからかなぁ」

 この世界の魔導書グリモアにおいては、写本師が作製した原版をもとに、印刷所で印刷を掛けたものが製品本等と呼ばれる。この場合、原版にはインク指定も入っているが、使えるインクの数や種類には限りが有るため、発動する魔法の精度としてはそこそこのものになりがちだ。

 写本という字義通りであれば手書きが原則なのだが、扱いとしては「原書オリジナルではない」という事で、製品版もひっくるめて写本と呼ばれることが多い。

「もしかして、原版アリエス・ケニエさんのかなぁ?」

「そうみたいだけど……写本師さん詳しいの?」

「ぅうん、その人、チャームと同じ村の出身なの。その原版の直接の正本が、チャームの持ってる魔導書グリモアなんだって」

「ほぇー凄いんだねぇー」

 亜人種族は特定の島で独自のコミュニティを形成している場合が多い。チャームと同じ村という事は、その写本師も羊角族であるというのは、想像できることだった。

「ねね、エウルちゃん。私と魔導書グリモア、交換してほしぃなぁ」

「ぇぇ!? だめだよ、製品原版のさらに元っていったら、凄い貴重品でしょ? 製品本私のじゃ、全然釣り合わないよ!」

 唐突にその少女が身を乗り出して告げた提案に、エウルは驚いて、胸の前で両手を振りながらそう断る。明らかに価値が釣り合っていない。より原書オリジナルに近いものであれば、魔法精度も高いのが常識だ。

「もぅ、チャームが良いって言ったらいいの! こ・う・か・ん!」

 チャームは駄々を捏ねながら自分の魔導書をエウルの胸元に押し付けると、机上の魔導書をひょいと取り上げて抱えこむ。

 エウルの実家にあったものだから愛着がない訳ではなかったが、特別なものでもない実用品で、さらに代わりがより質の高いものであったので、申し訳無さのほうが勝ってしまったエウルは、はぁ、と溜め息を一つ吐くと、緩く微笑んだ。

「しょうがないなぁチャームちゃんは。大事に使ってくれるなら良いよ。私も大事にするね」

「うんっ♪ ありがとぉエウルちゃん!」

 クリーム色の髪が機嫌良さげにぴょこぴょこ揺れるものだから、エウルは何だか嬉しくなってしまうのだった。



「まさか、早速インクの調合からやるなんてね……」

 魔法学園の研究棟の一角にある調合室にて、アイラ・グラキエースは額に手を当てて呆れ返っていた。

 黒木真織は目の前の長机の上に調合器具を広げ、確認しているところだ。

「いや、何かね、気になったら、やりたくなっちゃって」

「インクの調合が気になったの?」

「というか、原書オリジナルと製品本の差が」

 イヴから製品本の風の魔導書グリモアを借り受けた真織だったが、虚無の魔導書グリモアと並行して読解を進めるに当たり、共通点と差異に気がついた。

 同じような神秘マナ経路を使用する魔法は、当然ながら同じような記述になる。しかし色合いや、表面のザラつき具合が原書オリジナルと製品本で違っていて、真織がイヴに確認すると、インクの違いであろうとの事。

 そこで学園長タイガにインクの解析と調達を依頼したが、原書オリジナルに使われているインクは既製品に同じようなものがなく、原料の関係で調合も今や不可能、但し似たような性質のものなら調合室にあるもので作れるのでは、と言われ、仮のレシピを作ってもらい、調合室に来たのだった。

 尚、学生でも作れそうなものが何故製品本に使われていないかといえば、コストパフォーマンスと一冊の本に使えるインクの数の制限の為だろうとのこと。

「せっかく自分で写本を作るんだから、特別感は持たせたいよね」

 とはいえ学園の課題としては既製品のインクを使うことを想定しているのだから、自家製インクの費用は抑えねばならないと、使う箇所を術式構成バランスを崩さない程度に限定し、調合するのは三種類としていた。

「……マオは魔法使いに向いてるかも、って思った理由、解った気がするわ」

「なにそれ」

 鉱石を砕いた粉末を注意深く天秤の片側に乗せながら、真織はアイラの言葉に問いを投げる。

「興味ない事からは逃げ回るけど、興味持ったら納得いくまでとことん、って所と、イメージをもって具体化していく所。やっぱり魔法使いに向いてると思うわ」

「そうだったら、嬉しいけど」

「そのうち、空飛ぶ箒フライングブルームも既製部品で満足いかなくなって、飛翔の巻物スクロールから自作するようになりそうよね」

 そうアイラが口元に指を当ててその想像を語ると、真織はピタリと手を止めて、今まで見せたことのないような、何か企むような笑みを口元に浮かべた。

「……いいねぇ、それ」

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