第75話 ライ、アスカーヌ共和国にて3

 ライ以下のラママーズ王国の調査隊、ミーライ皇子とその護衛隊にミースラス子爵家の少年と少女に加えて、ブライラン男爵家の娘のサリーヌとその護衛は、車輪が壊れた馬車の近くでその殺された巨大な狼を見ながら議論した。


 しかし、いくら推測で言っていても確証はないのだ。最後にミーライ皇子が言う。

「結局、実際に現地に入りこんで確かめるしかないだろう。しかし、確かめると言っても、ジースラス山の山麓は極めて危険なところらしいな。我々は飛べるが、空を飛ぶ大型鳥類がいれば危険だろう。

 わが帝国でも巨大な猛禽類によって、小型の家畜が攫われたという報告もあるから、あの大森林であればもっと物騒な鳥類がいることは考えられる」


 皇子の言葉にサリーヌが応じる。

「確かに、最近では羽根を広げたら家より大きい鳥が、羊などを攫ったという報告はちょくちょくあります。ただ、あまり群れをなして飛ぶということはないようです」


「ラママール王国も大型の鳥類がおり、中には羊程度なら吊り上げるほどのものも居ます。これらは猛禽類で肉食ですから危ないには危ないが、飛ぶ速度は時速100km程度を大きく超えることはないはずです。我々の調査隊は、全員ではないですが半数程度はその2倍程度の速度は出せます。

 ただ問題は、これらのシャーウルフと同様に魔獣化している場合で、その能力は普通のものを大きく超える可能性があります。その場合は、我々が速度において同等かまたは少し劣る可能性があります。しかし、基本的に猛禽類が怖いのは地上にいて、素早くは動けないところに空中から襲われることです。


 空を飛ぶ鳥類または魔獣の場合には、スピードがある分それほど小回りは利かないはずで、魔法で空に浮かぶ我々のほうが小回りが利くから、その爪や嘴で襲われても避けられます。おとぎ話のドラゴンのように、高温のプレスを吐いたり魔法を使えるようだと別ですが、それほど危ないとは思えません。

 増して、地上を歩く魔獣であれば、どれほど強力でも空に逃げれば良いのですから、危険はありません。それに我々は爆弾や銃器が使えますからね。いずれにせよ、この魔獣化の兆候は危険です。


 自然現象にしても、サンダカン帝国の工作にしても、状況を把握しておく必要があります。この時は、ミーライ殿下はやはり危険なのと、失礼ながら魔法の能力が十分でないので安全なところでお待ち頂きたいと思います。

 まず、しっかりした宿のあるところとして、当面の目的地である大都市のカーミラヌン市に行きましょう」


 ライが、サリーヌに続けて、調査が必要なことを言うが、深刻さを悟ったサリーヌが嘆願する。

「お待ちください。私どもにとっては、魔獣化による50年前のようなスタンピードは死活問題です。それが、人為的なものが加わったとすれば、前より規模が大きいような気がしますので、それこそこの近隣の人々が全滅しかねません。

 ただ、残念ながら、ライ卿が言われる様な偵察をする能力を持った者は地元にはいません。だからせめて、我が家を拠点にしていただけませんか。それで私どももいち早く情報を受けることができます。


 田舎のたかだか男爵家ですので、貧しい屋敷ですが皆さんをお泊めして、おもてなしをする程度のことはできます。ここからほんの10㎞足らずの距離なので、なにより近いので時間はかかりません。

 父に話をして近隣の領主の皆さんにも集まって頂き、今後の対策を練る必要があります。ミーライ殿下以下のお待ちになる方々は、我が家に滞在頂ければ良いと思います」


「うむ、ライ卿の言われるように確かに、私も護衛の皆も、ラママール王国の皆に比べると魔法においては大きく劣る。さらに事の重大さに鑑みて、偵察の必要性は私も同意する。

 その場合には、時間の節約のために拠点は近い方が良いが、その意味ではサリーヌ嬢の申し出は有難いものだ。さらには、もし恐れているようなスタンピードが起きた時には被害を受けるのは地元の方々だ。

 従って、最も早く情報を受け取る必要があるのは彼らだ。その意味でも、サリーヌ嬢の申し出を受けるべきだと思う」


 ミーライ皇子がサリーヌ嬢の申し出を受けるように言う。それにはライも同感であり、彼らは馬車の軸受けを魔法でさっさと修理して、直ちにブライラン男爵家に向かった。

 折よく在宅していたブライアン男爵は、馬車の音に気が付いて居間から外に出て、出戻りの娘とその護衛に付けた騎馬のものが近づいて来るのを見た。娘が出発後それほど経たない間に帰って来たのをいぶかしく思ったが、それよりも多数の人々が馬車と騎馬の上空を飛んで近づいてくるのにも気が付いた。


 彼も近年自国でも魔法が使う者が増えてきて、中には空を飛べるものがいることは聞いていた。しかし、実際に見るのは初めてであり、20名以上の人々が腹這った形で空を飛ぶ姿は、極めて異様なもので、自分の娘のことは頭から抜けてしまった。


 しかし、先に到着したのは娘とその護衛の3名であり、馬車から慌てて降りて来た娘が彼に駆け寄り話しかける。その間に、空を飛んで来たもの達は、玄関先に止められた馬車から10mほども離れた場所に降り立った。


 男爵はそちらに大半の注意を引かれて、当初は娘と部下の言うことは上の空であったが、“獣の魔獣化”という言葉で注意が娘に戻った。その後は、真剣にサリーヌの言うことを聞くようになったが、それは彼の懸念の裏付けるものであった。


 娘も大体のところは知っているが、実のところ彼は、森で狂暴な獣が出没する兆候は様々なケースでいくつも聞いていたのだ。まだ、へそのない魔獣化した獣というのは今回は聞いていないが、50年前にこの地域を襲った悲劇でも、人々を襲った獣は非常に強力であり、臍が無かったという特徴は伝わっている。


 彼は戦慄した。しかし、そこにいるのはジルコニア帝国のミーライ皇子殿下!彼も貴族の端くれとして、ジルコニア帝国にミーライという名の皇子がいることは知っている。


 娘に言われてその人を見たが、確かにそのような年廻りであり、服装は華美ではないが貴人のものであり、大帝国の皇族というだけの雰囲気は持っている。いずれにせよ、自分の館を拠点に調査をしてくれるというのであれば、本物の皇子殿下としてもてなすべきであろう。


 それに加えて、ラママール王国の有名なライ卿、さらには我が国の有名なミースラス子爵家の天才少女と少年と、何という有名人ばかり!その有名人たちがこの田舎の我が館に来て、一時的とはいえ拠点にするとは。


 彼は、娘に続いてミーライ皇子に近づき、片足を膝ま突こうとしたが皇子から止められた。


「あー、いやいや、ブライアン男爵殿。私も正式な訪問ではないので、国外の貴族のせがれ程度に思って欲しい。またこの場合、こちらがお願いする立場だから、そのつもりで振舞って欲しい」


「いえ、まあ、そうですね。私の館は、とても皇子殿下をお泊めするようなものではありませんので、建物が粗末な点と、行き届かない点はご容赦願います」

 男爵は皇子の言葉に応じて、ただ恭しく頭を下げるにとどめた。


 そのように、午後も少し遅い時間に一行は男爵邸に着いたわけだが、男爵領の農民も動員して、急きょ宿泊の準備が整えられた。流石にミーライ皇子が割り当てられた本館にある客間は、それなりのものであり、前夜の宿に比べればはるかに立派なのものであった。


 その他に本館の客間に割り当てられたのは、ライと副官のアスラ、皇子の護衛隊長のリンザイ少佐及び、皇子の侍従役を仰せつかった若手の将校、さらにミースラス子爵家の少年と少女である。その他の者は、別館の兵員宿舎に割り当てられたものであるが、いずれも前夜の宿に比べればましなものであった。


 その夕刻には本館に宿泊したものは、男爵夫妻が催すディナーに招かれた。また、別館宿泊の者に対しては、サリーヌの護衛を勤めていたジスラなどの領兵の主だったものが加わった晩餐が催された。


 さて晩餐においては、洗練されたものとは言えないが、それなりに整えらえた味の良い食事をとりつつ、主としてリンザイ少佐とアスラからジルコニア帝国及びラメラーズ王国におけるサンダカン帝国の工作が語られた。


 それを聞いていた男爵夫人のジェーリスは、ジルコニア帝国の皇子殿下を自宅でもてなすということによる気遣いと、わくわく感、誇らしさの入り混じった感覚が霧散するのを感じた。


 近隣の10軒余りの貴族家の婦人連との付き合いにおいて、あのジルコニア帝国の皇子殿下を自宅にお泊めすることが、どれほどのインパクトがあるかをわくわく感と誇りを持って思っていた。


 むろん自分の屋敷がそれほどの格式でないこと、現に晩餐に供している食事は、『美味しい』と好評ではあっても、田舎料理に過ぎないことの引け目があった。


 しかし、語られている内容は余りに重要であった。彼女とてサンダカン帝国の話はとりわけ最近はよく聞いているし。共和国内部に様々な接触をしていることが耳に入っている。その勢いのある国が、この大陸の征服を狙っており、人を操り人形にするような工作をしているとは!


 娘のサリーヌ同様に賢い女性であるジェーリスは、その重大さがよく理解できた。さらには、最近聞く森の獣が増えて狂暴化しているという話が、サンダカン帝国に繋がっている可能性があると言っている。


 そのため、皇子一行とラママール王国の一行がこの近隣の大国であるキーカルク王国への旅の途中にここにとりあえず止まって、ジースラス山麓の大森林の調査を行うという。


 彼らを招いたのは娘のサリーヌらしいが、いい判断だったと思う。もし彼らが言うことが正しいとすると、調査の結果はすぐに知りたいし、飛行魔法が使えるラママール王国のもの達であれば、大森林の奥深く行けるが、自分たちでは危険すぎて到底まともな調査はできない。


 それにしても、この賢い娘がミーガス子爵家の馬鹿息子に嫁いだのは気の毒だった。この国もかつては王国だったのだ。しかし、王の力が弱く貴族に好きなようにされていた状態の中で、結局貴族たちは王政を排して共和制にしたものの当然自分たちの利益のために貴族制は残した。


 只その貴族も政府に守られる立場でなくて、事業主というかそれぞれに自分の食い扶持は自分で稼ぐ必要がある。私の夫は広い自分の領で農作物を作っている。一方で、隣の領のサーマル伯爵など、鉄鉱山を持って鉄を作っているから、領の面積としては僅かなものだけど、多分我が家の3倍以上の収入があるでしょう。


 娘が嫁いだミーガス家は子爵だけど我が家と違って、領内の森林を伐採しての林業を主としている。サリーヌの夫だったサミズは余り賢くはないと思っていたけど、まさか決闘を申し入れて殺されるとわね。それで、結局子供もいなかったサリーヌは手切れ金をもらって、出戻りになってしまったわけだ。


 もっとも、娘に言わせるとせいせいしたということで、ほとんど夫には愛はなかったようね。私の夫は世間体が悪いというけれど、それなりの財産を持った娘一人くらいどうってことはないし、優しくしてあげて欲しいものだ。


 でも、サリーヌも横に座っているアスラという彼とまんざらではないようね。ラママール王国から来たもので、国の役人で準男爵らしいけれど、体格もよく鍛えているし、受け答えもなかなかしっかりしているわ。彼もサリーヌとなかなか楽しそうに話をしているわね。


 でも、彼はあの鍛えた体からも武術は相当なものだと思うけど、さらに魔法はあのラママール王国でも10本指にはいるとか言っていた。その彼の上司になるという、『調査隊』の隊長のあのライ卿は男爵で、率いる隊では最も爵位は高いけれど、見かけはまるっきり少年ね。


 だけど、その魔法と様々な知識はすでに大陸中に名が響いているわね。

 確かに、話しぶりと雰囲気はなるほどその評判が正しいようには思うわね。とは言え、アスラ氏は独身で26歳のサリーヌにも年廻りはピッタリだわ。


 席はサリーヌが手配したようで、なかなか娘も積極的なようだから、これは私も少し動いてみましょうか。男爵夫人ジェーリスは賢夫人ではあるが、関心はどうしても目の前の想定される危機よりは、娘のロマンスに注意が向くのであった。

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