11.もう、痛くないよ

 グラキエース島の魔法船マナシップ発着港は、島の底面にあたる部分にある。そこの洞穴を拡張し、整備し、何隻もの魔法船が停留できるようになっているのだ。


 その発着港でのマリィとパティの見送り自体は、湿っぽいものにはならなかった。二人の将来の為の船出であるわけだから、エウルは笑顔で送り出したいと言い、送る側の真織とアイラも、送られるマリィとパティも、それを理解していた。

 笑顔で、ふざけ合いながら別れの言葉を交わし、再会の約束を交わす。

 しかし神秘マナの雲間へ出港し、姿が見えなくなっても、エウルは手を振っていた。その時彼女がどんな顔をしているか、真織とアイラには想像がついたので、その背中を見守るのみに留めた。

 アイラは黙って、見ないように顔を逸らしながら、チリ紙の入った小箱を差し出す。

 物凄い音がして、鼻をかみ終わったと思えば、チリ紙を持ち帰り用のゴミ袋に詰め込んだエウルは、目元と鼻を赤くしたまま、ぱっと笑って、背後の二人に抱き着いてきたのだった。

「アイラちゃん、マオちゃん……一緒に来てくれて、ありがと♪」

「この島の将来を担う大事な二人だもの。学園長の一族として、当然よ」

「そうすると……あれ私、完全にだ」

 無理して来た理由をひねり出そうとして、そう結論を見出した真織に、「そんなわけないでしょう!」と二人からツッコミが入る。


 その騒がしい三人を見て、足を止めた人物がいた。

 魔法船マナシップから降り、地上への昇降機エレベーターに乗ろうと向かっていたのだが、そこで数名の連れに声をかけてその場で待たせて、自らは三人の少女の元へ、速足で。

 アイラはその気配と姿に気づくと、目を丸くして金魚のように口を開閉させる。その顔を見て、その人物は嬉しそうに声を上げた。

「おお、やはり我が娘、アイラではないか!」

「ぇええええ、母様!?」

 紫金に煌めきたなびく神秘的な長い髪。良く通る、強い芯を感じさせる声。アイラによく似た吊り目がちの、深い藍色の瞳。

 その人物は、領主ノース・グラキエースの妻にして白槍隊ホワイトランサーズ隊長、ツンドラ・グラキエースその人であった。


「アイラや学園長おにいさんの髪の色って、お父さんからの遺伝なんだね」

「うむ、家にいると私だけ仲間外れのようで少し寂しくもあるが、しかし顔立ちは二人とも、私に似ているだろう?」

 ツンドラはそう言って、豪快な笑顔を見せる。

 彼女の言う通り、顔立ちはアイラ達との血の繋がりを感じさせ、真織は親しみと安心感を感じてしまう。

 発着港内の食堂にて、三人はグラキエース島へ帰還してきた白槍隊ホワイトランサーズと同席することになった。それぞれが思い思いに食べ物を注文し、会食を楽しんでいた。

 ツンドラによれば、タイガへ連絡した通り、ノースと共に観光を楽しんできたのだが、帰るにあたりノースの方に寄り道をする用事が出来たとのことで、島の防衛も考え護衛一名のみ残し、他のメンバーは帰って来たのだという。

「父様の用事って?」

「ああ、それは」

 と、ツンドラは黒木真織に意味ありげな視線を送った後、アイラに視線を戻す。

「……氷獄島コキュートスに、野暮用だそうだ」

「「?」」

 真織とアイラは首を傾げたところで、エウルは抑えていたものが抑えきれなくなり、勢い良く立ち上がった。

「あ、あの、アイラちゃんと仲良くさせてもらってます、エウル・セプテムです! 白槍隊・救命班を志望してます、宜しくお願いします!」

「おお、そうかそうか! 隊員募集は毎年かけているからな。高等部に上がったら蒼翼隊で鍛え、卒業したら応募すると良い。実力は厳しく見ることになるが、元気の良さは気に入ったぞ!」

「はいっ! ありがとうございます!」

 背筋を伸ばしてはきはきとしたエウルは、いつになく真剣な様子で、普段の彼女とは別人のようだ。 

「へえ……エウルって、そうだったんだ」

「意外ね。家の診療所を継ぐとかかと思ってたけど」

「えへへ……昔、救命班の人に助けられたことがあってね? 私も、誰かの命を護れる人になりたいなぁって。この前は、アイラちゃん達に護ってもらっちゃったけどね」

 改めて座り直し、苦笑しながら頭をかく。そんなエウルに見守るようにツンドラは柔らかな視線を向け、そして次に、真織の方を見る。

「そして君が、噂の物質世界人マテリアン、黒木真織というわけだな。タイガから連絡は受けている。此方の都合で留まってもらってすまない」

「いえ、学園長にも、アイラにも良くしてもらってますから」

 頭を下げるツンドラを、真織は慌てて制止する。その時、ツンドラの目が、鋭く光ったように見えた。

「時に、黒木真織。君はディモスを持っているそうだが」

「あ……はい、デイヴォから魔導書グリモアと一緒に貰った感じです。……そっか、あのときディモスを墜とした白い魔装パラダインのうち一体は、ツンドラさんが乗ってたんですよね」

「君はその瞬間を見ていたんだな。確実に島を護るためとはいえ、若い魔法使いメイガス一人、一体の魔装グリモローブに五体がかりなどと、不甲斐なく思ったものだ」

 そこで一切れパンのようなものを口にしてから、言葉を続けた。

「だが、そうしなければならないほど、デイヴォ・チャコールは強かった」

「……はい」

「そしてその後、再び現れた彼はもっと強かった。その力でこの島を救ってくれた。彼の罪は許されるものではないが、同時に感謝もしている」

「そう、ですか」

「彼に魔導書グリモアを託された以上、君も強く在って欲しいと思うのは、私の我儘かな」

「……期待するのは、自由だと思います」

 呟くような返答。ツンドラの眼差しを避けるように真織は目を伏せ、目の前の焼かれた肉をナイフで切り、フォークで口に運ぶ。

 その言葉は許容するようにも、拒絶するようにも聞こえた。

 不意に流れたその緊迫感に耐え兼ね、アイラが二人に声をかけた。

「ちょ、ちょっと母様? マオは何ていうか、その」

 しかし、ツンドラは表情を緩めると、機嫌良さそうに手元のドリンクを呷る。

「良い友に恵まれたな、アイラ」

「ぇ、ええ?」

「大事なところで安易に流されない。一見付き合いづらそうだが、ひとたび味方になれば、心強いぞ? 自分に見えないものも、見つけてくれるだろう」

「……今の、そうなるんだ」

 自分で、言葉を間違えたかと思った真織だったが、言い放たれたツンドラの言葉に、これがアイラの母親であると改めて納得し、そして懐の深さに感心してしまう。

「でもマオちゃん、いいの? アイラちゃんと友達って事で」

「……そう見えるのは、仕方ないでしょ」

 意地悪く尋ねるエウルに、拗ねたように言い返してから、真織は肉をほおばった。

 その様子にツンドラは豪快に笑い、そして告げる。

「君たちが歩む道で、強さが必要なら、手助けができるかもしれない。いつでも声をかけてくれ」

 やがてその会食は和やかに終わった。白槍隊の精鋭たちにも真織とエウルは気に入られたようで、実践的な魔法の使い方など、軽く話を聞いたりなどしていた。

 この女傑に声をかける時が間近であることを、この時二人は知らなかった。



 翌日の放課後。エウル・セプテムは、病院を訪れていた。

 救命班員を目指す彼女の活動は多岐にわたる。

 この魔法使い協会ユニオン経由で受けた仕事もその一環で、人手が足りない時などに病院の職員たちを手伝いながら、医療関係者たちの仕事を間近で見る貴重な機会であった。

 もちろんエウルのような学生が関われる部分は多くはない。大抵は清掃であったり、患者の介護の手伝いだったり。子供たちの遊び相手や、お年寄りの話し相手、などという時もあった。

 それでも将来の為、少しでも命を扱う現場を経験しておきたいと、仕事の依頼が出るたびに、それを受けているのだった。

 彼女が通路に置かれた置物を拭き上げ、にっこりと笑って頷いたとき、音がした。何かが床に落ちる音。

 音がしたのは病室の扉の中。それは以前に聞いた、患者が暴れてベッドから落ちる音に似ていたから、思わず様子を見に行ってしまった。

 施錠されていたが、幸い預かっていた鍵に合うものがあった。開錠の際、扉にかけられた『関係者以外立ち入り禁止』の札が目に入ったが、中から人の呻き声が聞こえ、一刻を争うかもしれないと意を決して、扉を開けた。

「大丈夫ですかっ!」

 と飛び込んだエウルの目の前には、ベッドからずり落ちた布団と、床に転がり落ちている少年の姿があった。

 水色の髪で、顔立ちは中性的で整っている。腕も足もやせ細っていて、よく見れば

擦れて出血していた。ベッドにつけられた手枷、足枷には血がついていて、無理やり引き抜いたのだと想像がついた。

「いたたた……」

「ちょっと、動かないでくださいっ!」

 エウルは肩にかけていた鞄から手早く魔導書グリモアを手にすると、屈みこんで、もう一方の手を少年の腕の傷口に翳す。

 少年は一瞬、恐怖にひきつったようにエウルを見たが、すぐに諦めたように目を伏せて抵抗を止めた。神秘マナが光を帯びて傷口に吸い込まれ、少年の傷は塞がり、痛みも引いていく。

 続けて、足も。傷口より少し上の辺りが黒ずんでいる気がしたが、痣か何かだろうと、エウルはその時、それを見過ごした。

「怪我は、これで大丈夫かなぁ……痛くないですか?」

「……ああ。もう、痛くないよ。ありがとう」

 何か不服そうな様子で少年は告げる。言葉とは裏腹なその態度に、エウルは首を傾げた。

「本当ですか? 他にお怪我はないですか?」

「無いよ。無いから出て行ってよ。入るなって書いてなかった?」

「関係者以外立ち入り禁止、ですっけ」

「そう。だから早く行かないと」

「でも、何で立ち入り禁止なんですか?」

「それは……」

 エウルの純粋な目で尋ねられ、少年は口籠る。その理由を伝えるには、彼がした事がだと認めなくてはならなかった。

「僕が……シック・ウィークが、罪人だからだ」


 シックが体を起こし、ベッドの上に腰掛けると、エウルも立ち上がって、彼の話に耳を傾ける。

「この前、魔装グリモローブが街を攻撃したの覚えてるよね」

「え、うん」

「あの時、青い機体に乗っていたのは、僕だ」

 シック・ウィークが告げると、エウルは驚いて、そしてにまにまと笑い始めた。

「笑い話じゃないんだけどな……」

「あっ、ぇと……ごめんなさい。おかしな縁だなーって思って」

「縁?」

「実はですね……シックくんが撃とうとした子と、あの黒い魔装ディモスに乗ってた子、二人とも今は、私の友達なんですよ!」

「……」

 少年が疑る視線をエウルに向けるが、エウルは気にした様子もない。

「あ、そうだ、折角だから、シックくんもお友達になりませんか?」

「何がどう折角なの……お断りするよ。僕は捕まってる身だよ?」

「おぉ、直球でお断りだ……やーらーれーたー……ぱたり」

 わざとらしい身振りで、その場で倒れこむふりをするエウルを、シックは冷ややかな目で眺める。

「……何なの、それ」

「今私の受けたショックを、表現してみました!」

「それ、絶対ショック受けてないよね」

「ショックをまともに受けると悲しいから、受け身をとってるんです! ……はっ」

 何かひらめいたようで、エウルの眼鏡が煌めき、頭上に電光が光ったように、シックには見えた。

 そしてエウルが神妙な顔で、告げた。


「シックくんから、ショックを受けて、四苦しっく八苦……」


 数秒間、時が止まった。

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