三章-2 死滅の魔導書

14.今のところ机上の空論

 ルイズ・ココとチャーム・ティアドロップの挨拶は何事もなく終わり、一週間程が経つ。

「そういえばあの二人、ゴールドさんとバーミリオンさんと入れ替わりだから、エウルのクラスに入ったんだっけ」

「そうなるわね。二人の様子はどう?」

「……ふぇ?」

 昼時は、エウル、マリィ、パティが使っていたベンチが、そのまま真織たち三人の溜まり場となっていた。三人とも別のクラスの為、あまり集まって話す機会がないのだが、昼時は自然とここに足が向き、三人で食事をとるようになった。

 果たして、エウル・セプテムの反応は鈍かった。しかも、あまり聞いていない様子である。

 見れば以前はふんわり綺麗に整えられていた髪も、ところどころピンピン跳ねているし、死んだ魚のようになった目の下には隈ができている。

「……ああ、チャームちゃんたちね、二人共かわいいし、もう人気者って感じだよぉ……」

「……ねえ、これ、マオの影響?」

「そう見えるのは仕方ないけど、違うからね……」

 真織は、どうやら自分が寝ている間にエウルが何かしているようだ、と言うのは何となく気づいていたが、真織は朝が弱い為、エウルがこの状態では朝は二人でバタバタしてしまうしかなく、追及する事は出来ていなかった。

「母様からのお仕事、別に行く日は任されているんでしょう? 最近は毎日行ってるみたいだけど」

「……ぁ、うん。機会があるならできるだけ行っておきたくて……」

「……マオ」

「うん、これはしょうがない」

 真織とアイラは顔を見合わせて肩をすくめると、エウルに告げた。

「エウル? 今日は真っ直ぐ帰ってすぐ寝ること」

「私が引きずってでも連れて帰るから、教室で待ってて」

 解っているのか不明だが、エウルはこくこくと頷いた。


 放課後、真織たちが迎えに行った時、エウルは席についてぼんやりしていたので、ふらつくエウルを二人で支えながら、三人で帰ったのだった。



 黒木真織は、深夜に目を覚ました。


 部屋で、何かが動いている気配。

 布団の中でもぞもぞと姿勢を変え、ロフトベッドから落ちないように備えられたサイドレールの隙間から、部屋の様子を窺う。

 向かいのロフトベッドの下、つまりエウルの勉強机に神秘マナ灯が灯っており、エウル・セプテムは何かに集中している様子だ。彼女の脇には難しそうな、医療関連の書籍が積まれている。

(……魔導書グリモアじゃないな、あれ)

 真織は音を立てないようにそろそろと梯子を降りて、そのまま忍び足でエウルの背後をすり抜け、キッチンに向かった。


 コトリ。

 木の机に小さな陶器が置かれる音がして、エウル・セプテムは我に返った。

 彼女の傍らに置かれたものはティーカップ。立ち上る湯気に運ばれてくる香りは、エウルのお気に入りのハーブティーのものだ。

「あ、邪魔しちゃってごめん」

 そう言って申し訳無さそうに頭をかくのは、彼女のルームメイトであった。

「ぁ、マオちゃん、起こしちゃったんだ……こっちこそ、ごめんね」

「別に。向こうでも夜更かしはよくやってたし」

 真織は自分の勉強机から椅子を引き出すとそこに腰を下ろし、手元に持っていたもう一つのティーカップからハーブティーを啜った。

「ツンドラさんのお仕事、大変なんだね」

「あはは、大変は大変だけど……これは私が勝手にやってるだけだよ」

 ちらりと書籍の山に視線を走らせてから、エウルは椅子ごとくるりと真織の方に向き直り、ハーブティーに数度息を吹きかけてから、それを口に運ぶ。

「……ぉお、美味しいっ」

「淹れ方がアイラお嬢様直伝だからかな。エウルの誕生会のときに教わった」

「なるほどー、私も今度、アイラちゃんに聞いちゃお♪」

 神秘マナ灯の柔らかな光の中で、二人は笑い合う。そして、真織は抱いた疑問を口にした。

「エウルさ、勝手にやってるって言ってたけど……将来に向けての勉強にしては、最近は根を詰め過ぎに見える」

「ぁ……そう、見えるよね、やっぱり」

「うん。……病院の方で、何かあった?」


 真織に問われ、エウルは白槍隊からの仕事のこと、そしてシック・ウィークの事を語った。その身体を蝕む、病の事も。

「……そっか、あの魔装グリモローブの人か」

「私が読んで解るような本、お医者様ならとっくに目を通してるだろうし、自己満足でしか、無いんだけど……少しでも、病気の事、理解したくて」

「なるほど」

 繊細な話だ。無神経に触れてはいけない事だな、と思いながら真織が頷くと、沈黙が数秒間。

「一つだけ」

 と、躊躇いがちなエウルの声が、その沈黙を破った。

「一つだけ、これが出来るんじゃないかっていう治療法はあったんだ……私も持ってる『治癒の魔導書グリモア』が選集本アントロギアていうのは、知ってる?」

選集本アントロギア……魔導書グリモアにおいては『写本の一種。原書オリジナルそのままの写本ではなく、一冊以上の魔導書グリモアから、目的別に魔法が選別・編集され、定着したもの』だったっけ」

「ぉお、マオちゃんも、ちゃんと勉強してるんだね」

「あはは……この前アイラたちに、散々言われちゃったし……」

 感嘆するエウルだったが、真織はアイラ、それにルイズとチャーム三人がかりで基礎知識を詰め込まれた事を思い出し、苦笑いする。

「それで治癒の魔導書グリモアの大部分の源流ルーツは、『生命の魔導書グリモア』の原書オリジナルに行き着くんだって」

「生命の、魔導書グリモア……」

「そう、それでね。同じように生命の魔導書グリモア源流ルーツにした選集本アントロギアがもう一つあるの。『死滅の魔導書グリモア』って言うんだけど」

「……物騒な名前だね」

「生き物を癒やすの逆。生き物を傷つける目的の魔導書グリモアだからねー……」

 それを言うなら真織の持つ『虚無の魔導書グリモア』もあまり良いイメージはないのだが、真織はそれに気づいたが棚上げした。

「その中に『部位衰滅』っていう、生命の流れを堰き止めて、部分的に命を奪ってしまう魔法があって。……それが使えるんじゃないかって」

「……でも、その言い方だと」

「うん、駄目なんだ。……調べたら今は『死滅の魔導書グリモア』はどこの島でも禁書扱い。発見されたら封印処分。使用も写本作製も重罪、なんだって」

「困ったもんだね……」

「それに、この治療法自体がまだ仮説で、誰も試したことがなくって」

「今のところ机上の空論、て事か」

 ならばどうすれば良いのか。考えても答えなど出ない。しかし。

「……解ってるんだ。まだ学生の私がどんなに考えたって、どんなに調べたって、なんにも出来ないなぁって」

 それが解っていてなお、考えずには居られなかった。安穏と日常を送ることが、何か後ろめたく感じられてしまっていた。

「なのに諦められなくて、何かしたくて。調べても調べても、納得なんて出来なくて。……でも、マオちゃんにお話したら、ちょっと落ち着いたかも」

「……こういうの、得意じゃ、ないけど」

 と、真織はティーカップに視線を落とす。半ば程まで減ったハーブティーが、言葉の先を躊躇している自分の顔を映していた。それが何だか情けなく思えて、顔を上げる。不思議そうに真織を見るエウルの顔が、そこにあった。

「私で良かったら、いつでも聞くし。手助け出来る事があったら、言って」

 エウルの頬が、緩む。友達なら気軽に言ってしまうような言葉だが、真織の言葉はどこか、懸命に伝えているのが感じ取れて、それが、嬉しかった。

 得意じゃないと自分で言っているのに、それでも伝えてくれる言葉が、暖かい。

「ありがと、マオちゃん。これからは、そうするね」

「うん、そうして。……あと、程々で切り上げて、寝よう」

「えへへー……そうだね。今日はもう寝ちゃうね」

 真織は頷いてハーブティーを飲み干し、カップはエウルのものと重ねて、流し台へと運んだ。

 その間エウルは机上の書籍類を重ねて整理し、そして転がっていた球形の神秘マナ灯を手に取ると、それをロフトベッドのサイドレールに吊り下げられたネットに入れる。

 その灯りを頼りに、二人は各々のベッドに上がると、布団を被った。


「それじゃ、おやすみ、マオちゃん」

「……うん、おやすみ、エウル」


 エウルとそんな言葉を交わす事に、決して不快ではないこそばゆさを感じながら、真織は瞼を下ろすのだった。



「どうしました、母様。わざわざこんな所まで」

 グラキエース学園長兼領主代理、タイガ・グラキエースは、学園長室に入ってきた人物を見て目を丸くした後、そう言った。

 訪問者であるツンドラ・グラキエースは、ふん、と鼻を鳴らし、白い目線を自分とよく似た顔立ちの青年に送る。

「領主に用があるのに、その執務室が空いているのだ。そこに居るべき人間がここに居るというのだから、ここに来るしかあるまい」

「僕はあくまで代理でしょ。この時期は卒業、進級、進学などで、目を配ってやらねばならない学生が多いのです。加えて父様の部下は優秀ですからね。若輩者の僕が居ない方がうまく回る。どうしてもこちら優先になりますよ」

「自分の能力を正しく把握できているのは君の美点だ、我が息子よ」

 呆れたように肩をすくめたツンドラは、息子の座る学園長の席に歩み寄ると、押し殺した声で告げた。

「……奇妙な死体が発見された。場所は歓楽街の路地裏だ」

ですか」

「ああ。今週に入って二度目だ。前回同様、神秘マナの残留が

 この世界の住人は、呼吸や食事により、体内に神秘マナを取り入れている。魔法使い《メイガス》なら魔法の行使の際に、体外の物と合わせ少し消費することはあるが、呼吸して居れば補填できる程度の物だ。

 身体が死しても、身体の異常による急死であれば通常、体内に神秘マナが残留しており、時間経過で緩やかに抜けていく事になる。それが無いという事は。

「至近距離で、身体の中に影響する魔法を使われた、という事ですね」

「外傷は全くない。脳なり心臓なり、身体の機能を直接止めるものだろう」

「……つまり母様は、この島にが持ち込まれていると?」

「こんな世界だ。発着港でいくら厳重に検査しても、抜け道はいくらでもある」

 母の言葉に、タイガは額を抑えた。

「学生達にも注意喚起をしなくてはなりませんが……伝え方に気を付けないと、か」

「今や滅多に表に出ないからな、は。魔法学園の生徒であるなら、興味本位で手に入れようとする、やんちゃな生徒ガキも居るかもしれん」

 二人は、一先ず報道としては「魔法を使用した殺人事件」程度に留める。

 生徒達には、「危険なので犯人らしき人物を見かけても近寄らないように」「放課後は速やかに帰宅するように」程度の注意喚起をする事とした。

「とはいえ、被害者は今のところ、二人とも中年の男性だ。私の推測通りなら、生徒に直接被害が出るという事は無いとは思うが」

「推測?」

「王国内の記録を確認したら、他のいくつかの島でも似た事件が何件か起きている。被害者はすべて成人済みの男性で、同一犯によるものと目されているな」

「それがこの島に……と」

「ああ」

 ばさ、と学園長の机に書類の束が置かれる。全てそれらの事件の資料であった。


「通称『オヤジ殺し』、死滅の魔導書グリモアで助平な男に裁きを下すと、一部若い女性の間では英雄ヒーロー扱いされているようだな」


 うんざりした様子で、その資料についての説明をする。

 タイガがそれを手に取ったあたりで、ツンドラは言葉を続けた。

「学園長殿も、気を付けた方がいいぞ?」

「それは、どういう意味ですか。僕はまだ若いでしょ」

「最近は久々に帰ってきた可愛い妹と、その同級生に囲まれて、のぼせ上っているらしいではないか」

「……気を付けることにしますよ」

 否定したいが、そう見られる心当たりは数あった。苦い表情のまま、タイガは資料に目を通していた。

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