第2話
学校の教室にある机の天板くらいはあるだろうか。美大でもないのに、多少大きすぎる感のあるスケッチブックを抱えて歩く姿は悪目立ちした。風をよくうけるのか前かがみになって地面を踏みしめながら進む様には愛らしさを覚えた。学内で数回見かけたことがあって、自然とスケッチブックの中身へと興味はうつっていった。
図書館で借りたばかりの本を、広場のベンチで眺める。それまで聞こえていた子供の声が途切れたのに、顔を上げる。噴水ごしに光を感じた。この光が物理的なものなのか、心理的なものなのかはわからない。定かではないが、確かに引寄せられた。青々とした芝生の上の四角い白さに目がくらんだ。無心で何事かを書き付けている彼女の横顔は言い様もなく美しかった。神々しさ、生きるの何たるかを垣間見れた気がして嬉しかった。ありていに言えば、これが彼女に惚れた瞬間だった。
「待たせてごめん」
「は?」という返答があったのは、手を付いて起き上がった後だった。
「だれ? ふーあーゆー? にーしーしぇい?」
思わず日本語、英語、中国語の三カ国語で問いただしたくなるのも無理はない。全身に春風を感じながら寝転がって青空を仰いでいたら、約束もしていないのに突然待ち人が現れたのだから。
「あー、えーと、ごめん。とりあえず、ごめんなさい。私、前に会ったことのある人のこと思い出すのに軽く半日はかかるから」
あらぬ方向を見据えながら、ああでもない、こうでもないと腕組みしている。さらりと揺れる黒髪を見て唐突に思い出す。
「そういえば、本当に会ったことあるよね。僕ら」
ものすごい勢いで、眉間に皺が刻まれる。
「だから、話し掛けてきたんじゃないの?」
「いや、未来の花嫁を偶然見かけたものだから」
相当、危ない発言である。ストーカー呼ばわりされたとしても仕方ない。
「君の勝気な瞳が好きだった。ぱっちりとした目は今でも変わらないんだね。綺麗に切りそろえられたおかっぱ頭も好きだった。女の子らしい服装もよく似合っていたよ。まあ、周りの理解度もおかまいなしに、好きなだけしゃべりまくるのはどうかと思ったけどね」
溢れ出す塩水が止まらなくて、目から鼻から出まくり、果ては喉にまで落ちた。そして、何故かデコピンをくらう。「痛」「当然だ」ごほんと咳払いをする。
「今の私には、お前に対する憎悪しかない。誰が再会の喜びになどひたってやるものか。額の痛みは天罰だ。甘んじて受けるが良い」
尊大な態度を取りつつ、彼女の顔は真っ赤で、僕に負けず劣らず涙でぐしゃぐしゃだった。
「相変わらず、泣き虫だな」
今のお前だけには言われたくない、と思いきりにらまれる。懐かしい。前へ前へと向かっていく精神は変わっていない。僕が笑うと、今度は何と頭突きが返ってきた。さすがに、デコピンより破壊力がある。「痛いって」彼女が顔を伏せ、僕の服をつまんでくる。
「必ず帰ってくるからって言ったくせに」
「帰ってきたよ」頭をなでてやると、思い切り睨まれる。
「バッカ、遅いんだよ。十年以上もほったらかしにしやがって」
こんな時であっても、「十年」という単語に反射的に反応する。
「十年はdecade」
「四分の一もquarterふてぇ野郎だ!」ビンタ。何故。
「食べてないよ? 僕は、四分の一もすいか食べてないからね?」というか、何故、すいか決定? 自分でも謎の発言だ。
「ふんだ、この私はすいかくらいじゃあ許してやらないんだからね。死ね、寿命まで生き切ってから仲良し家族にでも看取られて安らかに逝け。この超高齢社会の日本で貴様のような未来の業突張りすいかじじいに無駄な医療費をかけてやるほど国は経済的余裕がないのでな」
言い切ると、踵を返す。
「ふふ、優しいね。ありがとう」へらへらとした笑いを返す。
「そういうんじゃないから! 私は医学生だから!」想像した彼女の白衣姿は痛く眩しかった。今度、医学部をうろついてみようっと。
「あっと、僕は理学部に居るからいつでも訪ねておいで。すいかくらいごちそうしてあげるから」
「だーかーら! 私はメロンよりすいか派だけども、すいかじゃあ許してやんないって言ってんの! このバァーカ! 大体、四分の一もすいか食べたらおなか壊しちゃうんだから。じゃあな」
なんだか異様に胸がきゅんきゅんする再会の日だった。
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