第32話



 通勤ラッシュをとっくに過ぎた時間帯。


 人がまばらな列車内で窓際の席に座ったフミヤは、高速で移り変わる景色をぼんやりと眺めていた。


 既にカンジたちとは別れた後だ。


(想定外のトラブルもあったけど、なんとか丸くおさまってよかったな)


 実力がバレてしまったことは想定外だった。


 フミヤとしてはもう少しの間、目立たずに活動するつもりだったからだ。


 しかし、能力アビリティについては隠せたのだから不幸中の幸いといってもいいだろう。


 ”実力を隠す変な人”というイメージがついてしまったことは残念だが、これも能力アビリティについて詮索されないためだ。


 仕方がないことだった。


(……そう。仕方がなかったんだ)


 気を取り直して、フミヤは買っておいたジュースを飲むことにした。


 ……美味い。


 能力アビリティのおかげで飲食の必要がなくなるのはとても便利だが、やはり何かを飲んだり食べたりという行為は、単なる生命活動のためにするものではないと実感する。


 それはきっと、人生を豊かにするためのものでもあるのだ。


 そのことを忘れないようにしようと思う。


(それにしても……カンジたちを助けられてよかったな。もし、俺があのとき近くにいなかったら……)


 もし、もう少し早く帰っていたら……。


 何か少しでも歯車が狂っていたら、最悪の結果になっていたはずだ。


(そうなってたら、あれが最後の別れになっていたんだよな……)


 自分の不甲斐なさに、試験会場から逃げたあの日。


 もしカンジたちを助けられなかったら、あれが最後の別れになっていた。


 あまりにも後味の悪い結末だ。


(本当に……そうならなくてよかった。ちゃんと連絡先も交換したし、これからはいつでも会えるんだよな)


 もっと強くならなければ、と思う。


 フミヤはカンジと別れ際にした会話を思い出す。


 ――フミヤ兄。今はまだ遠いけど、いずれフミヤ兄が立っている場所に俺も行くから。だから、待っててくれ。

 

 ――それは楽しみだな。でも、俺もどんどん先に進むつもりだから、簡単には追いつかせないぞ?

 

 ――それでも、すぐに追いついてみせるよ。いつまでも守られるんじゃなくて、一緒に戦えるようにさ。


 カンジのことは応援しているが、追いつかせるつもりはなかった。


 兄貴分として、常に目標とされる存在でありたいと思っているからだ。


 それに、世界一の探索者を目指すというフミヤ自身の野望のためにも。


(だからこんな程度で満足してちゃダメだよな)


 遠くに見える高層ビルを見つめながら、フミヤは決意を新たにしたのだった。






 ここは、クラン・シミズのクランマスター室。


 そのドアが開き、一人の人物が部屋に入ってきた。


 その人物の名はシミズ・ミヨコ。


 彼女はクラン・シミズの副クランマスターであり、部屋の主であるクランマスター、キョウシロウの妻でもある。


 「遅れてごめんなさい。会議が長引いちゃって」


 「気にするな。クラン・シミズを実質的に動かしてるのはお前だ。暴れるだけしか能がない俺と違って、思い通りにいかないことも多いだろうさ」


 ミヨコはかつて、ランク12の探索者だった。


 しかし、現在は探索者を引退し、クランの経営に専念している。


「あなたが暴れるだけしか能がない人間だとは思わないけれど……気遣ってくれてありがとう。それで、話って何?」


「カネモトから連絡が来た。まだ確定ではないが、少し厄介な問題が発生したかもしれん」


 ミヨコは眉を顰める。


「カネモト君から? 何が起こったの?」


「エリアE-5でサイクロプスが出た」


「なるほど。ランク7の魔物がエリアE-5にいるのは、確かに変ね……」


「しかもそいつは手負いだったらしい」


「……厄介ごとの予感がするわね。それで、そのサイクロプスはどうなったの? 誰か増援に送ったんでしょう?」


 そんなミヨコの言葉を、キョウシロウは否定する。


「サイクロプス自体はカネモトが倒した」


「……驚いたわ。手負いとはいえ、もうランク7の魔物を倒せるようになってるだなんて」


「本人の努力もあるんだろうが、やっぱりあいつの能力アビリティはとんでもねえな。まあ、今はそれはいい」


「どうしてエリアE-5にサイクロプスが現れたのか、ということね……」


「ただの偶然って可能性も十分あるが……本来のサイクロプスの棲み処――エリアE-7やE-8で何か起こってたら厄介だ」


「どう対応するつもり?」


「連盟に連絡は入れておいた。すぐに動くはずだ」


 そのとき、電話が鳴った。


 キョウシロウは立ち上がると、受話器をとる。


 それから少し会話をしてから、ミヨコに向かって言った。


「テレビ通話に切り替えるぞ」


「誰なの?」


「ルイコの奴からだ」


 次の瞬間、部屋にあった巨大なテレビ画面に妙齢の女性の姿が映し出される。


「一体、何の用かしら? あなたがわざわざこうして連絡してくるだなんて」


 画面に映った女性に向かって、ミヨコがそう言った。


「今日はお礼を言いたくて連絡したのよー」


 画面の中の女性からそんな返事が返ってくる。


 外見は20代後半ぐらい見える。


 整った顔立ちで、軽そうな雰囲気と喋り方だ。


 この女性こそ、六大クランのうちの一つ、クラン・アサオのクランマスター――アサオ・ルイコその人であった。


「お礼?」


「うん。あなたたちのクランの子に、うちのクランのメンバーが助けられたっていうじゃない?」


 ミヨコはキョウシロウに視線を向けた。


「さっきは説明しそびれたが、どうもカネモトがクラン・アサオの連中を助けたらしくてな」


 キョウシロウはフミヤがカンジたちを助けた、という話をミヨコに説明する。


「なるほど。そういうことだったのね」


「そ。本来なら直接会ってお礼を言いたいところなんだけど、さすがにそれは無理じゃない? だからこうしてお礼をと思ってねー」


「気にすることはねえよ。今回は俺たちが助ける側だったが、次は逆になるかもしれねえからな。こういうのはお互い様だ」


「そうねえ。ところで話は変わるけど、今回うちの子たちを助けてくれたのって、ついこの間入ったばかりの新人くんらしいじゃない?」


「ええ。そうよ」


「凄い新人くんよねえ。ランク7の魔物を圧倒してたって話だけど、実力的には最低でもランク7。もしかするとランク8に近い力があるかもしれない。将来この国を背負って立つと言われてる、私やあなたたちの娘に匹敵する逸材だわ。一体、どこから見つけてきたの?」


 ――さっそく探りを入れてきたか。


 そんなことをミヨコは思った。


 六大クランは連盟を構成し、協力し合う間柄ではあるが、ライバルでもある。


 クランどうしの均衡が崩れると厄介なことが起きかねないため、お互いに警戒し合っているのだ。


「さあな。あいつを連れて来たのは俺たちじゃない。娘のサヨコだ。俺たちは実力があると判断したからクランに入れただけだ。それ以上のことは何も知らん」


 とはいえ、余程の馬鹿でない限り迂闊に情報を漏らすはずもない。


 それはルイコもわかっているのだろう。


 彼女はあっさりと引き下がった。


「ふぅん。ラッキーだったのね。羨ましいわぁ」


 それから少し世間話などをして通話は終了した。


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