#17 津田カロニは逆境に強い
締め切り直前に体を壊したこともある。
作業途中のアシスタントに失踪されたこともある。
初期の頃はしつこいアンチにネットで叩かれ続けたこともある。
「男なのに少女漫画を描くなんて」「男に恋愛感情の機微を描けるわけがない」と言われたことも数え切れない。
しかしそんな中、カロニは自分の書きたいものを書き続け、いつしか大ヒット作家になっていた。若い女の子たちの心をつかみ、続きや新刊、新シリーズを待ち望まれる作家になっていた。
そもそも漫画家になれた経緯にしても、逆境と言っていい。
デビュー作になるはずだった読み切りの原稿は、歩道橋で足を滑らせ車道にぶちまけた。車に轢かれ大半がぐしゃぐしゃになったとき、カロニは「なぜバックアップを取っておかなかったんだ」と猛烈に後悔した。しかしそれで漫画家デビューを諦めるカロニではなかった。わずかに助かった一部の原稿以外は、すべて「もう一度」描いた。話の流れはすべて頭の中に入っていたし、掲載号を遅らせてもらうことで締め切りも延びた。むしろ「急いで描いたあの表情、気に入らなかったから描き直す機会ができて良かった」とまで言い切った。
大々的なデビューとは言えなかったが、主人公の「本当にどこにでもいそうな少女」感や、共感を呼ぶモノローグ、恋のライバルなのに愛されるサブキャラクターの造形、ご都合主義に飲み込まれないもどかしさすら感じる恋愛模様などが次第に読者を熱狂させていった。
「『微少女妄想中』、すり切れるほど読みましたっ!!」
「ははは、ありがとう。僕のデビュー作だ、嬉しいね」
先日知りあった大阪支部の隊員である瀧北沙尋に紹介されたのは、これまた大阪支部の新入りだという茅野みゆきという少女だった。沙尋の方が男であるということはもう知っていたが、初めて聞いたときには驚いたものだ。あのときのリアクションは大変失礼だったと、カロニは今も反省している。このみゆきという少女も男だったらどうしよう。
「それから『微少女奮闘中』も! 『恋愛中』も! 全部持ってます! 読んでます! 大好きです!!」
「嬉しいね、ありがとう。でも作者がこんなオジサンだと知って幻滅させちゃったんじゃないかな、ごめんね」
「!? 好きな作品の作者さんが男とか女とか、関係ないですっ!」
となりで沙尋もうんうんと頷いている。
「あっ、ねえ沙尋くん、ここ、本屋さんもあるよね? 私FCCに入ってから本を読んでなかったのを思い出したよ。もう一回カロニ先生の本を全部買い直そうと今決めたよ」
おどおどとしていそうな少女だったが、なんだか似合わないほどによく喋るタイプだった。好きなことになると饒舌なタイプかもしれない。または、沙尋がいるとそれにつられてよく喋るようになるタイプかもしれない。
「『爆走中』が途中で止まってショックでした……ニュースでは『作者の体調不良により無期限の休載』ってことになってましたけど……ご無事でおられてよかったです」
「……無事とは言い切れないけどね」
「先生の制圧に当たったの、
「神門隊って?」
「東京本部で一番強い隊。つまり日本のFCCで一番強い隊。たまにテレビにも出てるよ」
「え? あ、ちょっと見たことあるかも。え、顔出していいの? その人たち」
「広報用の隊でもあるからね。ちょーっと訳ありらしいけど、顔出していいんだってさ、神門隊は」
「ふうん……」
正直自分が制圧されたときのことなど、記憶にない。
もし覚えておけたなら、漫画を描くための素晴らしい経験になっただろうに。
「あ、えっと、じゃあ、今もしかして続きを描いておられるんですか……? だったらすごく嬉しいなって」
「あー、それなんだけどね……」
カロニがフールを発現したのは間の悪いことに出版社での打ち合わせ中だった。その場にいた出版社の人間の多くが、「津田カロニ先生が打ち合わせ中にフールになってFCCが処理した」と認識してしまった。ジャミングや情報統制のおかげで一般市民には知られていないが、さすがに業界では秘密にしておけなかったようだ。
その状態で新しく原稿などを送ったとしたら、「死んだはずの津田カロニ先生から原稿が送られてきた」「ということは、津田カロニ先生は生きている」「ではなぜそれを隠している?」「FCCはフールの処理に関してなにか重大な秘密を抱えているに違いない」ということになってしまう。世間に秘密がばれてしまう。週刊誌がこぞってあることないことを書きたてるだろう。ただでさえ謎の多いFCCという組織のアラだけをひたすらに探している雑誌もあるくらいだ。カロニはかつてそういった記事を鼻で笑っていたが、自分が置かれている状況をふりかえってみると、案外笑ったものでもなかった。
「たまたま生き延びることができた」ということにすることもできる。しかしそれにしてもリスクが大きい。これまで通りFCC隊員は素性を隠して、世間的には死んだことにして、ひっそりと生きていくのがいいのだろう。いつかはすべてばれるような気もするが。それは今ではないということなのだろう。
「そう……ですか……でも、仕方ないですね。出版社の人たちが知ってしまっている以上、難しいですよね」
「昔から僕は間が悪くてね、間が抜けていてね。デビュー作の原稿は車道に落としてめちゃくちゃになってしまったし。だからペンネームも予定していた名前から替えたんだ」
「え? そうなんですか?」
「もともとはね、松田マカロニだったんだよ、僕の名前。その名前でデビューするはずだったんだ。でも原稿をめちゃくちゃにしてしまった事件のせいで、間が抜けているなあと反省してね。自戒を込めてペンネームから『ま』を抜いたんだ」
「『ま』を抜いた……ああ……なるほど!」
くだらない言葉遊びだが、この名前が世間に浸透した以上、判断は間違ってなかったと思いたい。
「でね、今は新作を描いているところ。覆面作家としてね。出版社とも契約ができてる。10話描けたところで世間にお披露目の予定だから、楽しみにしていて」
「ええええっ! 完全新作ですか!? そ、それは……最高すぎます!!」
「あ、でもね、ちょっと路線が違いすぎるから……元の読者さんにばれないように作風も絵柄もだいぶ変えているから……ペンネームも違うし……期待に沿えるものではないかもしれないけど」
「い、いえっ、津田カロニ先生の新作が読めるという事実だけで、もう、幸せです」
「ラブコメじゃないよ?」
「ラブコメじゃなくても読みたいんですっ!!」
自分の新作を楽しみにしてくれている読者とこうして話ができるというのは、存外嬉しいものなのだと知った。ネットの高評価を読むのも嬉しかったし、直接ファンレターを送ってきてくれた読者の存在も嬉しかった。しかし読者の生の声がこうして聞けるのも格別だった。
「あ、あの、新しいペンネームは、なんていうんですか?」
「あ、そうそう、ぼくもそれ気になってた」
「ああ、それはね……」
病室で目を覚ましたとき、FCCの隊員に事実を聞かされたとき、自分がもう漫画家として活動できなさそうだと絶望したとき……あのときの自分の姿を戒めとして、新しく自分にペンネームを与えたのだ。
「香川アンクっていうんだ」
「香川……アンク?」
腑抜けだったのだ。あのときの自分は。
「『ふ』のつくペンネームから、『ふ』を抜いてみたんだ。出版されたらぜひ読んでみてほしいな」
「……ぜったい読みますっ!!」
「ぼくも読む読むー!!」
「私が先に読んで、貸してあげるね」
「いやなんでだよ。ぼくも買うよ普通に」
今はもう、あの頃の絶望感はない。
漫画家としてリスタートすることに希望しかない。
かつてのシリーズが途中で終わりになってしまったことは残念極まりないが、ファンアートなどは今もSNSにあふれている。愛してくれている読者がいる。
この二人にも秘密であるが、実はこっそりと、中断している「微少女爆走中」と、さらにその次のシリーズの構想をプロットとして書き溜めてある。信頼できるツテを頼り、作画担当をつけて連載してもいいだろうし(津田カロニ先生の幻の作品のプロットが発掘された! とか言って)、謎のファンによる二次創作としてSNSに放流してもいいとさえ思っている。
それを想像すると、カロニは笑みがこぼれる。
いや、もう彼は津田カロニではなかった。
今は、彼の名は香川アンクである。
香川アンクは逆境に強い。
世間的に死んでしまっていても、根っからの漫画家である。
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