第二話 入学式(前編)

 ソラリア王国の継承式から六日後、カイは帝国へ向かう馬車の中にいた。


 継承式が幕を閉じた後、中央帝国エデンにある<帝立アカデミー>――継承者の学校の入学式の準備が始まった。

 各王国の継承者たちは、エデンへ一年の留学に行き、アカデミーで皇帝になるための勉強をする決まりとなっていた。入学式は継承式の一週間後となっていたため、急いで準備が進められた。


 両親と兄のライト、使用人たちは、カイが継承者として選ばれたことをとても喜んでくれた。

 一方、選ばれなかった兄のシェイドは、カイにただ一言だけ、


「継承者としてふさわしくあれ」


と告げ、以来会話を交わすことはなかった。

 カイは兄と話したいことが多々あったが、言われたからには期待に応えなければ、と意気込んでいた。


「もう少しでエデンに着きますよー!」


 御者に声を掛けられたカイは、馬車の周辺に何か見えないか、窓から顔を出し、周りを見渡してみた。

 馬車は森の中を走っていたため、周りは草木ばかりだったが、前方の道のずっと先に、大きな城が見えた。

 ソラリア王国の城よりもずっと大きいその城は、壁は見ていて眩しいほどの白で埋め尽くされ、青い屋根には黄金の縁が施されていた。バルコニーの手すりなど、城のいたるところに星の形のオブジェが飾られており、城全体から、荘厳かつ清廉なオーラが溢れていた。

 この城こそが、アストラル大陸の中心地であり、シンボルである<エデン城>だった。


(あんな大きな城に、これから一年住むことになるのか……! 中に教室とかも入ってるんだっけ。お城兼学校ってすごいな……なんだかワクワクしてきた!)


 カイは、継承者としての学園生活への期待に胸を膨らませていた。

 そうしているうちに、馬車は帝国の入り口につながる橋を渡り、城下町に到着した。


 中央帝国エデンは、豊かな国だった。

 空気は澄み、カフェや食品店、美術館など様々な分野に富んだ施設や商店が並んだ城下町は、どこも人混みだらけだった。

 城下町を出た所にある橋の先には、先ほど馬車からも見えた白亜の城が佇んでいた。

 エデンを初めて訪れたカイは、とても興奮していた。馬車から降りた途端に、町に向かって走り出しそうになったが、御者を置いていくわけにも行かず、どうにか踏みとどまった。

 そんな時、御者に声をかけられた。


「それではカイ様、私はこれから明日の入学式の手続きのため城に行きます。しばらく時間がかかりますので、その間町を楽しんできてはいかがでしょう?」

「え、いいの? 継承者一人だけだと危ないんじゃ……」


 継承者は未来の皇帝候補だ。そんな世界的大物が、一人でいるのは危険では? とカイは考えた。

 御者は自信ありげに答えた。


「この町は城の下にある、つまりは皇帝のお膝元です。入学式前で警備も万全ですし、何かあれば衛兵がすぐ飛んできますから大丈夫ですよ!」


 町の方を見ると、城の衛兵と思われる、白い軍服を着た人が何人か歩いていた。


「なるほど〜……。なら大丈夫か!」


 謎の説得力を感じ、カイは納得した。ある意味で楽観的とも言えた。


「では、行って参ります!」


 御者は張り切った様子で、城へと向かった。

 カイは御者を見送り、その後ろ姿が見えなくなると、さっそく城下町の散策を始めた。


 町は賑わい、国民以外にも、各国の商人や貴族と思われる人々も歩いていた。

 しばらく歩いていると、広場に出た。広場の中央にある大きな噴水には、縁に腰掛けている人が多くいた。

 カイは、その中の一人に目を奪われた。

 青みがかった黒い髪に、端正な顔立ちをしたその青年は、眼鏡をかけていた。レンズの奥で、青い瞳が宝石のように輝き、全体的に真面目そうな雰囲気を纏っていた。

 青年は微動だにせず、ただ座っていた。たまたま隣が空いていたので、カイはそこに座り、声をかけてみた。


「あの~……」


 声をかけられた青年は、カイの方を振り返った。

 改めて顔を見ると、本当に端正な顔立ちをしていた。真っ直ぐ通った鼻筋に、切長い目。宝石のような青い瞳は先ほどより強く輝き、人間というよりは人形のような印象を抱いた。


「何か」

「ここに来るのは初めてですか?」

「初めてだ」


 青年は淡々と答えた。


「俺もです! どこかお店に入りました? 何か買えました?」

「特にない」


 やはり青年は感情のない、淡々とした答えを返した。


「そ、そうですか……」


 長い沈黙。カイは気まずくなり、何を話せば良いのかわからなくなってしまった。

 ちょうどその時、何かを見つけたのか、青年は立ち上がり、どこかへ行ってしまった。カイは追いかけようとしたが、青年の姿は既に人混みに紛れて消えていた。

 彼とはまたどこかで会いそうな気がしたので、カイはあまり残念には思わなかった。


 次は、噴水から少し歩いた所にある書店に入ってみた。

 二階建ての大きな店で、一階には難しそうな本がずらりと並んでおり、手に取るのを少し躊躇してしまった。

 ふと、隅にある読書用スペースの机を見ると、1人の女性が本を読んでいた。彼女は本の内容に引き込まれているのか、じっくりと読んでいた。

 カイの視線に気付いたのか、女性が顔を上げた。

 ウェーブがかった淡い金髪に、薄い水色の瞳。睫毛も長く、先ほどの青年に負けず劣らず、美しい顔立ちをしたその女性は、氷のように涼やかな印象を与えた。

 女性は彼に柔らかく微笑んだ後、読んでいた本を閉じて席を立ち、離れた本棚に移動した。


(邪魔しちゃったかな……)


なんだか申し訳なさを感じて、カイは書店を出た。


 次に向かったのは、菓子屋だった。

 店内の棚やショーケースには、さまざまな国の菓子が並べられていた。故郷ではあまり見かけないものも多く、カイのテンションは上がった。


「うわぁ、おいしそうです……!」


 隣で小柄な少年がショーケースの中を覗き込みながら、感嘆の声を上げていた。

 目を輝かせながら、色とりどりの菓子を眺める少年を見て、カイは話しかけたくなった。


「だよな! 俺の故郷にはないお菓子も色々売ってて、見ごたえあるっていうか!」


 声をかけられたことに気づいて、少年はカイの方を見た。

 大木を思わせるような深い茶色の髪に、鮮やかな若草色の瞳を持つその少年は、落ち着きと爽やかさが共存した、不思議な雰囲気を持っていた。

 少年は話しかけられて嬉しくなり、話を続けた。


「分かります! このように他国の文化にも触れることができるのは、大陸の中心ならではの強みだと思います! 私の国でも……」


 その時だった。


「ハヤテー、どこだー」


 店の外で、黒い服を着た人が誰かを探していた。それに気づいた少年は、慌ててカイに頭を下げた。


「従者が探していますので、私はこれで失礼します。またお会い出来たらうれしいです!」

「俺も!」


 少年は早足で店を出た。カイは少年を見送りながら、内心ほっとしていた。


(従者ってことは、どこかの国の貴族とか? にしても、話しやすい子で良かった~)


 これまで会った人達とはなかなか会話が進まなかったため、こうして友人のように話せる人がいてカイは安心していた。


「俺も何か買おうかな~……」


 カイはショーケースに視線を戻した。そして、小腹が空いた時に食べるための菓子を数個買って店を出た。


 次はどの店に行こうか、カイは歩きながら考えていた。

 ふと、町の外れに視線を向けると、森があった。

 御者に言われたこともあり、町から出ない方がいいとカイは理解していたが、無意識に引かれるものがあったのか、気づくと森の方に向かっていた。

 森の中は、あまり人がいなかった。その分、町よりも空気が澄み、とても静かだった。


(空気がおいしい……。静かなのはちょっと寂しいけど、なんか落ち着く……)


 木々の間から差す木漏れ日を浴びると、カイは瞼が重くなるのを感じた。


(今日起きたの、夜明け前だったからな〜。半日以上馬車の中はきつかったな……。もっときついのは、運転する人の方だけど……)


 ソラリアからエデンまで、休憩を挟みながらも馬車をずっと運転していた御者のことを心配しながらも、カイの意識は限界に達していた。


(ちょっと寝よう……)


 カイは地面に横になり、そのまま意識は深い眠りへと落ちていった。



 鳥の鳴き声が森中に響いた。

 目を覚ましたカイが上を見上げると、空の色がオレンジから紫に徐々に変化していき、木漏れ日の色もオレンジに変わっていた。

 カイは、夕方になっていることに気が付いた。


(もう夕方!? やばい、早く町に戻らないと……!)


 急いで御者と合流しなければと立ち上がり、走り出した瞬間に、何かに躓き、転んだ。

 顔を地面に強く打ってしまい、あまりの激痛に耐えながらも、自分が一体何につまづいたのか確認した。


 カイの足が引っかかったのは、人の足だった。

 足から上に視線を辿ると、そこには、頭の後ろで腕を組み、眠る少女がいた。

 少女は、すぐ近くでカイが転んだにも関わらず、目を覚ますことなく静かに寝息を立てていた。


(……がっつり寝てるな……)


 少女の顔は木陰に隠れてよく見えなかったため、カイは気になって顔を近づけた。

 その時、少女の瞼がパッと開き、深紅の瞳と、カイの空色の瞳が合った。

 少女は驚いて勢いよく起き上がり、カイは驚いて尻餅をついた。


「あっ! ええと、起こしちゃってすみませ……」


 カイは彼女の睡眠の邪魔をしたことを謝ろうとしたが、夕陽に照らされた少女の姿を見た瞬間、謝罪の言葉を紡ごうとした口が止まった。


 透き通るような白い肌、夕日のような――あるいは血のような深紅色の瞳には、獣のような鋭い孔が浮かんでいた。それは、少女が人間とは異なる存在であることを意味していた。

 紫みがかった黒髪は、夕闇から宵闇へと移り変わっていく空を連想させ、夕日を思わせる瞳が、それを強くしていた。

 カイは思わず、少女に見惚れてしまっていた。美しい顔立ちをしていたのもあるが、特に強く惹かれたのが瞳だった。

 美しいだけでなく、力強さを感じさせるその瞳に、胸を射抜かれたような感覚を覚え、時間も止まったように感じていた。

 少女の眉間に皺が寄り、そこでカイは彼女の顔をずっと見ていたことに気づいた。カイは恥ずかしさから、顔が熱くなるのを感じた。


「あ、ええと、す、す、すみま」

 

 改めて謝罪しようとしたがうまくできず、吃り始めた。


「いつまで見てんだよ。邪魔だどけ、パプリカ頭」


 少女は舌打ちしながら立ち上がり、そのまま歩き出し、カイの横を通り過ぎていった。

 一方のカイは、尻餅をついたまま少女の言葉の意味を考えていた。


「パプリカ頭……?」


 パプリカは黄色やオレンジ、赤い色をした野菜のことだというのは知っていた。その色の頭ということは――カイはハッとし、同時に腹の底から沸々と怒りがわいてきた。

 その言葉の発言者をすぐに追いかけ、肩を掴み自分の方に向き合わせ、文句を言った。


「謝ろうとしたのになんでパプリカなんだよ! パプリカに謝れ!!」


 いきなり肩を掴まれた上に、訳の分からない文句を浴びせられた少女は苛つきながらも、カイの質問に答えた。


「目の前にそれっぽい色の頭をしたやつがいたらそう思うだろ。そもそもお前が人の顔じっと見てたからムカついただけだ」


 カイは先ほどのことを思い出し、怒りが恥じらいに上塗りされ、顔がまた熱くなるのを感じた。


「あれはその、綺麗だったからつい……」


 再び吃り始めたカイに対する少女の苛立ちはさらに大きくなり、彼を強く睨みつけた。


「あァ?」


 その威圧感に、カイはあっけなく負けるのだった。


「スミマセン」


 話は終わったと判断した少女は、またも舌打ちをすると、くるりと向きを変えて早足で歩き出した。


(な、なんだあいつー!!)


 残されたカイの怒りは止まることを知らなかった。


(めっちゃガラ悪いし、口悪いし、人の頭を野菜扱いするし、何なんだマジで!! ……でも)


 少女に対して思うところは多々あれど、その顔を初めて見たときの衝撃を忘れることは出来なかった。

 

(夕焼けみたいで、本当に綺麗だったな……)


 彼女のことを回想しながらも、カイは急いで森の出口を探した。

 一時間後、無事に森を出られたが、合流した御者にこっぴどく怒られたのは言うまでもない。

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