第4話 黒教会炎上の夜
陽が沈んだ空は群青色に染め変わり、車窓を流れる景色の明かりが華やかに増えてゆく。一般道を車で静かに走っている。
家まで車で送ってくれるらしい。なぜ瑠実の自宅住所がすでに一色の車のカーナビに登録済みなのか。もう尋ねる気力もない。
(……立派なストーカーだな。出会って半日でこの行動力……要警戒だ。)
瑠実はチラッと横目で運転席の男をうかがった。元魔王の青年は前方を見ながら、穏やかに車を運転している。
どうやら一色はゲーム世界の”前世”の記憶があるらしい。そして、今日の研修会場で会った瞬間、瑠実のことが”ルビィ”だと分かったらしい。それ以上はまだ話せていない。『移動しよう』と言われたからだ。確かに長時間、路上駐車はできない。
家へ送りがてら話そうということだったが信号で止まった途端、息継ぎもなしに猛烈な文句を叩きつけられている。
「ケチ~。キスもさせてくれないとか。え?なに?『キスには憧れのシチュエーションがあるの!』とかいう夢見る系女子?
いや。それはそれで可愛いからいいけど……。リクエストあるなら具体的に言ってよ。ねぇ。後日完璧にご要望にお応えさせて頂くから、先に今日5回くらいキスしていい?」
さきほど急に顔を寄せてきたから両手で唇をキスガードしたのを、いたく不満に思っているらしい。瑠実はギロリと横に座る男を睨んだ。
「うるさい。現状確認が先決だ。……質問に答えろ。お前の返事によっては”キス”しないでもない。」
一色がクスッと笑った。信号が変わり、車が緩やかに動き出す。エンジンの振動を車のシート越しに感じた。
「あ。その乱暴な口調、懐かしい。
質問?はい、どうぞ。」
「今、”交際中”の相手は何人だ?」
車内に重い沈黙が落ちた。一色がショックを隠せない声色で呆然とつぶやく。
「……『彼女はいるか』じゃないの?そこ。なんで『何人だ?』って聞かれてるの?俺。えっ?!ものすごく誠実さのカケラもない男だと思われてる?なんで?
ゼロ!ゼロだって!誰とも付き合ってないよ。うわー。ショックすぎる。」
そうか。現世での恋愛関係はフリー、と。瑠実は無言でうなずいた。よし、次だ。
「では、交際していないが”男女関係”にある相手は?」
車内がお通夜のような雰囲気に沈んでゆく。一色が運転しながら弱々しく答えた。
「……”セフレ”はいません。ゼロ、です……。ひどい。悲しくて心臓止まりそう。」
そうか。その泥沼関係も心配なし、と。瑠実は無言でうなずいた。だが、まだ油断は禁物だ。
「最後の質問だ。『婚約者』『許嫁』それに類する間柄の女性は?」
ハアア、と深いため息をつかれた。一色が苦々しい表情で答えた。
「いない。……これで満足?身に覚えもないのに”遊び人”のイメージ持たれてるし。あと、超一方的な尋問にすごいムカツいた。俺も質問していい?」
瑠実はうなずいた。ふっ。別に何を聞かれても困らない。聞くがいい。一色が意地悪そうに聞いてきた。
「……”処女”?”経験済み”?答えて。」
実に最低な嫌がらせだ。だが、その質問。彼も瑠実と同じ心配をしているのだろう。
ゲーム内には一切描写されていないが、”魔王””勇者”という敵対関係になってからも隠れて会っていた。そう。誰にも言えない秘密の関係。『恋人』だった。
これは勇者ルビィのパーティメンバーも、各教会関係者や王国の権力者も誰も知らない。現代語で表現するなら『元カレ』『元カノ』というやつだ。
(私のこと”好き”?今も)
「さあ」
「は?今、なんて?『さあ』ってなに?!まさか」
一色が動揺も露わに声を荒げる。”ユト”の頃より感情が素直に表に出るな、と瑠実はしみじみ思う。声は動じてもハンドル操作には微塵の揺らぎもない。さすがだ。
『目的地、到着しました。』
カーナビの無機質な女性の声がアナウンスした。車が静かに路肩に止まる。瑠実の住んでいるマンションの目の前だ。少し広い公園の傍なので、夜なら数時間車を停めさせてもらっても大丈夫だろう。
不満いっぱいの表情でムクレているイケメンの横でシートベルトを外す。話しかける前にギュッと右腕をつかまれた。悔しそうな顔で一色がボスッと瑠実の肩に顔を埋める。小さな声でつぶやいた。
「怒らせること言って、ごめん。悪かった。好き。ずっと好き。
会えて、気も狂いそうに嬉しい。いつも探してた。……お願いだからまだ”処女”って言って。嘘でもいいから。」
(『俺だけ』って言って。)
口にしない言葉が聞こえた気がした。前世より面倒くさい男に育ったものだ。
多分、処女かどうかじゃなく。ずっと一途にユトを思い続けていて欲しかった、というのが本音だ。
(言葉でそう言えない、と)
自分の肩口で撃沈している男の耳元に、瑠実は甘い言葉を囁いた。マンションの自室の鍵を自分より大きな手の中にそっと滑り込ませる。
「お前が現在”フリー”なら問題ない。……確かめろ。自分で」
「え?」
カアッと分かりやすく一色の顔が真っ赤に染まった。耳まで赤い。しかも緊張に少し体が震えている。
(あれ?)
瑠実は認識を修正した。現世で再会した元カレは『女慣れした』『軟派ヤロー』でなく、意外に『純情路線』だったかもしれない。
明るい夜空に、輝く火の粉がチラチラ舞った。『漆黒の大聖堂』が赤々と燃えている。離れた山上からもその大火災は見て取れた。
「黒教会が!」
「教皇様や司祭達は?!」
パーティーメンバー3人全員が一斉にこちらを見た。現在、全員同時に飛ぶ中級の転移魔法が無理なく使えるのはこの中で勇者ルビィだけだ。複数を連れて飛ぶ中級転移は魔力消費が激しい。魔力量がギリギリの魔法使いの少年リュシーにはまだ、荷が重い。
ルビィは迷わず呪文を詠唱した。言葉に魔力をのせ、定型呪文を高く低く歌い上げる。転移の行き先を詠唱の最後に付け加えた。
4人の足元にオレンジの光の円陣がサアッと描かれる。光の蔦が這うように円陣から中空へ伸び、陣の内側にいる4人を鳥籠のようにすっぽり包み込む。ルビィの魔力に編み上げられた鳥籠が、夜の山中でまぶしく光を放った。
カッ。
次の瞬間、4人は炎上する黒教会の総本山『漆黒の大聖堂』前に立っていた。2つの尖塔は今にも焼けて崩れ落ちそうだ。逃げ惑う信徒達。それを救助する司祭と助祭。大勢の人が炎に照らされ走り回っている。
最重要人物、黒教会のウィーグ教皇の姿がない。ルビィは黒い大聖堂の建物を飲み込まんと覆う業火にじっと目をこらした。何かおかしい。
(……これ、ただの炎じゃない。失火?いや”放火”だ。)
濃い魔力の残滓を感じる。魔法を使った痕跡だ。誰かが火魔法で放火したのは間違いない。犯人は『魔王』ではない。”彼”の魔力と気配が完全に異なるからだ。
(ユトぐらい魔力レベル高かったら、探知魔法で”犯人”すぐ分かるのに!
でも『安寧と弱者救済』がモットーの黒教会を焼き討ちにする相手といえば……?)
1つ、動機が思い当たる組織がある。黒教会を目の敵にする、このクリスタ王国の”正教”。神の信徒を公言するふざけた俗物集団。彼らは薄汚い王族とも結びつきが深い。
(しまった。……罠だ!はめられた!)
ルビィがギリッと歯噛みするのと、魔法使いのリュシーがルビィの服のすそをギュッとつかんだのは同時だった。幼さを感じる声が舌足らずに警戒を呼びかける。
「ルー、白教会の
夜目にも鮮やかな白い戦闘服を翻し、白教会直属の戦司祭達が逃げ惑う人々の間をすり抜けるようにしてルビィ達4人を囲んだ。
『戦司祭』は白教会お抱えの暗殺者集団だ。表向きは人を魔物や悪魔の類から守る司祭を名乗っているが、その実、白教会の教皇ザナディスがいいように汚れ仕事に使いまわす処刑人にすぎない。
燃える大聖堂を背に、戦司祭達と対峙する。女司祭カノンが1歩、前へ出た。彼女は白教会所属のれっきとした教区持ち司祭だ。ここに現れた戦司祭達より、教会内の序列は上である。カノンの清冽な高い声が響いた。
「これは一体、何事です。あなたたちはこの火災を収めに来たのですか?」
「いいえ」
戦司祭の1人がカノンの前に進み出た。慇懃無礼な態度で口上を読み上げる。
「国王陛下の勅令です!『黒教会ウィーグ教皇の殺害、並びに信仰の聖地『漆黒の大聖堂』に火を放ち数多の司祭、信徒を殺害した罪状で罪人ルビィ並びにルビィに付き従うものを極刑に処す。』
抵抗はなさいませんように。むやみにいたぶり苦痛を与えるのは我らも本意ではありません。」
「何を馬鹿なッ――!」
カノンが絶句した。
(白教会の変態教皇め!そうきたか!)
ルビィはパーティーメンバーの騎士イグニスに目で合図を送った。イグニスがすばやくカノンの腕を引き、ルビィの傍へ連れ戻す。
ルビィはもう頭の中で呪文の詠唱に入っている。緊急時しか使わないが、言葉にせず脳内の最短詠唱で魔法を発動させる裏ワザもできるのだ。この前、ユトに教えてもらった。後で頭痛がひどいからめったにやらないけど。
「
「猊下のために!」
「猊下のために!」
戦司祭達が一斉にスラッと剣を抜く。刃の冷たい輝きが火事現場にキラキラさんざめいた。彼らの信仰と忠誠心はすべて、白教会教皇ザナディス1人に捧げられる。国王の勅令も、ザナディスが言いくるめて出させたに違いない。
中級転移魔法の呪文詠唱は、最終段階に入った。後は転移先の設定だけ。ルビィは、ふっと優しい瞳で3人の仲間を振り向いた。
(国王の勅令、白教会の死刑告示が出た以上、クリスタ王国内は危険だ。どこにいても殺される。隣国アメジスへ飛ばすか。……飛距離がちょっと長いけど。4人飛ぶにはもう魔力が足りない。でも)
ルビィは一瞬も迷わず、転移の行き先を詠唱の最後に付け加えた。隣国アメジスの王都近郊だ。
(”3人”なら飛ばせる!)
ルビィを除いた3人の足元にオレンジの光の円陣がサアッと描かれる。光の蔦が這うように円陣から中空へ伸び、陣の内側にいる3人を鳥籠のようにすっぽり包み込む。カノンとリュシーが驚きに目を見開く。騎士イグニスだけが厳しい目で黙ってうなずいた。
(2人を頼むよ、イグニス!)
ルビィの魔力に編み上げられた美しいオレンジ色の光の鳥籠が、炎上する大聖堂前でまぶしく光を放った。
カッ。
かき消すように仲間3人の姿が消え、その場にルビィ1人が残った。残魔力は使い尽くした。後は剣で戦うしかない。熱風が髪をあおる。青い勇者服が背後の炎の熱にジリジリ焦げた。
「猊下は、あなたの死をお望みです。……悪く思わないで頂きたい。ルビィ様」
国王の勅令を読み上げた戦司祭が少女に深く頭を下げた。ハッ、とルビィは吐き捨てるように言った。
「『”勇者”の剣となり、盾となる』教義を掲げるお前達がその”勇者”を殺すか。まさに悪夢の教えだな。お前達の信じる
『どうか
28人の戦司祭達が一斉に刃を振りかざし、炎を背に立つルビィに襲いかかった。彼女の茶褐色の瞳がギラリと深い金色に光る。魔王討伐の旅に送り出されて3日目の夜のことだ。
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