#18 田中公正はツイていない
はじめてバイトした店は、店長が夜逃げしたうえ、知らず知らずのうちにそれを手伝わされていた。最後の給料は支払われず、警察にしつこく事情を聞かれ、まだ若かった公正の人を信じることへのハードルは高くなった。
はじめてできた彼女は、カルト教団に心酔していた。連絡がつかない時間があると思ったら妙な集会に入り浸っており、問いただすと熱心に誘われたので別れてしまった。その教団がニュースをにぎわせることはなかったが、彼女がどうしているかはいつも気になっていた。
はじめて組んだバンドは、社会不適合者の集まりだった。ドラムは最初から、モテてファンを食い散らかすことだけが目的で音楽をやっているような人間だった。風の噂で女に刺されたと聞いた。まったく彼らしいと思ったものだった。ベースは練習に来なくなったと思ったら、元カノの家に不法侵入して盗聴器やカメラを仕掛けて捕まっていた。もう出てきているとは思うが、連絡を取る気にはまったくならない。ギターは簡単なコードを弾くことがやっとだったわりに、「おれのやりたい音楽はこれじゃない」と宣って相談もなしに別のバンドに加入した。そのバンドは東京に進出したそうだが、メジャーデビューしたという話は聞かない。「売れてほしくない」と切に願う。
今組んでいるバンドだって、最初のマネージャーは金を持って蒸発したし、契約している弱小レーベルには公正がやりたい音楽ではなく「売れ線の音楽」を求められるし、小さなライブハウスやイベントに呼ばれはするものの、自分たちよりもっと若いバンドがどんどん先に売れていく。
いい曲ができたと思ってメンバーに感想を聞いたら数十年前のポップスに酷似しているとこき下されたし、ギターが盗まれてネットで売られたこともあるし、恋愛の曲を歌えば「これ私のことですよね!?」とファンだかアンチだかわからない女に粘着されたこともあるし、ライブの打ち上げで泥酔して財布をなくしたことが何度もある。
なにもかもうまくいかない。
自分のやりたいことはこれじゃない。自分のやりたいことがやれていない。
公正はいつも、現状に満足できずにもがいていた。
――――――
「災難だったな」
目が覚めると病室のような場所にいた。公正はツイていない男ではあったが、入院経験はない。大きな病気やけがをしたことはなかった。それでも、ここは病室だ、という感覚があった。
しかしなぜこんなところで寝ていたのか。直前の行動がまったく思い出せない。
「俺は……どれくらい眠っていたんですか?」
「ん、1日くらいだな」
大した日数ではなかった。聞きながら「3か月だよ」とか言われることを想像してしまっていた。いや、もっと大げさに「落ち着いて聞いてください。あなたは10年間眠っていました」とか言われることも想像していたかもしれない。別に自分の手はしわしわになったりしていなかったし、声も普通に出た。
眠っていた期間が短くても、もしかしたら記憶喪失になっていたりするのだろうか、と心配になったが、自分の名前も思い出せたし、そういえばデパートの屋上でミニライブをやっていた気がする、ということも思い出せた。
公正に話しかけたのは初老の男性だった。しかしその服装には見覚えがあった。
「あなた……FCCの人?」
「ああ、そうだ。お前さんは、カテゴリー3フールとして、おれたちに処理されたんだ」
「……なんで俺は生きてるんです?」
「……運が悪かったんだろうさ」
そう言って彼は苦笑した。
冗談を言ったのだろうか。
「目が覚めたのなら、諸々の検査とか、このあと面倒なことがある。ある程度落ち着いたら、また話をしに来るよ。とりあえず拾った命を大事にするこったな」
男は病室を出ていき、入れ替わりに看護師のような女の人が入ってきた。
彼の名前を聞きそびれたな、と公正は思った。
――――――
なんだかよくわからない光を浴びせられ、注射を打たれ、薬を飲まされ、雑談のような問診を受けた。実験室のような場所で様々な機械を体につけられ、ベルトコンベアの上を走らされ、スポーツテストのようなことをさせられ、公正はくたくたに疲れてしまった。
自分は悪の組織に捕まって改造を受けるのかと思った。
子ども向けのヒーロードラマのような展開を想像した。
もしそれが現実だったとしたら、どう思うだろうか。
「やっぱ俺ってツイてねえ」だろうか。
それとも、「ようやくツキが回ってきやがった」だろうか。
公正は自分がどちらの感情を持つのか自信がなかった。
様々な検査ののち、数日経って休養室とかいう部屋に移った頃、またあの男と会うことになった。
「よう、久しぶり。元気そうだな、えーと、田中、公正くん?」
「はぁ」
元気そうに見えるのか。
連日のよくわからない検査で、どちらかというと疲れているのだが。
「単刀直入に言おう。お前さんにはFCCに入隊してもらいたい。そして戦闘員として市民を守ってもらいたい」
「へぇ!?」
「カテゴリー3のフールを発現した人間は、それを実現できる身体能力がある」
「いや……俺……運動はからっきしで……」
「今後、自在にフール化できるように鍛えれば、超人的な身体能力が手に入る。実際、おれみたいなジジイがバリバリ戦うことができてる」
「フール化……」
「まあ、今すぐ決めてくれって話でもねえから、じっくり考えてくれていいぜ」
急な話でいろいろと理解が追いつかない。
「考えて……みます……」
悪の組織に体を改造されるのと、そう変わらない話な気がしてきた。
正義の組織だったというだけだ。
……本当に正義の組織だろうな?
「おっと、そういやお前さん、バンドマンなんだな?」
「……はぁ」
「パートは?」
「ギターボーカル……でした」
「おぉ、そっかそっか、いつか聴かしてもらいてえもんだな」
「あー、いいっすけど、家に戻ればうちのバンドの出したCDが……」
「あ……」
男が気まずそうな顔になる。
あれ、もしかして。
「あ、俺、もう家に帰れない感じっすか?」
「一応……そうなるな。世間的にはお前さんはもう死んでるからな」
「うあー、まじかあ。え、集めたCDとか漫画とか、もう取りに行けないんっすか」
「お前さん、家族は?」
「あー、徳島の方の実家に、両親が」
「『証拠品』という形で遺族に許可をもらえれば押収することはできる」
「押収」という言葉よりも、「遺族」という響きにゾクッとした。
そうか、やっぱり俺はもう死んだのか。公正はそう思った。
今ここにいる自分は、亡霊のようなものなのだ。
「一応面倒な手続きがあるが、家族に安否を知らせる制度はある。ただ、お前さんも知っての通り、カテゴリー3のフールはFCCに処理されて、死ぬことになっている。だから安否を知らせるにしても、家族だけだ。それ以外の相手には、お前さんが生きていたってことは絶対に口外してもらっちゃいけねえ」
「……どうしてですか」
公正は疑問を男にぶつけた。
「たまたまでも、ラッキーでも、偶然でもなんでもいいですけど、俺が生きてたってことが知られて、なにか不都合があるんっすか?」
苦々しい顔で、男がゆっくりと諭すように言った。
「ひとつ、お前さんが生きていて、なんでうちの息子は死んだんだ、と別の角度から被害者遺族の声が上がること。現在、本当は約90%以上のカテゴリー3は殺さずに制圧することが可能になっている。だが、その始まりは偶然だったし、実際10%前後の人は亡くなっている。カテゴリー3が発現した時点で基本的には助からない、と市民に思っておいてもらった方が組織にとっては都合がいい、ってこった。胸糞悪い話だとおれでも思ってるがな」
そこで男は大きく息をついた。
「ひとつ、お前さんの中には確かにカテゴリー3フールの力が眠っていること。過去FCC隊員として活動していて、フールの力が暴走した例がある。お前さんをそのまま野に放す、あいや、元の生活に戻すことはリスクが高すぎて不可能だ。いつでも抑え込めるよう訓練し、いつでも制御できるようFCCの中に取り込むのが一番安全である、というこったな」
納得はできないものの、少し理解はできた。
例えば「俺フールになったけど抑え込んだよ! 無事だよ!」と実家に舞い戻ったとして、母親や父親、周囲の人間はこれまで通り接してくれるだろうか。
答えは否だ。
殺人を犯して罪を償ってきた元殺人犯が町に戻ってきたとしたら、みなひどい差別をするだろう。得体の知れない化け物になって暴れ回ったあと、人間に戻ったと言って戻ってきたやつなら、なおさらひどい差別を受けるに違いない。公正は、子どもの頃の周りの人間、主に年配の人たちが、フールやフールの家族に対してひどく否定的だったことを思い出した。
「もうひとつ。フールやカテゴリー3が、まだまだ市民に理解を得られていないってのが大きい。得体の知れない化け物、排除すべきもの、殺して当然のもの、人類の敵。そう思っている人が今もまだたくさんいやがる。普段の行いが悪いからフールになるんだ、なんて言うやつもいる」
公正も、実際そういう声は聞いたことがあった。ネットにも少数とは言えない数の、そういう意見があふれていた。
「だから、世間には『化け物VS正義のヒーロー』、そう思わせておかないといけない」
「その正義のヒーローが、元化け物であってもですか」
「そうだ。おれたちは偽りのヒーローを演じてるんだ」
「……」
頭が混乱してきたが、この組織が相当な規模で平和を維持してきたということはわかった。その平和が仮初のものでも、偽善だとしても、市民が不安を抱かないよう立ち回ってきた「ヒーロー」たちが確かにそこに居たのだと知った。そして、公正自身がわずかながら持っていたフールやカテゴリー3に対する偏見は、誤りだったと知った。
「……すぐにはお返事できませんが、前向きに考えてみます」
「……おう、よろしくな」
男はそう言って休養室を出ていこうとしたが、ふと振り返ってまた公正の方を見た。
「そういや、入隊するにせよしないにせよ、音楽活動を続けたいと思うのなら続けられるからな」
「え!?」
音楽、続けていいのか!?
「例えばほれ、アバター姿で歌ってる『イトイガワヒヨリ』とかいう歌姫、知ってるか?」
「あ、はい、有名ですよね」
「あれ、中の人はFCC隊員だぞ」
「えっ!? まじで!?」
「あとカッパとか天狗とかの被り物してるバンドの、えーと……」
「……『夜明けの百鬼夜行』ですか、もしかして」
「あー、そうそう、それそれ。そいつらも全員FCCだぞ」
「……まじかー」
TVにも出ない、ネットのライブがメインのミュージシャンなんか珍しくもない。
顏や素性を隠して音楽活動をしているミュージシャンも増えた。
しかしその中でもわりと公正自身が聴いていた音楽が、こんなところで繋がるとは思いもしなかった。
「……会えますか?」
「会いたきゃ入隊するんだな」
男はニヤニヤしている。
それだけの情報で、悔しいことに、もう入隊しないという選択肢はなさそうな気がした。
しかし、FCCに入るのはいいとして、もし入らない選択をした場合、どうなるのだろうか。まさか「予定通り死んだことになる」とかだったら笑えない。
「あの、もし入隊しない、ってなったら俺はどうなるんですか?」
「FCCに関する大事なところは忘れてもらって、名前を変えて、お前さんのことを誰も知らない土地で暮らしてもらう」
「……」
「めちゃくちゃ売れてるバンドマンだったら、困ったことになるところだったな」
「……悪かったですね、売れてなくて」
しれっと怖いことを言われた気がするが、気にしないことにする。
公正のこれまでの人生はツイてないことだらけだった。
しかし今日からは、もしかしたら変わるかもしれない。
「俺、FCCにお世話になろうと思います」
「ん、そう言ってくれて嬉しいよ。おれぁ大阪支部の宮城だ。よろしくな」
ここで初めて彼の名前が聞けた。
ずいぶんベテランの隊員のようだが、やはり強いのだろうか。
「諸々の手続きはこっちでやっとくけど、しばらくは、フールの力を抑え込むというか、まあ安全にフール化するための訓練を受けてもらうぞ」
「……はあ」
「フールやFCCについての講義もたくさんあるし」
「え、講義ですか? 大学みたいっすね」
「どこの支部のどこの隊に入ってもらうかも決めなきゃいけないし……先は長いぞ」
「うぇええ、勉強とか嫌いなんすよねー」
「だろうな。勉強が好きなバンドマンってのは聞いたことがねえ」
前途は多難である。
「だから、ギターを触れるようになるのはちょっと先だな」
「……しゃあないっすね」
「ああ、そういや現場に落ちてた楽器類、回収したやつもあるんだが」
「え! ギターもですか!?」
「ああ、あったぞ」
「エフェクターは!? アンプは!?」
「それも全部ある」
「やった! あれがあるのとないのとでは大違いっす」
「ただギターはネックが折れてる」
「……oh」
前途はかなり多難であった。
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