第29話



 カンジは血が出るほど唇を強く噛み締める。


 サイクロプスがここにいる。


 それが意味することはたった一つ。


「くっそォオオオオオオオ!!!!!」


「よせ!!!」


 タイシの制止も聞かず、カンジはサイクロプスに突撃した。


 一瞬で肉迫したカンジが、魔力を纏った剣で斬りかかる。


 しかし、サイクロプスはそれを左手の指一本で受け止めてしまった。


 そして、その指も当然のごとく無傷。


「嘘……だろ……」


 サイクロプスは肘から先だけを使って、左手でカンジを払いのけた。


 サイクロプスからしてみれば大して力も入れていない、児戯に等しい一撃であった。


 しかし、たったそれだけのことでカンジは吹き飛ばされてしまう。


 ゆっくりと、サイクロプスがカンジに近づいていく。


 先ほどの攻撃で吹き飛ばされたとはいえ、カンジは特に大きな怪我をしたわけではなかった。


 しかし、体が動かない。


 生まれて初めて体験する死の恐怖に、体が言うことを聞いてくれないのだ。


 そして、それはタイシやキリカも同じだった。


 この三人は才能に恵まれたが故に、これまで特に壁に当たることなくとんとん拍子で成長してきた。


 危機的状況に陥った経験がないから、魔物の本当の怖さを知らずにここまで来た。


 それが今、仇となった。


 カンジの表情が絶望に染まる。


 サイクロプスが笑った。


 ――ああ、この顔が見たかったんだ。


 そう言わんばかりの表情だった。


 サイクロプスが足を上げ、カンジの頭上に振りかざす。


 だが、それでもカンジの体は動いてくれない。


 そして、それは他の二人も同じ。


 大事な仲間が、恋人が殺されようとしているのに動くことすらできなかった。


 もはや命運は尽きた。


 そう誰もが思ったそのときだった。


 不意に、サイクロプスの姿が消える。


 いや、消えたのではない。


 蹴り飛ばされたのだ。


 いきなり現れた長身の青年に。


 190センチをわずかに越える長身に、鍛え上げられた肉体。


 そして、整った顔立ち。


 それはよく見てみると、カンジもよく知る人物の顔だった。


「……大丈夫か、カンジ」


「……え? あ……え……? フミヤにい!?」


 あまりに突然の出来事に、キリカやタイシも呆気にとられている。


「まあいろいろ話したいことはあるだろうけど、その前にまずあいつを倒してからだな――」





 なぜフミヤがカンジたちの目の前に現れたのか。


 それを知るには、少々時間を遡らなければならない。


 あれは、フミヤがマエジマと遭遇してすぐ後のこと。


 そのまま帰るつもりだったフミヤだが、あることを思い出して急遽エリアE-5に留まっていた。


 それは、これまで集めてきた大量の魔結晶について。


(向こうは、俺が今日しかこのエリアにいないと思ってるはず。それなのに、魔結晶が根こそぎとられてなくなってたら、たぶん怪しまれるよなあ……)


 勿論、他の探索者が採ったと考える可能性もある。


 だが、それでも怪しまれる可能性は、少しでも潰しておきたかった。


 そういうわけで、フミヤは地属性魔法を使って、魔結晶をエリア内に適当に埋め込むという地味な作業を何時間も続けていたのだ。


(しかし勿体ねえなあ。俺もクランの所属になった以上、これを自分のものにして換金することはできないけど……でも、これを持ち帰れれば、結構な額のボーナスを貰えると思うんだが)


 いわば、今フミヤがしている行為は、わざと金を道に落としていくようなもの。


(まあ、しょうがねえか。これも秘密を守るためだし……それに、今の俺の給料なら、この程度はした金だしな)


 おそらく、家に帰る頃には、フミヤの銀行の口座に5億マニーが振り込まれているはずである。


(そう考えたら、なんか全然惜しくなくなってきたわ)


 とはいえ、この作業が非常に面倒でつまらないものであることに変わりはなかったが。


 と、フミヤがそんなことを考えていたときだった。


 不意に、空が黄金色に光ったことにフミヤは気づいた。


 そしてそれが、何度も繰り返される。


(あれは確か……無属性魔法の”閃光”。意味はたぶん、助けてくれっていうことだったはず)


 一体誰がそんな合図を?


 そう考えたフミヤは、ある一つの可能性に辿り着く。


 それは、クラン・アサオの誰か――フミヤの予想では新人――が”閃光”の魔法を撃ったということ。


 新人たちを引率していたというあの男性は結構強そうに見えたから、おそらく違う。


 きっとあの男性とはぐれた新人たちが、自分たちの手に負えない魔物と出会って助けを呼んだのだろう。


(ってことは、六大クランの一つっていっても、新人は結構弱いんだな。このエリアには最高でもランク5までの魔物しか出ないのに)


 フミヤは考える。


 助けに行くか、このまま見捨てるか。


 結論は、すぐに出た。


(助けに行こう。ここで見捨てて、あとで誰か死んだなんて聞いたら、この先ずっと後悔しそうだ)


 もちろん、リスクはゼロではない。


 だが、このエリアに出現する魔物のレベル、今のフミヤの実力を考えればリスクは限りなくゼロに近いだろう。


 そう考えたフミヤは、”閃光”の魔法を撃ったと思しき人間がいる場所を目指して、走り始めたのだった。


 ――そして、今に至る。


(まあ、まさかランク7の魔物がいるなんて思いもしなかったけどな。でも、カンジの姿を見てしまった以上、逃げるわけにはいかねえだろ)


 フミヤはサイクロプスを睨みつけた。


 カンジはフミヤにとっては弟分。つい最近再会するまで、もう何年も会っていなかったが、それは今でも変わらない。


 そんなカンジを、あの魔物を殺そうとしたのだ。


 絶対に、許さない――。


「ヴゥアアアアアアアアア!!!!」


 強者たる自分が、不意打ちとはいえ矮小な人間ごときの攻撃を受けて吹き飛ばされた。


 その事実に、サイクロプスが激昂する。


(怒ってんのは――こっちの方なんだよ!)


 フミヤが魔法を発動させ、サイクロプスの足元の土が隆起した。


 それは瞬時に無数の槍へと変化し、反応すら叶わぬほどのスピードでサイクロプスを襲う。


 だが――。


(やっぱりダメか。ランク5の魔物相手には通用しても、ランク7にはまだ無理みたいだな)


 槍はサイクロプスの体に浅く刺さっただけで、致命傷を与えるには程遠かった。


(まあでも、他にやりようはいくらでもある)


 フミヤは剣に金色の魔力を纏わせた。


 そして目にも止まらぬスピードで肉薄すると、サイクロプスの体を斬りつける。


 アダマンタイトの剣を使っていたマエジマでさえ、サイクロプスには浅い傷をつけるので精一杯だった。


 だが、それよりも劣るミスリルの剣でも、使い手の力量次第で攻撃力はいくらでも上がる。


「ギャアアアアアアア!!!!」


 あまりにも激しい痛みに、サイクロプスが絶叫する。


 フミヤの剣は土の槍ごとサイクロプスの体を、深く斬り裂いていた。


 傷口からは夥しい量の青い液体が溢れだしてくる。


 だが、サイクロプスもやられっぱなしではない。サイクロプスは拳を振るって、フミヤに反撃を試みる。


 しかし、それはフミヤも予想していたこと。


 瞬時に距離をとったため、サイクロプスの拳は空振りに終わった。


 ただ、サイクロプスの攻撃はそれで終わりではなかった。


 サイクロプスの単眼が怪しく光る。


 そして次の瞬間、そこから一筋の光線が放たれた。


 光線は凄まじいスピードで、しかも狙いも正確。生半可なスピードでは、躱すことは不可能だ。


 現にランク6のマエジマでさえ、光線をまともに回避することはできなかった。


 だが――。


(確かに速い。けど、避けられないほどじゃない)


 フミヤはそれを、地面を蹴って高速移動することによって回避する。


 さらにそれだけでは終わらない。


 フミヤは高速で移動して距離を詰めると、サイクロプスの体を再び斬りつけた。


 青い血液が噴き出す。


 サイクロプスが膝をついた。


 だが、再びその単眼が怪しく光る。


(またビームか)


 フミヤはサイクロプスから距離をとった。


 流石のフミヤでも、至近距離で放たれた光線は回避できないからだ。


 単眼から光線が発射される。


 フミヤはそれを高速移動して回避した。


 さらに移動し終えた直後のフミヤを狙って、再び光線が放たれる。


 しかし、それさえもフミヤは難なく回避してしまう。


(長引くとカンジたちが巻き添えを食いそうだ。ここは、一気に決める……!)


 フミヤは瞬時に肉薄すると、サイクロプスを斬りつけた。


 大量の、青い血が噴き出す。


 そして――。


(これでトドメだ……!!)


 フミヤは魔力を纏った剣を、サイクロプスの単眼に突き刺した。


「ァアアアアアアアアアアアア!!!!!」


 その強靭な肉体と同様、本来なら剣で刺そうにも硬すぎて刃が通らないその単眼も、フミヤにとっては柔らかい豆腐のようなものだ。


 フミヤの剣は、単眼を通り越し、後頭部まで貫通した。


 致命傷だった。


 フミヤが剣を引き抜くと、サイクロプスの体は糸の切れた人形のように地面に倒れ込む。


 フミヤの勝利だった。



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