第5話

 「ばんとら…?」

 灯輝は頭部から出た言葉を繰り返した。その重厚な声の主こそ自分を操っていたものだと、灯輝は自然に理解した。

「いかにも。今よりいくら古き世か、数百、いや一千年になるやもしれぬ、遠き時代に造られた遊戯盤、そして遊戯そのものの名称ぞ」

 頭に装着された何かが続ける。

「作りしは陰陽師おんみょうじ賀茂光長かものみつなが。古今、おそらく世に放たれ、残る盤都羅はただひとつのみで―――」

「やめて」

 ふいに女性が遮り、顔を覆ってしゃがみ込んだ。

「全部夢なのよ、きっと。そうじゃないなら私、変になっちゃったんだ。最近ちょっときつかったし、そういうことなんだ」

 誰に語りかけるでもなくそう喋ったあと、女性はさらに顔を伏せて静かになった。

 わずかな沈黙をおいて、今度は帯が静かに言葉を発した。

「ごめんなさい。私達も身勝手で。大変なところに、大変な役割を押し付けて」

 ああ、この人も自分と同じなのだ、と灯輝は思った。

「あの」

 灯輝は思わず女性に話しかけた。

「俺も、あの電車に乗ってたんです。運が…良かったのか…軽傷で済んで、そのあと身体が乗っ取られたみたいで、こんなことになってました」

 灯輝はそこで言葉を区切り反応を伺ったが、女性も帯も、頭部のものも応えないので、少し焦りながら続けた。

「俺、風早灯輝かざはや とうきっていいます」

 なぜだか自己紹介をしていた。

「蒲田の高校に通ってて…そうだ、俺達に、取り憑いた? 二人もまず名前を教えてほしいな」

「フム、もっともだ。それが礼儀だな」

 頭部が応じた。

「となれば、我らの姿を二人に晒さねばなるまい」

 その意味は理解できた。きっと自分から完全に離れるのだろう、と灯輝は考えた。

 女性はまだうずくまっている。

「すぐさま理解は求めぬ。まずは聞け。我らは三つの形態を有する。現在は依姿いしという状態だ。今からそれを解き、駒姿くしという、我らの基幹の姿となる」

 言葉はいったん途切れ、やや調子を落としたような声で続いた。

「だが心してほしい。我は香天ほど人に近い姿形にあらず。驚くなとは言わぬが、騒ぎ立てるでないぞ」



  灯輝は自分の身体から一瞬の発光を感じた。そして頭部の装着感が消えた。同時に、衣類に変化があった。もとの学生服へと戻っていたのだ。どういう原理か、袴の時には感じなかった湿り気さえも戻っていた。右脛の擦り傷の痛みもある。だが落下した車内で目を開けた時分よりは、だいぶ体調は良いようだった。

 女性がしゃがんだまま顔を上げ、驚きの表情を見せていた。そして灯輝は、その視線が自分ではなく、やや右背後へ向かっていることに気付いた。灯輝はゆっくりと振り向き、生唾を飲み込んだ。

 これもまた異形、としか思えなかった。かろうじて体躯は人間と同じ構造といえた。二本脚で直立し、たくましい腕を組む姿は重量のある格闘家を思わせた。身長は優に2mを越え、彫刻にも見える凹凸のはっきりした筋骨が全身に表れていた。青や灰の系統の色味を持ち、体に直に張り付くかのように金色の装飾が首や手首、腰回り、ふくらはぎ等を覆っている。最も人外と思えるのは、その頭部であった。目や口周りの造形は神社の狛犬を想起させたが、先の狭まった長い鼻はコリー犬のようでもあった。深い紺の頭髪、鋭い牙を持ち、漆黒の眼球の中に黄金色の瞳が輝いていた。

 灯輝は半腰で、湿った脇にさらに冷や汗を感じながら呆然とそれを眺めた。

われは盤都羅が駒のひとつ、牙流雅がるが

 静かに、しかし威厳のある声が、鼓膜を震わせた。

 灯輝が感じたものは、畏怖がほぼ全てであった。思いもよらぬ事象に巻き込まれ、思いもよらぬ存在と邂逅した。だがその内面には、自分でも気が付かないほどの、高揚と呼べる感情が確かに芽生えていた。心臓を震わせる衝動があった。自分がこれから関わることとなるその存在、その瞬間を、灯輝は脳裏に焼き付けた。

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