三章 混沌の送り手たち

三章-1 旅立つ者と訪れる者

10.早く終わればいいのに

 少年は目を開けた。


 寝起きのぼやけた視界だが、何が在るのかは分かりきっている。代わり映えのしない白い風景の病室だ。

 彼がここへ運ばれてきて、もうすぐ二週間になる。

 毎日のように魔法医の検査を受け、食事をとり、日によっては年配の白槍隊士ホワイトランサーが訪ねてきて、尋問というにはあまりに生ぬるい聞き取りを行っていく。そして、彼はそれに答えない。

 その繰り返しが、いつまで続くのだろうか。

 魔装グリモローブ魔導書グリモアもない。

 病室の頑丈な固定のベッドの上で枷を付けられて、そこから動くことすらできない。

 今の彼は、ただのひ弱な病人であった。

 島民を襲撃した魔装グリモローブ魔法使いメイガスという事で捕らえられたが、検査によって重大な疾患があると分かり、このような待遇になっている。

 誰か一人でも混沌に、自分も混沌に身を捧げれば、はもう少しマシになるだろうに、こんな状態では不可能だ。

 それなのに、まだこの身には生命が流れ、魂が残っている。それを呪わずには居られなかった。

「……こんな世界、早く終わればいいのに」

 シック・ウィークは、己がただ命が尽きるのを待つだけの、骨と肉の塊でしかないと、そう諦めていた。



「「エウル、誕生日おめでとうっ!」」

 ぱぱん、ぱぱんとクラッカーが鳴り、小さな紙リボンやら紙吹雪が舞って、エウル・セプテムは目を丸くした。

 街の高台に位置するグラキエース邸、そのリビングで、アイラと真織がパーティーを開いたのである。

「え、何? 今の音、何!」

物質世界マテリアから取り寄せた、クラッカーっていう火薬を使ったおもちゃよ。まあ、景気づけに使うだけのものね」

「身もふたもないけど。……そっか、こっちって火薬にあんまり馴染みが無いんだ」

「火薬とか電気とか、大体神秘マナで代用できてしまうもの」

 クラッカーの音にびくびくするエウルに、アイラが説明を入れ、真織が納得する。

「やってみたかったけど、向こうでやる機会が無くって」

「エウルの誕生日を自分の目的のために利用したわけだ」

「そっか、アイラちゃんは悪いお嬢様だね!」

「言い方! 別にいいでしょう、そのくらい!」

 必死なアイラを見て、真織とエウルが笑う。

 テーブルの上にはたくさんの料理が並べられ、ケーキが真ん中にどでんと置かれていた。そろそろ食べても大丈夫だろうかという空気が流れ、真織がアイラに伺いを立てると、アイラはまだ来ていない二人の参加者の事を告げた。

「マリィさんとパティさんも、後で来るけど、先にはじめててって」

「この前の件は決着ついてるはずだけど、何か学園長おにいさんに呼ばれたんだって?」

 マリィとパティはあの後、自ら学園長タイガに、事の次第を報告したようだ。自分たちがエウルにしようとしたこと、成り行きによってはアイラや真織も含め、生命が危なかったこと。

 しかし彼女らがエウルを川に突き落としたわけではないし、真織やアイラにしても自らの意志で救助に向かっただけである。エウルの所持品が川に落ちたのも故意ではなく、ならば被害者感情はどうかと言えば「許すつもりはないが、特に処分も望んでいない」という事を、にこにこして言うのだ。

 これでは本人たちが望んでも、厳しい処分を下すには、ちょっと足りない。

 エウル、マリィ、パティ、それぞれの家庭に事実報告の手紙を出し、処分対象の二人は反省文と、一週間の罰清掃というのがタイガから下された処分だった。

 マリィもパティもこの程度で良いわけが無いと思っているので、エウルに大きな負い目を負う事となり、今度はこの二人が委縮している始末だ。

 何かあればエウルは二人に「あの時の事、許してないんだけど」と言えるのだが、それをあえて振りかざさない事で、「互いに繋がっているが、引紐リードを強く引かない」関係を作ってしまったのだ。

 アイラと真織はその状況を悟った時、エウルを空恐ろしく思ったものだった。

「二人とも成績は優秀だし、進路のことで何かあるんじゃないかな」

 その張本人エウルは何かのハンバーグをナイフでカットして口に運びながら、そう推測した。

 魔法学園中等部を修了した生徒は大抵、そのまま高等部に進学するが、そのまま就職する者や、あるいは他の教育機関に進学、移籍する生徒達も少なくない。

 そういえば二人がなにか言っていたような――と、エウルが思い出しかけたところで、今しがた話題に出た三人の人物が入ってきた。

「エウルっち、誕生日おめでとうっス!」

「エウルさん、おめでとうございます」

「セプテムさんの誕生日と聞いて。おめでとう!」

 マリィ、パティ、そして何か箱がいくつか入った紙袋を持った、タイガ学園長その人であった。

「あら、兄様がこちらにお帰りとは珍しいわね。お仕事は片付いたのかしら?」

「いくら珍しくても、ここは僕の家でもあるんだ。そんな言い方はよしておくれよ、アイラ」

(……片付いてないね、これ)

(うん、絶対、逃げてきてるよ……)

 真織とエウルがそんな風にアイコンタクトで通じ合っているところに、タイガは視線を向けて、苦笑した。

「いやま、仕事は残ってるんだけどさ。例の物、今日中に届いた方がいいだろう?」

「! それは、もちろん」

「? 例の物?」

 目を輝かせる真織に、首を傾げるエウル。そして憎まれ口を叩いていたアイラの前に、同じサイズの平たい箱が置かれた。

 エウルがその箱を開け、続けてアイラと真織も。

 そこには板のような物が入っている。表になっている片面は黒、もう一面は、エウルの物は柔らかな薄緑色、真織は黒、アイラは白となっている。その見た目は、真織の目にはやはりスマートフォンに見える。

「これって……魔法通信端末マナフォン!」

 この手の情報に敏いエウルは、一目でそれを理解した。この島には物質世界マテリアへの門があって、条件次第で行き来できるため、このような向こう側の技術・製品を参考にしたものも開発されている。

 中身は神秘貯蔵庫マナコンデンサと圧縮収納した魔導書庫グリモアアーカイヴの詰め合わせという全くの別物で、魔装グリモローブの操縦席周り、通信等の機能を一部抽出し、小型化したのだという。

 真織は最初、プレゼントとしてどうかと思ったが、魔法世界マナリアの住人の感覚では最新の実用品ということで、まあアリではないか、というアイラの意見を信用して、これに決めた。

 しかし固定の通信機しか通信対象が無いのも勿体ない、と真織も買うことにし、真織が買うならアイラも、と、たちまち三人分の購入と相成った。

「あの、高かったんじゃ……?」

「本体価格も通信料金も、今は随分下がってるね。それでもあまり安いものじゃないけど、学園生なら協会ユニオンの仕事で少し貯めれば買える程度だよ。黒木さんを人質に、アイラに脅されたにしては、安い身代金かな」

「やっぱり悪いお嬢様だね!」

「だから、言い方! 大体、代金は私とマオで出すって言ったでしょう!」

「アイラと私からの誕生日祝いだしね。……でも普通、人質には家族アイラがなるもんじゃないかな」

 真織が口にした意見に、確かにそうだ、と一同は笑い合うのだった。


「と、こちらはわたくし達からですわ」

「大したもんじゃないっスけど」

 マリィとパティが手渡した、マナフォンのより小さ目の箱を開けると、そこには綺麗に並べられた香水瓶が3つ。

 緑色、琥珀色、そして深紅、瓶蓋は花を象っていて、貼り付けられたラベルにはエウル、マリィ、パティと記されていた。

「……香水?」

「うちらをイメージした香水っス。調香師さんに頼んで作ってもらったっス」

「ちょっと前から相談をしてましたの。エウルさんにも詳細は伏せて好みを聞いたこと、ありますわよ。間に合って良かったですわ」

 エウルは話を聞きながら、付属の試香紙ムエットにつけて、其々を嗅いでみる。パティは柑橘系、マリィは癖の強い花の香り、そしてエウルは、森を吹く風を思わせる爽やかな香りであった。

「……うん、どれも素敵! でもちょっとイメージ美化しすぎかなぁ?」

「理想を追う分には構わないと思うっス!」

「……わたくし達が居なくなっても」

 と、マリィが言いにくそうにそれを、切り出す。

「いつでも、エウルさんの近くにいると、思って頂きたくて」

「居なくなっても……?」

 唐突なマリィの言葉にエウルは目を丸くした。


「マリィ・ゴールドさんとパティ・バーミリオンさん。二人共、ロサノアール魔法学園との学生交換プログラムの、対象者なんだよ」

 本人達に代って告げた学園長タイガに、その場で首を傾げたのは、エウルと真織の二人だけだ。

「「学生、交換?」」

「……エウルさんには結構前に話してますわよ」

「あ、発つの今末だったっけ」

「やっぱ忘れてたっスね……」

「私、ポンコツですから!」

 胸を張って得意げに言い放つエウルに白い視線が集まるが、学園長は一つ咳払いしてから話を元に戻した。

「この島の暦で大体半年間くらいかな。王国内の人材の交流、青少年期の人脈の構築、他島の文化の良いところを学ぶこと等で、各々の島及び王国全体の発展に貢献する人材育成を目的とする、まあそこそこ重要なプログラムなんだけど」

「ということは、二人とも優秀って本当だったんだ」

「信じてなかったんスか、マオりん……」

「だって第一印象がさ。………………ぇ、マオりん?」

 脱線する真織とパティを無視して、タイガの話は続く。

「そういう事だから、二人がロサノアールに行って、同じくらい優秀な二人がロサノアールから入れ替わりに来ることになってるんだ。少し前に人員変更の申し出があったけど、手続きも終わってスケジュール通りに進む予定だよ」

「そっかぁ、マリィちゃん達が居ない間は寂しくなるね……」

 と、エウルが一時の別れを惜しむ一方、アイラは交換でやってくる学生の方に興味がある様子だ。

「ロサノアールの二人、顔と名前くらいは、わかってるんでしょう、兄様?」

「それは勿論……ええと」

 そう言って、タイガは資料を取り出した。アイラは横からそれを覗き込んで、「あら、一人は羊角族シープホーンなの?」と少し驚いた表情を見せる。

 

「二人とも皆と同じ、中等部二年の女子だよ。一人は羊角族シープホーンのチャーム・ティアドロップさん。もう一人は、ルイズ・ココさんだ」



 彩り渦巻き荒れ狂う雲塊の中を、一隻の魔法船マナシップが航行していた。

 数日かけてロサノアール・グラキエース間を往く定期便、その飾り気の無い青味がかった灰色の船体の中にある、食堂の受け取りカウンターで、好物のペシェのジュースを受け取るった羊角族シープホーンの少女は、くるりと巻いた茶色い硬質の角と、ふわふわとしたクリーム色の髪を揺らして、上機嫌で席に着いた。

「……何杯目だよ、このチビ羊」

 そのボックス席、テーブルを挟んで配置されたその片側の座席の通路側にこの羊角族シープホーンの少女、奥にはうんざりした顔で小声で毒づくピンクの髪の少女=ルイズ・ココ。そして対面には、腕組みして目を瞑る褐色肌の男、ボイル・ブラッドが居た。

 チビ羊ことチャーム・ティアドロップは、ルイズの侮蔑混じりの言葉を気にする様子もなく、首を傾げる。

「あらルイズちゃん、チャームが好きなものいくつ頼んだって、チャームの自由でしょ? 折角のサービスなんだし」

「それに飽きない、あんたの舌と胃袋が信じらんないって言ってんの、あたしは!」

「だって美味しいもん。チャーム、せっっかく向こうで楽しく沢山『送れる』って思ってたのに、ルイズちゃんたちのもお願いされちゃったしぃ、だから他のことは、チャームの好きにするんだぁ♪」

「おい」

 黙って聞いていたボイルが、目を瞑ったまま押し殺した声を上げる。

「……他の客もいる。言葉には気をつけろ」

「ぇえー? チャーム、学園生活が楽しく『送れる』って言っただけだもん。それに、あんな魔装おもちゃ使っても上手に人に、言われたくなーい!」

 チャームはぷい、と幼子のように顔を背けるが、客室乗務員がジュースを届けると、一転して上機嫌でストローを咥える。

「……俺は仕事での出向ってことで、向こうグラキエースでは別行動になるが……ルイズ、お前大丈夫か?」

「ごめん、正直、自信ない……」

 気遣う幼馴染の言葉に、ルイズはこめかみを押さえた。

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