第9話 漆黒の聖者、発見
「黒教皇を見つけた。」
工藤の言葉に、目の前の男女が驚いた顔をする。勇者は途端、嬉しそうな表情に変わった。
「やるな、ザナディス。ウィーグ様も
コーヒーの華やかな香りが漂った。魔王の車に3人で乗って作戦会議中である。工藤の乗用車は、イグニスに何か仕掛けが施されている可能性を考えて駐車場に置いたままだ。後で”子羊”に調べさせるらしい。ひとまず森林公園を出て近隣のサービスエリアの駐車場でコーヒーを飲みながら情報交換をしている。
ちなみに、昨夜怪我した一色の腕と瑠実の手の傷も魔王の固有魔法『天使の慈悲』で治療済みである。実に便利で助かる能力だ。包帯をシュルシュル解きながら、瑠実はそう思った。
(”イグニス”が
「『東条こどもクリニック』とかいう医院を自宅で開業してるぞ。小児科医とは……フン。実に奴らしい。小憎らしいガキどものお守りに慣れていそうだ。託児所も兼業すればいいものを。」
「うわぁ、大人げない。ジェラシー全開だ~。黒教皇が人徳者で国中のみんなから慕われてたからって。」
「ジェラシー?この私が?笑わせる。あんな年寄りと比べるべくもない。私は常に、孤高にして至高の存在だ。」
「はいはい。友達いないくせに、あなた。」
(殺さなかった?)
瑠実は、言い合う工藤と一色を無言で眺めた。聖騎士イグニスはルビィにとって兄に等しい存在で、共に黒教皇ウィーグに育てられた。
白教会の信徒と司祭で固められた隠れ里で育った彼女は、赤ん坊の時に”勇者”であることを見抜いた教区司祭の注進により実の両親から取り上げられた。
白教皇の監視下、偽親の下で養われていた。無論、洗脳教育も受けていたらしい。ただ、大人の目を盗んで少年ユトと会う内に洗脳が解け、ザナディスの指示や考え方に懐疑的になり反論するようになった。
凶暴な魔物が隠れ里の集落を襲い、ルビィ以外の全員がユトの指示で殺されたあの日。後で知らされた。
白教皇は扱いづらい”勇者”の『処分』を隠れ里の司祭に指示していた、らしい。
(まあ。前世のザナディスならそうだろうな。だからって、ブチきれて集落の村人全員殺す必要なかったぞ、ユト。)
少年魔王の指示で隠れ里が壊滅し、生き残った少女は黒教会の庇護下に入る流れになった。黒教皇が無理をして奪うように引き取ったとも聞いている。それから、イグニスとはずっと一緒だ。魔法をウィーグに教わる時も、黒教会の騎士達に剣術指南を受ける時も、成長後もずっと。
だから”聖騎士”の称号を戴くほど力をつけた彼の実力は、自分が一番知っている。イグニスはウィーグを護衛する必要上、対暗殺者用の特殊戦闘訓練を修めた手練れだ。その気になれば、本人が暗殺業務も遂行できる。
(あいつに”失敗”はあり得ない。わざと見逃したんだ。……殺すのは本意ではないのか?誰の命令でザナディスを襲った?可能性として最も高いのは)
疑いたくない。温和な人徳者である”黒教皇”の面影が脳裏をよぎった。瑠実は、唇を強く噛んだ。
「イグニスに命令できるのはウィーグ様だけだ。ご本人に直接、確認する。工藤は危険だから悠と帰れ。私1人で行く。」
痛いほどの沈黙が車内に落ちた。男2人が同時に反論する。
「私は1人で問題ない。魔王は勇者と行け。この小娘は頭に血が上ると、黒教皇をリンチしかねんぞ。」
「イヤ!死んでもイヤ。なにカッコつけてんの?何かあったらどうすんの?!
離れてる間にまた何かあって永遠に会えなくなったら――!」
元勇者の彼女が凛とした声でビシッと言った。元恋人の目を正面から見る。
「聞け。……命を狙われた以上、工藤を1人にはできない。そして”子羊”では間違いなく聖騎士に太刀打ちできない。次は多分、見逃してくれない。確実にザナディスを殺しに来る。
よって、戦闘力、固有魔法で撃退できる私かお前のどちらかがイグニスの次の来襲に備えて工藤の身辺警護をする必要がある。社会人だから仕事中は無理だが、それ以外の時間は問題解決までお前がこいつに張りつけ。いいな?
工藤はそこそこ有名人だ。女の私が行動を共にすると妙な勘繰りをされる。『熱愛発覚?!』とかな。それは嫌だろう?……今夜から工藤の部屋に転がり込め。知り合いが訪ねてきても部屋に入れるな。全て疑え。
イグニスは闇社会の半端な始末屋じゃ歯が立たないくらい、手強いぞ。いっそ誰も知らない隠れ家とかにしばらく身を潜められればいいんだが。
その間に、早急に私はウィーグ様と話をつける。いいな?」
車の運転席に座る元魔王の青年がグッと押し黙った。文句は山ほどある。が、代替案がなければ彼女は話を聞かない。思案の表情になった。元教皇の青年が厳しい目で瑠実を見た。
「……会いに行った貴様に、黒教皇が危害を加えない保証は?なかろう。よせ。ひとまず聖騎士について配下に探らせる。
黒幕が黒教皇とも決まっていない。聖騎士を背後で操っているのは別人の場合もあり得る。不確定要素が多い。身辺警護なら専門家にツテが……」
助手席から瑠実は後部座席を振り向き、工藤に答えを返した。
「イグニスをなめるな。死ぬぞ。さっき実際に殺されかけたばかりだろうが。悠じゃないとダメだ。悠がいない時間は、仕方ないから専門家を傍に置け。
イグニスがおとなしく従うのは忠誠を誓ったウィーグ様お一人。私の言うことも多分聞かない。背後にどんな黒幕がいようと、ウィーグ様が『やめろ』と言えば必ず奴を止められる。
黒教皇猊下にしか、説得できないんだ。ウィーグ様が敵か味方か。私の話を聞いて下さるか……そこは賭けだが勝負をかける。」
一色がそっと瑠実の髪に触れてくる。何かを思いついたように言った。
「うちの大学にいるあの”女司祭”は?彼女の言葉なら、聖騎士聞くんじゃない?鬱陶しいくらいベタ惚れだったしー。」
「えっ?”楓音”?あ、そういえばあの2人って……じれった~い両片思いだっけ?見てるこっちがウズウズするんだよね。聖職者同士だからどっちも『婚姻禁止』とかなんとか一晩中カノンの愚痴聞いた記憶がある。仲は確かにすっごい良かった。」
(”カノン”?盲点だったな。イグニスの”弱点”ではあるか……)
瑠実は考えながら腕を組んだ。そうだった。楓音も『転生組』だ。だがイグニスはいつもカノンを見守るように想いを捧げていた。こんな血なまぐさい業に巻き込むとは思えない。カノンとイグニスが組んでいる線は薄そうだ。
「ウィーグ様の説得が失敗したら、そっちも検討する。でも、できれば楓音は引き込まない方向で。」
「友達だから?甘いなぁ。あの女、性格悪いよ?信用しない方がいいんじゃない?」
ぶーぶー文句を垂れる一色を見ていると、不意に前世で美しい友人が渋い顔で忠告してきた一場面を思い出した。
(ルビィ。魔王なんか信用しちゃ駄目よ!『腹黒策士』ってああいうのを言うのよ。信用ならないわ。口もきいちゃダメッ!)
そうそう。この2人本当に、究極に、仲悪かったんだよなぁ。今、思い出した。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「にぎやかな街だね。でも、みんな気が急いてるよ……?緊張がビリビリ肌を刺して僕、怖い。」
アメジス王国の王都。城下町雑踏の中で、魔術師の少年リュシーがイグニスを見上げて呟いた。少年の呼吸が荒く乱れている。青いふわふわした前髪を指先できつく引っ張り、指に巻きつけて落ち着こうとしていた。動揺している時の彼の癖の1つだ。
(昨夜から歩きづめだ。……2人を休ませないといけないな。)
イグニスは穏やかに微笑み、大きな手で少年の青い頭をなでた。
リュシーは人混みが苦手だ。庶民階級出身でありながら魔術の天才として王宮の魔術師長に養子として引き取られた彼は、陰湿ないじめにさらされ続けてきた。養い親を含め、守ってくれる人は誰もいなかった。そのため人間への畏怖と嫌悪が精神の支柱に塗り込められている。
「跡継ぎ争いが収まって、次の国王が即位するから祭りの準備に追われてるんだろう。危険な緊張ではないから安心していい。どこかで休もう。」
「僕より……カノンの方が具合悪そうだよ。顔、真っ青だ。心配、なんだね。」
(昨夜、炎上する黒教会で別れたルビィが)
少し後方でぼうっと佇むカノンの白い背中をイグニスはリュシーと共に眺めた。紫色の髪をなびかせた玲瓏な美女は心ここにあらず、という雰囲気で立ちつくしている。行き交う人のさざ波と路上に並ぶ露店の数々を無心に見つめていた。
幼少時より所属する白教会から突然の指名手配を受け、親友の少女は生死が危ぶまれる局面で別れたまま。ショックに打ちのめされるのも当然だ。今、彼女の心は強い不安の塊に押しつぶされそうになっている。それでも虚勢を張って涙を見せたり不安な顔をしないのは、彼女の強さであり弱さだ。
「そこのぶっ倒れそうなお嬢さん、水をどうぞ。顔がキレイな連れの2人もちょっとおいでー。」
浮き足だった喧騒の中にポツンと取り残されたよそ者の3人に、明るい声をかけた人物がいた。
真っ黒なフードをすっぽりかぶって顔を隠した老人が『おいでおいで~』と怪しい雰囲気で手招きしている。露店商の1人だ。座った灰色の厚い敷物の上に雑に薬草類が散乱している。まったく売る努力が感じられない。店と言えるかも微妙な店構えだ。周囲に溶け込むため露店商を装い、休憩している年寄りにしか見えない。フードの下で優しくニコニコしているのが瞬時にわかった。
(なッ――!何やってるんだ、あんたはッ!)
イグニスはキッとまなじりを吊り上げた。ズカズカと足音も荒く黒フードの怪しい老人の元へ大股で歩み寄る。驚いたリュシーとカノンが慌ててイグニスの傍に駆け寄った。どうしたの?と疑問符を浮かべる2人を背後に従えながら、聖騎士の青年は怒りにブルブル震える拳を握った。店先でゆっくり屈み、老人と目線を合わせる。飢えた狼の群れもおびえて逃げ出す睨みをきかせて問いかけた。
「……こんな目立つ所で大声を上げないで下さい。ご自分のお立場を理解してらっしゃいますか?」
老爺が大きく口を開けてガハハと笑った。
「ハッハッハ!早速、小言かァ!やれやれ。心配性に加えて神経質、金にも細かい……お前を慕う女性はきっと気苦労が絶えんな~。
ダメだぞ、イグ。いつも
まあまあ。君達も今すぐただちに座りなさい。ろくに何も口にしとらんのだろ?ほれほれ。」
戸惑うカノンとリュシーの手を引いて強引に敷物の端に座らせた老爺は、ズダ袋から取り出した固い丸焼きのパンを問答無用でリュシーの口にズボッと突っ込んだ。
びっくりしたリュシー少年が、苦しみながらうめく。
「あがががが……」
ビクッと一歩腰が引けたカノンには、さすがに手のひらにポン、とまともな渡し方をした。焦げ茶色でとても固い。このパンは日持ちするようあえて固く焼いてある。
教会の司祭や助祭が遠方へ布教、所用で出かける時に携帯する旅行用保存食の1つだ。では、この老爺も聖職者だろうか?
(さっき”ルビィ”って言った?……まさか、このお方は)
カノンがまごまご考えている間にチーズやソーセージがどんどん手のひらにこんもり積み上げられていく。こんなに食べられない。半分を隣にいるイグニスに渡した。
黒髪の怜悧な美青年は眉間に皺を寄せたまま、老爺から目を離さない。こちらを見はしないが、ちゃんとカノンの手から食べ物を受け取った。無表情が多くわかりづらいが、イグニスは実はとても優しい。カノンの体の強張りがほうっと緩んだ。
(大好きよ……イグニス)
ハッと気づくと老爺がこちらをニヤニヤ眺めていた。相手は黒フードをかぶっているくせに、なぜか分かった。カノンの頬が真っ赤に発火する。熱い。恥ずかしい。許されるなら大声で叫びたいぐらいの動揺だ。
(気づかれた?!ほ、本人には黙ってて下さいね、教皇猊下。内緒の”片思い”なんです!)
「……昨夜、黒教会総本山へ行きました。大聖堂は炎上、死傷者多数。
黒髪の聖騎士がうなだれ、小声で呟いた。
「あなたを『殺害』した、とのことです。」
「この通りピンピンしとるがの。」
老爺が黒フードを後ろへ下ろした。ツルツルのきれいな坊主頭が現れる。もっさりした白い眉毛の下の深緑色の瞳が優しくイグニスを見た。白いあごひげを撫でつつ、黒教皇ウィーグが憂いを込めて言葉を紡いだ。
「……ルビィが生きているといいが。」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
……コォーン。
この高級料亭の奥部屋に通されるまでにどれだけ歩かされたか。幻想的な石灯籠の明かりに導かれ、飛び石の回廊まで渡ってきた。今日電話して予約したはずなのに、この好待遇。恐ろしい。どれだけ上客なんだ、工藤。何色のカードを持ってるのかはちょっと気になる。
(くっ……金持ちめ。出てきた料理も芸術的すぎて箸がつけられない。壊して食べるのに胸が痛む。)
瑠実は、目の前の紅葉型に切られたニンジンや橋をイメージされて組み立てられた海老やレンコン、刺身類を睨みつけた。皿の上にミニチュアのきらびやかな日本庭園が構築されている。実に美しい。
「結論から言うぞ。”やらされてる”感が強い。誰がイグに”やらせてる”かも察しはついた。で。犯人の名前を言ってもいいが、そこからどうしたいんだ?お前達は。」
偶然にも転生したウィーグは工藤ことザナディスの自宅近所に住んでいた。その自宅兼勤務先の小児科医院が本日は休診日だ。そこで、工藤が急遽予約した料亭で話をしながら全員で夕食をご馳走になっている。
しかし。東条の前世の教え子で養い子でもある彼女は思う。突然の工藤の電話にも関わらず『えっ?!オゴリ?行く!絶対行く!バイク停められるとこ?』という軽薄なノリでのこのこやって来た。それでいいのか?元教皇!黒教会における崇高にして超越者的な存在じゃなかったのか。これでは、悪人に簡単に誘い出されそうだ。瑠実は頭を抱えた。
(大体、ウィーグ様がザナディス殺害を指示した黒幕じゃなかったからよかったものの。何度言い聞かせても全然聞いてくれないし『一緒に行く』の1点張りなんだもんな……。このわからず屋な男2人、本当に始末に負えん。)
そう。ウィーグに会いに行って直接話をすると言った彼女にあーだこーだ反論してきた工藤と一色は、結局ガッチリついてきた。もう投げやりになった瑠実が折れたかたちだ。
ただ、電話口で端的に状況を伝えた工藤に対し、東条が『え?イグ、なに血迷ってんの?バカじゃん。』と返したことで早々に黒幕疑惑は解けた。ウィーグは嘘をついて人心を
「死にたくない。」
工藤がサラッと金髪をかき上げて言った。絵になる仕草だが、左手のワイングラスの中身が”葡萄ジュース”だからちょっと笑える。東条がうんうんうなずいた。
「
一色が能面で言った。東条がうんうんうなずいた。帰りも車を運転するからこいつもノンアルコールだ。炭酸飲料をあおるように飲んでいる。大丈夫?むせないか?食道、頑丈なんだな……。ハラハラ気をもみながら瑠実は元カレを見やった。
「
瑠実がタン、と烏龍茶のグラスを卓上においてキリッと言った。東条がうんうんうなずいた。一瞬後、は?という顔になる。この世に存在した奇妙な生物を見るような目つきで見返してきた。
「ルビィ、今なんて?」
「道を踏み外して殺人を犯そうとしている前世の兄貴分を、拳で『100回ボコって』人の正道へ引きずり戻したいです!」
「圧倒的に説明不足だな。きちんと前提を言わないと、ただの”脳筋戦闘狂”の変な女性だと誤解されるぞ。お前は優しい思いやりのある子なんだから、そこは誤解を受けないよう”ちゃんと”しなさい。」
「はい。」
ドン引いた表情で、工藤が師弟のズレたやり取りを眺める。
「……黒教皇の初期教育が”ちゃんと”してなかったから、あの小娘がああ育ったとしか思えんが。」
「ちょっと。俺の好きなひとをディスるの止めて頂けます?あなただって褒められた性格してないでしょうが。」
「よし。じゃ3人の希望を総合すると、対策は決まったな。ザナディスは俺が引き取る。ウチに来い。匿ってやる。守ってやるし、身辺警護は必要ならプロを連れてこい。仕事は全部テレワークに切り替えろ。
で、次にイグ達がザナディスを襲いに来た時な。連絡するからルビィはあのバカをボコりに来い。以上。ふっふっふ。」
東条がポン、と手のひらを拳で打ってニッコリした。現代に転生したウィーグはザナディスと同じ年齢でまだ若い。黒い短髪の爽やか好青年風の容姿だ。若い頃の設定画がこんな感じだったかもしれない。さすが神作画。やはり非常にカッコいい。
別系統のイケメン3人が見事にそろったこの座敷は直視に耐えないほどオーラが眩しい。瑠実は今更ながらにウッ……とうめいた。工藤が異論を唱えようとした時、障子の外から声がかかった。
「デザートをお持ち致しました。」
丁寧な断りの後、スッと障子が開く。配膳係の中年女性が正座して深々と頭を下げた。黒髪の楚々とした控えめな雰囲気の女性だ。紺色の従業員用着物を着ている。袖をさばく所作が上品だった。
「ありがとうございます。」
東条が爽やかに返事をすると、目が合った途端に彼女の動きが止まった。じっと東条の顔を穴が開くほど凝視する。みるみる彼女の瞳に涙が溜まった。グスッ、ウッと嗚咽を漏らす。肩を震わせ、本格的に泣き出してしまった。
(((えっ?!)))
うろたえる3人を尻目に、東条はこういう事態に慣れている雰囲気だった。ゆっくり席を立つと彼女に近づき、膝を折る。そっと優しく彼女の両手を握った。ゲーム世界で信徒達が『告解』をする時、黒教皇がいつもそうしていたように。
若い爽やかな青年の姿に、黒い長法衣を身に纏った白ひげの老教皇の姿が重なって見える。慈悲深い深緑色のまなざしが柔らかく紺色の着物姿の女性に諭すように語りかけた。
「大丈夫ですよ。あなたは」
「わ、た、しはぁッ!あああっ!つらくて、つらくて。でも我慢しようって我慢しなきゃってずっとずっとずっと……!」
「もう我慢はしない方がいいです。」
「でも、私一人が我慢すれば皆が幸せにッ!全てうまくいくって毎日強く言われて!」
「それは嘘ですよ。騙されています。誰か、相談できる人はいますか?あなたに”我慢するよう”言った人じゃありません。弁護士、カウンセラー、ソーシャルワーカー。そういう人です。いなければ……」
立ち上がり、東条の傍へ寄った工藤が1枚の名刺を彼女に差し出す。青い目で静かに言った。
「私の友人だ。話をしておく。今すぐ連絡するなら『工藤の』紹介と言えばいい。融通をきかせてくれる。……医者も必要か?診断書をとるなら」
配膳係の女性は幼児返りした声でポツンと言った。
「たすけて、くれるの?」
東条が黒い双眸を穏やかに細めた。両手で握った彼女の手を軽く包み直す。淡い緑色の光がふわりと東条青年から立ち上る。緑色の光はどこまでも慈悲深く舞い上がり、青年が手を握る女性の体を覆うと吸収されて音もなく消えた。
瑠実と一色はハッと息を飲んだ。既視感なんてものではない。前世で幾度も見覚えのある光景だった。
(黒教皇猊下の『固有魔法』!現世で普通に使ってる――!)
(『暗闇の
(違う。それだけじゃない。)
虚ろに揺れていた着物姿の中年女性の目に意志の輝きが戻る。表情から不安定さが抜け落ち、覚悟を決めた強いものに変わった。彼女は、工藤から名刺を自分の意思でしっかり受け取った。
「ありがとうございます。勤務終了後にこちらへ連絡させていただきます。夜は20時まで、ですね。本当に助かります。私、自分のことはもう諦めていたんですけど」
戦う者の目に変わった彼女は、噛みしめるように言葉を吐き出した。
「助けて下さる方がいるのに。諦めません。」
「ええ。諦めないで。神は常にあなたと共に。」
東条青年が、女性の額に軽くキスを贈った。この一連の流れはウィーグが黒教皇時代にいつもやっていたお決まりの動作である。セリフも『でこチュー』も、セットでウィーグの体に染みついていた。
(でも、
ここはゲーム世界でなく現代日本であることを東条は失念していた。従業員の彼女がポッ!と頬を染める。工藤が傍らで、あっちゃ~と片手で顔を覆った。瑠実が絶対零度の目で呟く。
「え。ヤダ。ウィーグ様、めっちゃタラシ。」
「小児科医でキザで美男子とか。底なしにモテそうだね!」
一色の明るい声が座敷に空々しく響いた。
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