第17話

 間合いを瞬時に詰めた最初の一撃を、灯輝は確かに視認することができた。汐春は腹部に拳を入れようとしていた。回避か防御、選択が必要だったが、不可解な状況が灯輝の身体を硬直させ、その打撃を受ける結果となった。

 灯輝の身体は後方に大きく飛んだ。背中から木にぶつかり、木の葉が舞う。地面に膝立ちの状態で落ちると、冷や汗が吹き出てきた。どういうことなのか。なぜ闘うのか。今自分は殴り飛ばされた。身体に痛みは――?

 さほどなかった。腹を押されマットに背中から思い切り倒れた、その程度の鈍い痺れだけが感じられた。

「ほれどうした小僧。遠慮はいらんぞ、かかってこい」

 汐春は両腕で円を描くような動作を取った。香天は少し離れて、やや不安そうな顔でこちらを見ている。

「トウキ、奴も言っているのだ。相手をしてみたらどうだ」

 ガルガの声に緊迫感はなく、それが灯輝の混乱に拍車をかけた。

「そ、そんなこと言ったって」

 汐春が再び突進の体勢を取る。

「うわあっ!」

 灯輝は跳ねた。後ろを向いて。取り乱した思考は逃亡を選択したのだった。その跳躍は思いもよらぬほどで、森の木々が瞬時に灯輝の脇を通り過ぎた。自身の疾走に翻弄されながら、灯輝は本能的に大きな茂みを探し、飛び込んだ。

「ガッ ガルガ、なんで俺に任せるんだよ! 昨日みたいに身体を操れるはずだろ!」

「それだと意味がないのだ」

「なんだよ意味って」

「盤都羅の本質だ」

 まったく話が噛み合わなかった。動悸と汗が止まらない。

「トウキ、失念しているのかもしれぬが駒相手にこの距離での隠伏いんぷくは無意味だ。さらに奴は」

「目がいいでな」

 灯輝のいる茂みの後方、木の上から汐春が続けた。

「あ、あのっ! やめましょうよ! その弓野さんも話そうって言ったじゃないですか!」

 思わず声を張り上げた。

「情けないのう小僧。自慢ではないがワシは索敵さくてき以外、大した能はなくてな。盤都羅では大概まっ先にやられていたように思う。ワシ相手に臆するようでは、勝ち残りなど望めんぞい」

 汐春が着地する。

「トウキ、大丈夫だ。立ち向かえ。いざとなったら我が手を貸す」

 ガルガの声は優しく、なだめるようであった。灯輝は下唇を噛んだ。

「喧嘩しろっての? …分かったよ。やるしかないなら、やるよ」

 灯輝は気を奮い立たせた。

「その意気じゃ小僧」

 灯輝は灌木かんぼくから歩み出た。依姿の二人が向き合い、静寂が空間を支配した。



 「トウキ、昨日の闘いを思い出せ。見ていたはずだ。感じたはずだ。我の力を」

灯輝はガルガの言葉を噛みしめた。多摩川の上で、灯輝は闘った。敵の攻撃を防ぐ、かわす、反撃する。それは自分の意思ではなかったが、その感覚は、確かに身体に刻まれているように思えた。



 汐春が灯輝めがけて突進する。再びその右手が灯輝の腹に――弾いた。

 灯輝は自分の意思によりその打撃を左腕で受け流したのだった。灯輝の右半身が半円を描くように後方へ回り、勢いあまる汐春の身体をそのまま突き放した。

「おほっ」

 汐春は地面に土埃と落ち葉の軌跡を描き、身を翻しながら停止した。

「いいぞトウキ、その調子だ」

 ガルガの声援には応えず、灯輝はふっと息を吐き汐春を注視した。

「まだまだいくぞい」

 先程よりも速く、今度は蹴りが襲う。右、左の連撃。灯輝は左肘、右手で捌く。

 そして――掌底を汐春の片腹に打ち込んだ。

「ごほうっ」

 汐春は横回転で飛ばされ、今度は身体の制御がままならず片膝と手を付いて地面を擦った。眼鏡も飛びそうな勢いだったが、依姿による作用か顔から落ちる様子はなかった。

「あっ、だっ大丈夫ですか!?」

「フン、やりおる。ワシも少し手を変えてみるかの」

 汐春は、もと来た方角へと跳躍した。こちらに向けられた背にはもうひとつの大きな目があり、灯輝はそれが一瞬笑ったように見えた。

「何を…」

 言いかけて灯輝は気付いた。

 その先には後を追ってきた香天がいた。

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