第41話 ミーシャ出版業を起こす

 ミーシャが、本を広げて読みながら鉛筆をもって、気が付いたところを校閲するのに集中していると、ふっと人の気配に気が付いた。

 首を通路側に向けて気配を追って目を上げると、そばにあの派手な服の女の子が立って、ミーシャが読んでいる本を覗き込んでいる。向かいに座っている遊撃隊のジャラムもその子を見て呆れた顔をしているようだ。


 ミーシャの視線に気が付くと、その子ミモザは少し頬を赤らめて言う。

「そ、その本はなによ。それは教科書ではないようね?」

「ええ、これは今度売りだろうと思っている小説よ。『令嬢マゼリアの冒険』という題名。知らないかな?王都では有名だったそうよ」


 ミーシャの答えにミモザは激しく食いつく。

「ええ!“令嬢マゼリアの冒険”!知っているわ。私大好き。でも私が読んだのは手書きの写本だったわ」


「そう、あなたもこの本を知っているの、なかなか有名なのね。ええ、そうよ。それをこのように活版にして印刷する予定なのよ。本人の了解を貰おうと思ってこのように見本を作ったのよ」


 ミーシャが見本刷りの3冊の本を、マジックバックから取り出して見せる。それはA5版のサイズの250ページ程度の本3分冊であり、それぞれ表紙には色刷りの、少女がいかにも冒険をしているような絵がついている。


 その色はあまり鮮やかなものではないが、この世界においては、一枚ずつ書けば別だが色刷りの印刷などはまだ誕生したばかりである。教科書もまだ色刷りにはなっていない。


 ミモザはミーシャが持っているそれに見入って、おもむろに頼み込む。

「ねえ。ちょ、ちょっと、見せて頂けないかしら」


「うーん。ええ、まだ使っているからすこしだけね」

 ミーシャが1巻目を手渡すと、ミモザは表紙の絵に夢中で見入り、次いでページを捲る。


「表紙がとても綺麗ね。あらすじが最初にあるのはいいわね。それに、この字は読み易いわ。ああ、これだわ。これが令嬢マゼリアの冒険………」

 ぶつぶつ、つぶやいた後に言い始める。余りの熱心さに、ジャラムが向かいの席を代わってしまっている。


「ねえ、これを欲しい。売ってちょうだい。お願い」

「駄目よ。これは見本なんだから、10部しか作っていないのよ。ううん、でも王都までには、あと3時間以上あるわね。その間に読めるだけ読みなさい。ところで、これは多分2カ月後には売り出せるけれど、1冊いくらだったら買う?」


 持っているバックから時計を取り出して時間を確認するミーシャの言葉に、ミモザは本から顔を目を離して言う。

「ええ!売れないの?でも仕方がないわね。ええと、1冊いくら?

3冊で『令嬢マゼリアの冒険』が全部読めるのね。私はまだ写本を3冊しか読んでないの。いくらだったら買う? そうねえ。私だったら金貨1枚でも惜しくはないわ。でも、実際に売るとなると大銀貨1枚100ダイン(1万円程度)くらいかな」


 彼女の返事にミーシャが言う。

「今のところ、小銀貨1枚(10ダイン)程度を考えているわ。あなたのような金持ちでもない人も買えるようにしたいの」


「そんな!本を読むというのは、私達のような上流階級の娯楽よ。平民が読むものではないわ。それには反対よ。それに、そんなに下げたら儲けられないでしょう?」


「今は、全ての人々が教育を受けていて、半分以上の人は字が読み書き出来るはずです。令嬢マゼリアの冒険は大人気だけど写本はせいぜい200〜300冊よ。全10巻で300冊として1冊100ダインとしても、総収入は30万ダインよ。

 私はこのように3分冊で出版して、1部10ダインとしてこの本だったら10万部は売れると思うわ。その場合の総収入は3百万ダインよ。どっちが儲かるというより、それだけ物が動いて売れれば、人々の収入が増えるのよ。それで、世の中全体が豊かになるのよ」

 ミモザの反論にミーシャは冷静に言う。


「人々の収入?何を言っているのよ」

 ミモザがむくれて言うのに、ミーシャは笑って返す。

「ごめん、すこし難しかったかな」

 その言葉にミモザはムキになって言い返す。


「あなただって、私と同じくらいの歳でしょうが。私は勉強が良くできると先生から褒められているのよ。その私に……」


「ごめん、ごめん。でもいずれにせよ。この程度の作りとページで1部の値段は多分10ダインよ。また、本はこの令嬢マゼリアの冒険だけではなく、多分30冊くらいは1年以内に出版する予定。

 どうぞ出版したら買ってください。またお友達にも薦めてくださいね。どうぞ、あちらの椅子に戻って、着くまでそれを読んでください」


 ミーシャは話を終わらせて、ミモザを元の席に戻らせる。ミモザは少し不満そうではあったが手に持った本を見て、いそいそと自分の席に戻って夢中でそれを読み始めた。


 ミーシャは、同じ程度の歳のおそらく典型的な貴族の令嬢であるミモザが、自分が夢中になった本に同じように夢中になっていた事実に少し驚いたが、この本を出版することで成功することには確信できた。


値段については、10ダインは少し前だったら、普通の家庭の一日の食費程度で到底買える金額ではなかったが、今だったら子供の小遣いでは無理としても、主婦だったら十分買えるだろう。


 確かにミモザの言うように、上流階級と富裕層のみをターゲットとする方法はより容易に利益は得られるだろう。しかし、ライの言うように出版事業は文化事業であり、教科書を作るのと変わらない重要な役割を担っている。


 字を読めるようになるこということは、生活と仕事に役にたつのみでなく、娯楽本を読むという楽しみももたらすと人々に伝えたいと思うのだ。そのことで、字を読み書きすることの必要性に目覚める人も居るだろうし、とりわけ成人の夜間教室の勉強が進むことは大いに考えられる。


 しかし、ミーシャにとってのなによりの楽しみは、この出版によって読者が増えるだろうが、それ以上に作者が増えることである。あの令嬢マゼリアの冒険を書いたアミラ・ミモザルは、その後全くそうした物語を発表していない。


 多分、アミラはこの本を書くことによる収入を得ていないだろう。しかし、こうした出版事業を始めることで、彼女が今後も同程度の質の物語を紡ぎだせるのなら、その収入は小さいものではない。


 何よりも、ミーシャも、さらに夢中になって手渡した本を読んでいるミモザも、また彼女の新しい小説が読めるのだ。明日、アミラに会うことになっているミーシャは、身震いするような気持になっている。


 夕刻、まだ日が高いうちに列車は王都中央駅に滑り込んだ。その前に、ミーシャは2冊目を半分読んでいたミモザに声をかける。

「ミモザさん。駅に着きましたよ。では気の毒ですが、それを返して頂きましょうか」


「え、ええ。ねえ、お願い!その2巻目と3巻目を2日、2日貸してちょうだい。必ず返すから!お願い」

 ミモザは本を胸に抱いて、ミーシャに一生懸命頭を下げる。この世界でも、人にものを頼むときは頭を下げるのだ。


 ミーシャもそれを見て無視はできない思いだ。幸い彼女は見本として10部をマジックバックに仕舞ってあるので、貸すことは問題ない。それに、彼女も本好きの一人として彼女の思いが良く解かるし、何よりあれだけ傲慢な彼女がこうして同じ年頃のものに頭を下げて頼むとなると断り切れない。


「わかったわ。じゃあ、2日後の夕刻までに、ジュブラン伯爵家の王都屋敷にミーシャ宛に届けさせてください。さっき言ったように出来るだけ早く出版するつもりだけど、このような本を出版する時は、新聞に載せますから新聞に注意してね。

 多分2ヶ月後にはこの本は少なくとも出版できるでしょうし、さらに同じ時期に5冊程度は予定しています」

 ミーシャの言葉に、ミモザはパッと目を輝かす。


「ありがとう、2日後には必ず返します。それに、新聞は私の領の家でも取っているから必ず目を通すわ」

 ミモザが言う言葉に横のお付きの女性も頷いている。


 このようにして、すっかり友好的になった2組の主従は、列車を降り改札を抜ける。そこには13歳になったライが待っている。彼の今の身長は170cmで、細身の引き締まった体に良く日焼けした肌だが、その年頃の少年らしく表面にはふっくらした肉がついている。

 しかし、短く刈り上げた黒髪で細面の濃い目の眉に下には、歳に似合わない英知に輝く目が光っている。しかし、その顔は久しぶりに見る妹の姿に笑み崩れている。


「ライ兄さま!」

 ミーシャが駆け寄って両手を広げて兄に飛び掛かる。ライは飛び掛かって手をまわしてくる身長150cmで体重は45kgの体を軽々と受け止め、ぐるりぐるりと2回転して下す。


「相変わらずお転婆だな。見ろよ、皆驚いているぞ」

「いいのよ。私は田舎者のお転婆なのよ」

 彼女は周りを見渡して、何人かが彼らを見ているのを見返して、ニコリとして舌をぺろりと出す。そして、同じように執事らしき人に迎えられているミモザに手を振って言う。


「じゃあね。ミモザ、また会えるといいわね」

 ミモザが少しひきつった顔で手を小さく振るのを見ながら兄に言う。

「兄さん、最初に日の出荘に行きたいわ。今日は何で来たの?」


「うん、そう言うと思ったよ。今日は車で来ている。俺が運転しているから、皆乗れるよ」

 ライは停めている車に案内して運転席について皆が乗り込むのを待つ。ミーシャは当然のように兄の横に座るので、後部に3人が乗る。


ミーシャの家庭教師でこの中で最高齢の31歳であるラミーラがライに向かって言う。

「ライ様は男爵家の御当主なのに、自分で運転なさるのですね」


「うん、そうさ。車の運転は結構楽しいんだよ。ミーシャだけだったら、飛行魔法で飛んでいくんだけど。ハリソンにそれだけは止めてくれと言われてね」

 ライが答えるが、ハリソンはジュブラン家の王都屋敷の執事だ。


 王都でも30台足らずという乗用車に乗って去っていくミーシャを見送りながら、ミモザは横にいるお付きのライサに話しかける。


「ミーシャは伯爵家の令嬢なのに、あの服装であの振る舞い。まったく呆れるけど、半分は羨ましいわ。でも、あれがライ・マス・ジュブンラン、このラママール王国のみならず近隣諸国を全く変えている、10歳で男爵になったという伝説の人。それに我が家にももうすぐ入るというあれが乗用車ね。男爵自ら運転するとは!」


「ええ、ジュブンラン家の人々は少、大いに他の貴族家とは違うようですね」

 ライサがため息をつきながら応じるが、ミモザは続けて言う。


「でも、あの乗用車だけど、1年もすれば1万台以上が売られるらしいわね。そうすれば、私も買ってもらいたいわ。馬車程は揺れないらしいし、あれに乗って旅をしてみたい!」

 ミモザは去って行くライたちの乗用車を見送りながら、自分が乗るのを待っている馬車を横目で見る。



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