第45話 ミーシャ出版業を起こす5

 ミーシャはダンカンの案内でシーザル商会を訪ねている。ダンカンは、18歳であるが日の出商会の調査部長としてシーザル商会の若奥様へと面会を取り付けている。


 王都で最も有力な商社として、名を響かせつつある日の出商会のそれなりの立場を名乗って乗り込めば、それほどおろそかにには扱われない。彼らは、応接室に案内され、お茶が出るまでもなく若い女性と男性が現れた。


 女性は、茶髪、緑の目の細めの少しきつめの小柄な美人であり、このころ王都でも流行り始めた女性の仕事着を着ている。飾り気のないスカートに動きやすそうなポケットが多い上着で色はベージュである。


 男性は中背色白でぽっちゃりしたタイプであるが、大変金がかかっているとわかる服装をしており、傲慢で少なくとも人の良さようなではなく、その上に顔をしかめて訪問者を見ている。


「お忙しいところをお邪魔して申し訳ありません。こちらはミーシャ・マス・ジュブンラン嬢、かのライ・マス・ジュブラン男爵の妹君です。ぜひ、令嬢マゼリアの冒険の作者であるアミラ・ミモザルさん、すなわちザイシャラさんにお会いしたいということで、お連れしました」


 女性はそれを聞いて、ニッコリ笑った。笑うときつめに見えた彼女の顔は柔らかく優し気に見えたが、言葉と共に手を最出す。

「ようこそ。ザイシャラです。そうペンネームはアミラ・ミモザルだわ。あの本は私も大好きで気にいっているのよ。可愛いお嬢さんね。よろしく」


 ミーシャもニコリと笑って彼女の細い手を握り、言葉を返す。

「どうぞよろしく。あれは、素晴らしい本でした。本当に楽しんで読ませて頂きましたよ。だから、作者のザイシャラさんにお会いするのが楽しみでした」


 そこに、男が横から口を挟む。彼女の夫のアリダスだろう。

「そういう話で忙しいところに来ないで欲しい。さっさと帰ってくれ!」


 険しい顔で言う彼にザイシャラが冷たい顔で言い返す。

「アリダス。彼らは私のお客さんです。そういう口を出すなら、席を外してください」

 それに加えてミーシャも言う。


「今日の話は、なにも本の内容で話し合うだけではありません。多分、ザイシャラさんには利益のある話だと思います。でも、アリダスさんはおいやでしょうから席を外してください」

 客の立場で随分な言いようだが、彼女の構想ではアリダスは邪魔にしかならない。


 その言葉を受けてアリダスは顔を真っ赤にして叫ぶ。

「何という無礼な!子供の分際で何ということを言うのだ!」


 そこに、ダンカンが目を怒らせて口を出す。

「失礼だが、ジュブラン家はわが商会のもっとも重要なお客様でもあり、商売上のパトロンでもあります。

 ご存知だと思うが、ジュブラン家のライ様は年若くとも近年王国に対して最大の貢献をされていますから、王国政府にも大きな発言力をお持ちです。その妹君のお嬢様への無礼な言動は、わが商会並びにジュブンラン家を敵にすると思って下さい。そのお覚悟での今の言葉ですね?」


「う、うう。失礼しました。わかりました。私は席を外しましょう」

 アリダスは怯んでそう言うが、妻を腹立ちまぎれに怒鳴りつける。


「今日は忙しいのだ。こんなところで時間をつぶしている暇はないぞ」

 そう言ってドアを開けて去って行くが、ザイシャラは「フン」と言いたげに無視する。


「さて、これをご覧ください」

 ミーシャは収納から本を3冊取り出して、ザイシャラに向けて並べる。ザイシャラは、暫くその並べられた表紙を見ていたが、すぐさま第1巻を取り上げて、その表紙の絵を夢中で見てため息をつく。


「綺麗!これは私の令嬢マゼリアの冒険よね」

 そう言いながら、ページを繰って目次と中身に目を通していく。しばし、第1巻をそうやってページを繰った後、次は第2巻、さらに第3巻をとりわけ表紙の絵を熱心に見る。


 やがて、第3巻を持ったまま、目を上げてミーシャを見て話しかける。

「ミーシャさん、これを?」


「ええ、出版したいのです。なにより私自身がこの本を気にいっています。これは間違いなく売れます。作者のザイシャラさんには売れた本の値段の1割をお支払いします。私どもは、その本の仕上げ、印刷、販売を行います。

 加えて、ザイシャラんさんには今後も本を書いていただくという条件で、いわゆる契約金を払う用意があります」


 ミーシャの言葉に、ザイシャラは必死で気持ちを押さえ、努めて冷静に返す。

「どのくらいの部数の販売を考えておられるか、また値段はどのくらいで売るのか、またさっき言われた契約金というのはどのくらいか教えて頂けますか?」


「この本は、1冊10ダランで売るつもりです。我が国の人口は約500万人ですが、今のところ本を読む習慣のあるものは、まあ10万人でしょう。この半数は記念すべき最初の印刷した本として、買うと見込んでいますから、5万部×3で15万部を見込んでいます。

 しかし、もちろんその数げ売れるには1年くらいはかかるでしょうが。だから、この本の“印税”と言う名で呼んでいますが、その目論見通りいけば、15万ダランの印税をお支払いできます」


 その話は聞いて、ザイシャラは見るからに失望しているように見えるが、ミーシャの話はまだ続いている。

「契約金ですが、10万ダランをお支払いします。しかし、作家ザイシャラさんの才能に対して150万ダランまでだったら、わが社、ジュブラン物産株式会社から年利1%で融資します」


 そこまで聞いて、ザイシャラはパッと目を輝かせてせき込んで言う。

「ほ、本当に!100万ダランを貸してくれるのね!」


「ええ、私どもはマスラン男爵家がシーダル商会に100万ダランの借金をしているのは、存じています。ですからその金額についてはご用意できます」

 ミーシャの答えにザイシャラは俄然積極的になる。


「それは、有難いわ。借金というけど、実際は自分たちの損失を押し付けてきたのよ。でも父上が、結局借用書にサインをしてしまったから……。でも、100万ダランがあれば、叩き返してあのスケベ男と縁切りできる」


「なるほど、お金を返して別れられるおつもりですか?」

「ええ、100万ダランのいわゆる借金の帳消しが、私のさっきのアリダスとの結婚の条件なのよ。私は、商会の事務をやっていて、私の父を嵌めた手口を探り出したわ。だけど。ちょっとそれだけでは弱かったけれど、お金を払えば文句は言わせない」


「なるほど、ではいずれにせよ、令嬢マゼリアは出版させて頂き、本を書いて私どもに出版させてくれるわけですね?」


「ええ、令嬢マゼリアについてはすこし直したいところがあるから、この本は私に下さい。また、実は令嬢マゼリアについては続編をこの本で、そうね2冊分くらい書いています。さらに、すでに密かに書いているシリーズがあるのよ」


「ええ、続編!新しい本もあるのですか」

 ミーシャは、喜んで手を握り合わせて跳びあがった。そして、顔を赤らめ「こほん」と空せきをして座り直す。


「失礼。もちろんその本は、あなたに校正してもらおうということで持ってきました。でも、他にも書いているものがあるとは、私どもにとっては望外の喜びです」


「実は、私はあなたの兄さんのライ男爵が始めた印刷術のことを聞いて、私の小説は売れると思っていたのよ。知っての通り、学園では随分人気だったわ。その頃はお金にも困っていなかったから、別に生徒たちまたその父兄が写本をするのは無料で構わなかったけれど、今からはそうもいかないわ。

 さっき言われた、一部10ダランの値段は私もいいところだと思うわ。いま、この国の人々はどんどん本を読める人が増えて、さらに豊かになっていっているわ。だから、そのくらいの値段であれば、きっと読者がどんどん増えると思うのよ。私の本があなたの言うように数万人の人に読まれると思うと胸が熱くなるわ」


「そう、私はあなたの物語を始めとして本を読むのは大好きです。この世界に本を読むことの楽しさを広げたいので、私はこの出版業を始めたのです。兄のライは、国民の教養を底上げる有力な手段と言っていますが」


 ミーシャが熱を込めて言うと、ザイシャラも大きく頷き、目の前の本を取りあげて言う。

「ええ、その上に私は本を書くことで家に従属することもなく自立できるのよ。この程度の本だったら、1年間に10冊くらいは書けるわ。そうすれば、その先ほど言われた印税で十分生活していけるでしょう?」


「もちろん、この本の印税だけではありません。一つ考えているのは、この表紙を描いたそのような才能のある子にあなたの本の絵物語を作らせているのです。無論その物語の作者であるあなたの権利は守られ、その権利は絵を描いたものと半々で持ちます。

 だから、その絵本、“漫画”と呼ぼうと思っていますが、それが売れるとその印税も入るのです。さらに、この令嬢マゼリアの絵ですが、この絵を付けた服や様々な小物は売れると思いませんか?」


「ええ、令嬢マゼリア冒険が売れて人気になれば売れるでしょうね。そうすると?」

「いろんな商品に、その絵を付ける権利料があなたにも入るのです。こうした権利を守る仕組みを今国が作ろうとしていますので、勝手にそうした絵は使うことはできなくなります」

 ミーシャの話を聞くうちにザイシャラは興奮して顔を赤らめ、目を輝かして言う。


「うーん、実際に本を出す日が待ちきれないわ。一日でも早くこのうっとうしい家を出たい!」

 それに対して、ミーシャが応じる。


「お金は、今この場でもお渡しできますよ。私は収納持ちですので、百万ダランは持っています」

 ミーシャはそれを聞いて「え!今持っている?」呟き考え込み、やがて話始める。


「私は本当のことを言えば、今日ここで離婚を切しだして、話を決めてしまいたい。でも、持ち出したいものもあるし、そうはいかないかな」


 それに対して、ダンカンが口を出す。

「たしかに、話を切り出してそのまま、ここにいる訳にいかないでしょう。なにより個々の商会がどういう手にでいるか危ないです。しかし、何でしたら、わが商会の元気な者達を護衛に寄こしますよ。20人ほどね」


 日の出商会は平均年齢17歳、メンバーは身体強化は無論できて、鍛え上げられている者も多い。実際にその日、ザイシャラは夫と義父に100万ダランを返すということで見せて、離婚とシーザル商会との縁切りを勝ち取った。


 そして、日の出商会から派遣された“元気のよい若者”に自分で持ち出したいものを運びだして、シーザル商会の3階の居室から永遠の別れを告げた。

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