第4話

 斜面にある築古の戸建てが灯輝の住む家だった。今、誰もいないことは分かっている。狭い庭に回り、腰よりも少し高さのある錆びた物置を開け、中段の棚板の裏に手を突っ込んだ。あった。予備の鍵を入手し、軋む玄関を開ける。2階の自室に入り、そのままベッドにうつ伏せで倒れ込んだ。ほどなくして、まだ乾ききらない学生服の背中の辺りが盛り上がり、襟口から二枚の紙が這い出てきた。

「これがそなたの部屋か。ふむ、…広くはないな」

「でも整頓されて掃除も行き届いているわ」

 紙は他愛のない話を始めている。

 どうしてこんなことになったのか。灯輝はうつ伏せのまま横を向き、部屋を舞う二枚を眺めた。



 敵が消失し、灯輝と女性はしばらく川面に佇んだ。花と蔓は女性の袖に吸い込まれるように収納されていた。先ほど香天と呼んだのは赤い髪の少女ではなかったか。灯輝の目前にいるのは、薄く茶に染められた髪を後ろに丸く束ねた、成人女性のようだった。衣装は不可思議で、和洋の混ざったものに見えた。全体としては浅紫、かつ光沢のある生地で、濃い色の帯が立ち姿に均衡をもたらしているように感じられた。

「一段落したけど、どうするの。少なくとも局者きょくしゃが二人生まれてしまったわ。この局が終わるまで、もうどちらも無関係ではいられない」

 女性が澄んだ声で灯輝に話しかけた。

「うむ…しかしうつつ映盤えいばんを終えているのならば、なぜ我らは戯法ぎほうを把握しきれておらぬのだ。終局の条件も曖昧とあらば、正着せいちゃくなど判断し得るはずもない」

 灯輝は周囲を見回して応えた。

「いずれにせよ、耳目を集めすぎた。局者にとっても都合の良いことではあるまい」

 川岸には人が集まりつつあった。こちらへ向けてスマートフォンを構えている姿も見られる。消防か救急、サイレンの音も近付いていた。

「そうね、ひとまず近場に身を隠せる場所を探しましょう」

 二人は川の上流を向き、水面を高速で駆け出した。



 「ああ、分かっている。今からできる限り説明しようというのだ」

川沿いの雑木林に飛び込んだ後、声は答えた。灯輝は自分を操る存在に問いかけを続けていた。

「うん、ここなら大丈夫そうね。はいはい、あなたにもちゃんと話すから」

 女性も続く。灯輝はフウッと息を吐いた。

「よいか、まずはこの姿のまま、二人とも身体の融通を戻す。むやみな挙動は取るな、尋常ではない力が出る」

 二人…? 言葉に引っかからないではなかったが、どうやら身体を返してもらえるのだと判断し、従う意思を示した。暫時あり、灯輝は意識が明瞭になってくるのを感じた。感覚が戻る、というよりも、むしろ新たな活力さえみなぎるようだった。灯輝は改めて自分の身体を観察した。やはり衣服は珍妙な袴のままだ。加えて、自分の頭部に何かを装着しているような違和感を覚えた。右目付近から始まり、耳の上、後頭部を回り、反対側の左こめかみまで覆っているようだった。それを触ろうとした時、隣にいる女性が叫んだ。

「どうなってるの!?」

「しっ、せっかく隠れたのに声大きい!」

 灯輝は右手を上げたまま硬直した。女性の声は二人分聞こえた。ひとつは見るからに動揺している女性の口から、もうひとつは―――帯からだった。

「落ち着いて、ね、大丈夫だから。説明するから」

 そう声を発する帯の前面に2つの目のような模様が動いているのを認め、灯輝は全身に鳥肌が立った。

「説明って、いったい何を説明するっていうの…!」

 女性の様子は明らかに雑木に紛れる前とは変わっていて、今にも泣き出しそうだった。

 灯輝の頭部から、男性の声が力強く言い放った。

盤都羅ばんとらだ」

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