第55話 戦争前夜3

 ヒマラヤ王国のラママールとの国境に近い、カザン近郊には25万の大軍が終結している。カザンはラママール王国との通商で栄え始めている街であり、カザン町長、ミラージュ・ダ・カセーラはそれを苦々しく思っている。


 彼女は、この地方の古い家柄の出であり、ラママール王国には国境が近いこともあって、しばしば訪れている。

 ラママール側の国境の町はリーララと言って、少し前までは田舎の寒村であったが、今やヒマラヤ王国との交易の中継地になって通商の街になってきている。


 ほんの4年程前までは、ラママール国と言えば、周辺諸国から馬鹿にされるほど遅れたところで、最も貧しい国の一つだった。それは、結局文明の中心たるジルコニア帝国からの距離によるものと考えられるが、ミラージュもラママール国の者を内心馬鹿にしていたのを思いだす。


 しかし、5年ほど前からラママール国は劇的に変わってきた。最初の兆候は、今まで無しに等しかった国境の管理を、ラママール側がきちんと行い始めたことだ。今にして思えば情報の漏洩を警戒してのことだったのだろう。


 それまでは、ヒマラヤ側に入る時はかなり厳しく制限されていたが、逆は行きたがる者も殆どいないこともあってほぼフリーパスであった。ラママール側にとってはヒマラヤの布や衣服、様々な小物は憧れであり、逆は殆ど全く魅力がないとされていたのだ。


 ミラージュが、ラママール国で起きていることを大体のところを掴んだのはもう3年以上前であり、その情報はいとこ関係にある領主に知らせた。その若いいとこも、ラママール王国に留学に行って国に伝え、多分国としてそのことを掴んだのもその知らせだろう。


 具体的には魔法能力の処方、安く良質の鉄の流通、肥料が切っ掛けだったろう。それを知ってからは、彼女は領主とも相談の上で、町民を計画的にラママール側に送り込んで処方を受けさせた。


 無論自分自身は真っ先に受けており、帰る際にはめぼしい鉄製品や、作られ始めた加工食品、様々な小物を持ち帰らせている。幸い、国境に隣接しているこの付近にはラママール側に親戚がいるものも多く、国境を超えるのも楽であるし、処方を受けるためのコネにも事欠かなかった。


 だから、今では彼女の街を含めてカザン領の住民3万の半分以上が処方を受けている。その意味では生産人口のほとんど全てになるだろう。

 その過程で帰ってこない者もいて、すでに3千人程は国境を越えて、移住してしまった形になっている。職に就くのはなかなか難しい中世的社会でも、経済発展が著しいラママール国ではいくらでも職があり、豊かになるチャンスがあるのだ。


 中にはその過程で様々な技能を身につけて帰ってくるものもいて、カザンとその近郊ではラママールを真似る形の小産業が徐々に起きつつあり、街の人口も徐々に増えている。


 彼女は、隣接した街の町長の立場を生かして、何度も国境を越えてラママール国に入り、キシジマの港街の繁栄を見て、さらには鉄道に乗って王都ラマラまで行ったことがある。


 その彼女からすれば、ラママール王国で今起きていることは、過去の延長線にはないことは明らかであり、ラママール王国側がその気にならないと、真似もできないレベルであることは確かであると思う。


 魔法による肥料の合成や様々なものの錬成は、教えられればできるし、実際にやっている。また、木炭を使った規模の小さな製鉄炉はすでに彼女の街の郊外で作って動かしているが、ラママールでやっているような工業的な規模ではできないし、石炭の乾留を含めてそのノウハウは入手できていない。


 増して、あの機関車とか自動車のエンジンについては、どういう仕組みになっているかわからないので、作りようがない。ラママール王国もそれほど積極的に技術情報を隠そうとはしていないが、余りに時代を超えた技術はよほど懇切丁寧に教えてもらわないと真似ができないのだ。


 しかし、そのラママール王国の恩恵は国境に隣接する彼女の街では、目に見える形で表れている。一つにはヒマラヤ王国でもとりわけ魔法の処方が進んだ結果、ほぼすべての働き手が身体強化を出来るようになり、個人の仕事の能力が上がったことが大きい。


 さらにはやはり1割ほどのものがある程度役にたつ魔法を使えるようになり、ラママールを真似て様々なものを造れるようになった。

 最大のものは通商である。近年のラママール発の馬車のゴムタイヤとベアリングによる車輪機構の開発によって、馬車による移送の速度と積める重量が倍くらいになって大いに捗るようになった。


 そして、ラママール王国には、今までになかった誰もが欲しがるような製品にあふれている。様々な鉄製品、酒類、乳製品、マットレス、ガラス具、紙、本、石鹸などヒマラヤ王国にもあったにせよ高価だったものが、平民でも買える価格で入手できるのだ。


 最初はカザン周辺の人々が個人で使うために買っていたが、目端の効くものは近隣の都市、さらには王都ヒサルまで運び利益をあげるようになった。そうなると、多くの個人商人は自分で、大手の商店は買い付け担当が、国境のレナ川を越えてラママール側に押し寄せるようになった。


 この時点では、様々な商品について国内需要を満たせるようになったラママール側も、ヒマラヤ側の商品買い付けを制限せずに、むしろその効率化に勤めた。レナ川にかかるレナ橋のたもとに大規模な交易センターを建設して、そのそばに、船着き場を建設し、キシジマ港からの250kmを船便で運べるようにしたのだ。


 そのようにして、取引を容易にして自国内の輸送コストを下げることで原価を下げて、十分な利益を乗せたうえで買い付けに来るヒマラヤ側の商人に売りつけている。王国政府はこの交易所を使う場合には10%の輸出税を取っており、ヒマラヤ側は15%を取っている。


 ちなみに、片側の輸送が空というのは効率の悪い話であり、ヒマラヤの特産である綿と綿布がラママール側に持ち込まれている。織物にしたものは、原始的な織り方をしているヒマラヤのものはラママールでは需要がなく、粗い綿布についてのみ輸送のための袋として仕入れる形になっている。


 また、王都ヒマルへの輸送は船便のほうが有利に見えるが、実際はラマーマ湾内では比較的波が穏やかだが、外海に出ると波が荒いうえに嵐も多く、さらには狂暴な海洋生物もいる。

 このため、通商に使われる100トンから200トンの木造船では、無事に着く方が稀であるという結果になる。そのため、効率が悪くても陸路が使われているのだ。


 このようにして、国境のラママール側の交易所への太い流れができると、買い付けを済ませた馬車隊はカザンに泊まるようになる。ラママール王国もヒマラヤから来た多くの商人や輸送隊を自国側に泊まらせることは制限していたので、国境から20km弱のカザンに泊まるのは必然になる。


 そうなると、カザン近郊で作られるヒマラヤ王国としては比較的進んだ様々な産物も買い付けて帰る者も多いことになるし、宿泊客も多いということで、カザンはどんどん繁栄してきている。


 そのカザン町長たるミラージュにとって、ヒマラヤ王国が音頭をとってラママール王国に侵略しようというこの戦争は迷惑極まりない。

 いとこであるカザン領の領主のキルクク・ダル・ミガサ男爵も、領内がラママールとの交易およびもたらされる物品・知識で豊かになっていることを実感しているので、彼女の意見に全面的に賛成であり、この戦争には反対の立場である。


 そうは言っても、王国貴族の端くれとして国として決まったこの戦争に加担しないわけにはいかない。だから、やむを得ず、侵略拠点になる彼の領の拠点としての利用は受け入れているし、それに領兵350と彼自身の参加もすることになっている。


 もっとも、彼自身及び領兵は案内役として働くことで、正面切っての戦闘は免除されているので、領兵には案内役に徹して、戦闘には加わらず見ているように、そして危ないとみれば逃げろと指導している。昨日、彼の屋敷を訪れたミラージュは彼と暫く話をしている。


「ミラージュ、私はこの戦争は危ないと思っている。知っての通り、私は1年間だけどラママールの王立学園に留学したからね。だからその頃の伝手もあって、ある程度彼らの軍については情報が入っている。

 確かに彼らの軍の兵の数は少ないが、あれは精鋭だぞ。大体、今回の戦争に加わらないラママールの国境付近の治安維持の兵の士気は極めて高く効率的だが、彼らは2線級、3線級で、王国軍はかれらのあこがれだ」


 ミガサ男爵の話にミラージュも応じる。

「そうね、確かにラママールの兵は締まっているわ。まず裏金は受け取らないしね。金で抱きこもうとするとえらい目に遇うわ。だから、商人には絶対にしないように言わせている」


「兵の質が高く、さらに身体強化の状態での戦闘力も高い。ラママールでは魔力の練り方、身体強化の状態の入り方、その保持の仕方、さらに最高の効率で力の引出し方が体系化されて、日々訓練されている。その日々の訓練には留学生は入れなかった。

 それでも、断片的に入って来る情報から自分なりに領兵の訓練をしたが、学園では私などはラママールの生徒に全く戦闘訓練では敵わなかったよ。

 それでも、私がその知識で訓練しているから、この領の兵は王国直轄軍より強いようだね。つまり、あの25万の連合軍は全員が身体強化できるということで威張っているが、多分ラママールの兵に比べると実力は大幅に落ちるだろう」


 男爵の言葉にミラージュは彼を見て聞く。

「兵としての実力は負けているということね。武器についてはどうなの?」


「間違いなくこれも大きく負けている。まず銃については彼らの小銃は、たぶん射程が200mほどもある。そして、その射程では普通の兵で人間程度には当てられる精度だ。さらに彼らの銃は元込め式だから射撃間隔が大幅に短い。わが軍が1発撃つ間に5発程度は撃てるだろう。

 また、彼らは我が国と同様に大砲も持っていて、その射程は我々の多分5倍以上だと思う。それ以上に問題なのは、かれらの大砲は爆裂弾のようなのだ。ジルコニアで実用化したという噂があるが、いずれにせよ我が国の大砲の玉は只の鉄の塊だ。さらにその大砲は自動車に引っ張られるから非常に早く移動できる」


「でも、キリクク、我が国は火薬の量産ができるようになったのでしょう?」

「ああ、火薬の成分で最も手に入れるのが難しく、その上沢山必要な硝石が魔法で量産できるようになった。だけど、多分ラママールは我々のような火薬は使っていないと思う。大きさの割に威力が高いし、銃を撃った時に我々のもののように煙が出ない。だから私はかれらの手榴弾が怖い」


「手榴弾?それは彼らが投げて使うという小さな爆弾?」


「ああ、拳程度の大きさで、あるピンを引くと少し時間を置いて爆発するものだそうだ。一度だけ爆発するのを見ていたが、半径5m以内のものは大きな被害を受けるだろうね。あれは、歩兵が身体強化すると100m以上を投げるから、我が国の小銃の射程を超えるし、魔法飛行兵が上空から投げられる」


「それで、中枢幹部が被害を受けてサダルカンド王国が負けたのね?」


「ああ、よほど懲りたようだね。たぶんそのせいだろう。サダルカンド王国は結局連合軍を抜けてしまった。元々彼らは積極的でなく、ジルコニアが加わらないと連合軍には参加しないと匂わせていたからな。供出する兵も2万だったから、それは我が国が埋めて総計で10万を出すことになった」


 ミガサ男爵は言葉を切って、5歳年長のいとこの顔を見て暗い顔で続ける。

「実際のところ、連合軍は負けて敗走する可能性も十分あると考えている。そうなった場合に、10万以上の敗残兵がこのカザン領を通過していくとなる。結構ひどいことになると思う。

 サダルカンド王国相手の戦いを見るに、ラママール側は軍の中枢部を集中的に攻撃して、とりわけ銃を持っていない装備の貧弱な農民兵は余り相手にしないだろう。

 だから、結構な人数の兵が生き残って、この領を通って逃げていくだろう。その時、食料がないと略奪程度は平気でするだろうな」


 ミラージュはしばらく彼の顔を見た後口を開く。

「負けるのを前提で準備をするわ。ひょっとしたら、ラママールが攻撃してくるかも知れないと言ってね。大体、人の国に攻め込んで略奪をしようなんて心がけのものは罰を受けて当然よ。それで、領の食料庫にはどの程度あるの?私が使えるようにして貰わないとね」


「うーん、まあ収穫したばかりだから、2万人で1年くらいだな。20万人だと1月だ。まあ、全部出せば、帰るまで間にあうだろう。しかし、財政情勢が改善されてきているとは言え、あれらを無償で出すのは痛いな」


「でも、街と住民の住戸が荒らされるよりはずっと得でしょう?そうなると、死者も相当出るでしょうからね。まあ、我が国の兵に渡したものについては、後で回収できるでしょうし、他国も堂々と請求できる筋合いのものよ。受け取りなどうまく受け取っておくわ」

 2人は顔を見合わせて苦笑いする。


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