第3話

「そんなにもたもたしていると、ピッキング犯に間違われるよ」とは、後ろでぐすぐすと泣きべそをかいている女の子の言葉である。そんなことを言うくせに、たまに一回きりで鍵を開けるのに成功すると、音がうるさい、と不平をたれる。扉の向こうで誰かが鍵を捻ったみたいで気持ち悪いそうだ。だから、わざと手元をガチャガチャ鳴らしてから開けようと試み始めるのに、地団駄踏んで早くしろなんて威圧してくる。

「開いた」

 どうやったところで、音の大きさ自体は変えようがない、が、心持ち「やさしく」心がけている。そして、親切にもドアを開けてあげたというのに、腕全体で押しやってくる始末だ。

「ふとん、借りるから」

 これが彼女なりのおじゃまします、だ。部屋の住人を押しのけて、いもむしのように頭からふとんをすっぽりと被る。もぞもぞと小刻みに動く物体を横目にお湯を沸かすのが習慣になってしまった。

「何、飲むの?」

 とりあえず、お茶のセットをベッドの前へと運んでいく。まだ、泣いている最中かと窓外に目を遣ると、密かにふとんから手だけが伸びていたりするのでぎょっとする。しかも、「うわっ」などと悲鳴を上げたりすると、何故か、手をひっこめてしまう。だから、観てみないふりだ。かごを探る音がする。音が止むと、ゆず湯のもとだけが、かごの外にある。拾い上げて、ゆず湯のもとをカップに開ける。二人分だ。何か和菓子でもあっただろうかと、食料を探っているとむくりと彼女が起き上がっている。

「お団子、食べたい。三色団子。私、二本。あなた、一本」

「二本、食べるの? 元気じゃん」

 覇気の無い顔で、頬を膨らませる。可愛い。掛け布団を花嫁のベールよろしく頭からかぶって、今度は枕を持ち上げたかと思うと、ぬいぐるみのように抱きしめている。

「いい匂い」

「自分の匂いって、自分じゃ解らないからなぁ」

 目を閉じて、頬を枕にすりつける。はぁ、と溜息を吐く。幸せは逃げない。

「私は抱きしめられるのがあまり得意ではないので、こうして抱きしめてやるのです。同じく、握手されるのも嫌いですが、自分から握手するのならOKです」

 感覚的にイマイチ理解しきれないが、ふぅんと相槌を打つ。

「子供の頃、母親の枕の匂いを嗅ぐのが好きでした。あれが、お母さんの匂いというものです。あいつの嘘字・誤字が許せなかったとしても、匂いは根本的には変わらないですからね。大きくなるにつれて、どんどん大嫌いになっていったとしても、心の奥深くにある『好き』の感情は永遠に変わりません」

「君は、漢字の書き間違いくらいで、血の繋がった母親をそこまで憎めるのかい?」

 お団子とゆず湯を持っていき、近くに腰掛ける。こくんと頭を垂れる。

「そういうものだよ。一緒に暮らしていると、些細なことが目に付く」

「それなら、僕は、今からでも漢検一級を取ろうと思う」

 こちらが真剣になって愛情の念を示しているというのに、ぐふふという女の子らしからぬ笑い声が聞こえてくる。不吉極まりない。枕を置き、異様な目つきをしている。

「私の好きな異性のタイプを知っていて?」

 苦笑いしながらの、溜息。幸せが逃げた。走って逃げた。

「自分より頭の良い人。解りやすく言えば、偏差値70以上、学年一位、東大・京大、博士号持ってる人、日本で最も難しいと言われているような資格を持っている人、えんど・そー・おん。…ってとこかな?」

「勉強は素晴らしいよ!」と、無敵に愛らしい笑顔を振り撒く。いや、振り撒くのは、愛嬌か。とにかく、不意打ちだ。

「ねぇ、だって、考えてみて? 連立方程式の解き方なんて、凡人じゃあ、いつまで経ったって発見できないよ?」

 可愛い、可愛い、可愛い。頬が熱くなって、目をそらす。

「はい、じゃあ、質問」

 顔の横に挙げた指をつかまれる。緊張しているのが、伝わってしまうではないか。「なぁに?」首を傾げる。

「学校で、犬や猫がどうとか言ってた…」

「え?」と、ぽかんとされる。その反応に、こちらも呆ける。突然、投げられたボールにぼけーっとしている。どうやら、話の内容を忘れてしまったらしい。自分からふってきた話題であるにも関わらず。

「あ、あー…?」

 わかった、とひとり頷く。大きなすいかでもあるかのように、両手を動かす。そして、叩くふりをする。

「狸だ!」

「個人的な意見ではあるが、君は猫に似ているよね」

「確かに、小学生の時分には口癖でにゃあにゃあ鳴いていたし、実の父親からは名前の下に『猫』をつけて呼ばれていたっけ」

 何だ、それ。可愛いな! さきほどから、心臓がバクバクしっぱなしだ。

「何か妄想してるの?」

 猫の仔を買っている気分で、自分の娘と遊ぶとか最強だな! やりたい。是非とも、僕もやりたい。

「いやあ、君そっくりな女の子が欲しいなぁ…と、夢見たり☆」

「それは」と顎に手をやる。「可愛らしいところだけ遺伝できれば良いけれど、私と何から何までそっくりな性格ならば、事件が起きるわね」本気らしい。刑事事件だけは、御免被りたい。

「そこは、僕のしつけで何とかするよ」

「ああ、そうそう」と話を本題に戻す。「同じ研究室の人に言われたんだけどね。あなたはいつも何も無い所にいるけれど、隠れて犬猫でも世話しているの? って」

「そんなに、僕って存在感薄い訳? 見えないの? 心の綺麗な人にしか見えないの?」

 ようやく三色団子の存在に気付いたのか、串を手にとり愛らしい見た目に微笑む。

「きっと、良い意味で風景に溶け込んでいるんだよ」

 良い意味って一体何だ。いないことにされるくらいならば、いっそのこと悪目立ちしたい!

「私なんか中途半端な存在感だから性質が悪いのよ。他の人が楽しく話していたと思ったら、『あ、いたんだ?』ってびっくりされたり、サボタージュしたらしたで必ずバレてるし」

 実に猫っぽい。

「にゃんこ可愛い」「にゃっ」思わず、ぎゅうっと抱きしめていた。









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