第10話 部になれなくても環は残る

「高梨さんの膝小僧が赤くなっていることに、僕は気付いてたんだ。他の誰も気付いていないみたいだったから、周りの連中の注意を向けさせようと思って、とりあえずスリーサイズを聞いてみたんだが、女子の総スカンを食らってうまく行かなかった」

「膝が赤くなっていたことと、さっき言ったあなたの妄想とがどうつながるのよ」

「スリーサイズを聞いた時点では、ため息の理由と関係あるのかな、ぐらいの認識だった。そのあと阿賀から、君と曲がり角でぶつかった話を聞いて、最初は、じゃあ膝が赤いのはそのときに倒れて打ったからかと納得しかけた。でも、どうやら高梨さんは前のめりではなく後ろに倒れたようだ。地面で膝を打つとは思えない。言い換えると、君は別の理由で膝を打ったはず。そしてそれは恐らく、車が急ブレーキを掛けたとき、車内でだ。シートベルトをしていなかったのかもしれないね。服に皺が寄るのを嫌ったのかな。その後、徒歩で学校に向かっている途中、再びの衝突。歩きの阿賀とぶつかったんだろう。

 ――返事がないので続けるよ。探偵サークルに関心があるように振る舞ったのも、僕の知り合いに刑事がいると知ったからだろ? うまくすれば合田“失踪”事件の捜査がどの程度進んでいるのか、情報が得られるかもしれないと期待し、入ることにした」

「そうね。――本当はまるで興味ない。あなたか阿賀君のどちらかに私が一目惚れしたから――と言ったら信じる?」

「残念ながら信じられない。自分も阿賀も、そんなにいい男ではないという自覚があるもので」

 格好を付けてニヒルなつもりの笑みを見せた。

「そう。残念だわ」

 高梨の声が冷たさを帯びた。

熊野くまのが戻って来たみたい。時間稼ぎをした甲斐があったわ」

「熊野? ああ、運転手か」

「随分と冷静ね。このあと、行方不明になってもらおうと思ってるんだけれど」

 やっと正体を現したか。

 宝来はある意味ほっとしていた。いくら探偵を気取っても、一般人の素人だ。物的証拠を確保できていない段階で告発めいたことをやって、もしも間違っていたら、あとが大変になる。

「やれやれ、だね。僕が、経験豊富なこの宝来博士が、君の家に乗り込むに当たって、何の準備もしていなかったと思うわけ? みくびられたもんだ。君は転校生だから知らないにしても、悲しくなるよ」

「どういうこと、準備って」

「ここに来るの使った足だけど、個人的なタクシーっていうのはね、警察の車のことなんだ。このお屋敷の前からは立ち去ったけど、近くで待機している」

「な……」

 目を見開き、口も半開きになる高梨。折角の美人がだいぶ崩れた。

「僕が無事に戻らなかったら、踏み込んでくるよ。あ、それ以前に、もう熊野運転手の車を調べて、何か見付けたかもしれないな」


             *           *


 何が起きているのか、最初は分からなかった。


 朝、学校に行くと、始業時間になっても高梨さんは姿を見せなくて、「休みか~、てことは歓迎会も中止かな」などと思っていた。

 ホームルームの時間、吉良先生は何も言わなかったから、特に言及するほどのものでもない、単なる休みなんだと解釈した。

 それから休み時間になって、宝来に「高梨さん休みみたいだし、歓迎会は中止か?」って聞いた。

「そうだな」

「買った分が無駄になるか、いや、三日ぐらいまでなら延期できるか。あ、それよりも部への昇格前祝いという名目があるんで、やっぱりやるとか?」

「ああー、それなんだが」

 宝来は何故か困ったように言い淀み、頭をかいた。僕から目線を外すと、中庭へ開けた窓の方を見ながら、

「前祝いの方も中止にしよう、うん」

 と言った。


 そのニュースが飛び込んできたのは、夕方、もう帰ろうかという頃合いだった。

 先生の誰かが職員室で見聞きして、それを聞いた生徒が広めたらしい。まあ、今はニュースのソースや経路は二の次、三の次ということにしておく。内容が問題だ。

 高梨さんのところの運転手、熊野なる男性がひき逃げ事件を起こした容疑で、逮捕されたという。多分、前に顔を合わせたあの人なんだろう。

 そしてひき逃げの被害者というのが学生で、どうやら合田光一らしい。合田が今、どこでどうしているのかはまだ分からない。


 今日、来なかったのはそういうことか。


 僕は理解した。

 歓迎会が中止になるのは当然だし、探偵サークルだって人数が四人のままじゃ、部への昇格は消える。


 九月一日の朝、僕とぶつかる前に、彼女は合田とぶつかっていたのか。ただし、彼女はそのとき、熊野の運転する車に乗っていた。

 ちょっとタイミングがずれていれば、僕が轢かれていたこともあり得たのだろうか。具体的な確率は誰にも分からないだろうけど。


「どうする? やっぱりやるか、どんちゃん騒ぎ」

 足が重くなって、教室に残っていた僕に、宝来が声を掛けてきた。外では、太陽が本格的に夕日色になろうとしていた。

「何を名目に?」

 隣の席に座った宝来の方を向きもせず、聞いた。

 宝来も僕と同じ窓の外を見ながら答える。

「決まってる。誰かさんの失恋記念だ」

「うーん。別にどっちでもいいや。そこまで傷は深くない。多分」

「ならいい」

 席を立った宝来。

「でも何かあったら、いつでも言ってくれ。探偵として相談に乗ってやろう」

 宝来がきびすを返す。影になってその表情はよく見えなかった。

「ああ、そのときはワトソン役として頼むよ」


――「食パンは人とぶつかるためにあるんじゃない」終わり

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