#16 瀧北沙尋は男である
生物学的には男性である。
性自認も男性である。
性別表現はやや女性的。
性的指向はやや女性寄り。
「沙尋くん、また強くなったんじゃない?」
訓練室から出ると、近江がいた。中の様子をモニターで見ていたらしい。
女性的な見た目をしている自分を「沙尋くん」と呼ぶ近江を、沙尋は心から信頼している。
「ありがとうございます近江さん!」
女性になりたいと願ったわけではない。
女性として見られたいわけではない。
スカートを履くわけではない。
自分のことは「ぼく」と呼ぶ。
それでも周りの人々の多くは沙尋を女性的に扱う。「ちゃん」呼びをすることも多いし、なんとなく下に見られることも多い。「実は男だ」と知ったときのあの戸惑いの表情、なんと言ったらいいのか悩む表情、これまでに何度も見てきた。
沙尋はただ、自分が着たい服を着て、好きな格好をして、好きなように喋るだけである。
――――――
今日は、墓石隊はオフである。沙尋はオフにはいつも自主練に励む。他の隊員もそうしていることが多い。訓練スペースで近江と別れたあと、共用スペースで難波隊の面々と出会った。
「お、さっぴー、久しぶりやん」
「環さん、やっほー」
「今日も自主練? 汗流したあとって感じやな」
「うん、仮想フール50体蹴り飛ばしてきたよー、へっへ。近江さんにも褒められちった」
沙尋は誰にでもパーソナルスペースを詰めるタイプだが、環も負けていないと思う。図々しくも感じる関西弁が、聞いていて心地よくなってくるのだ。
「沙尋ちゃーん、久しぶりー! 今日もその服可愛いねえ」
「……や」
「理子さん、明治さん、ちっすちっすー」
二人とも私服だ。理子は落ち着いたカーディガンとロングスカート。明治は全身黒くてライブハウスにいそうだ。どちらもよく似合っていて素敵だが、沙尋の好みとは違っている。
ちなみに環はジャージ姿だった。これも見慣れた姿だったので、違和感はない。
……と。
「……あ、初めまして……」
「あ、どもどもー、君が噂の難波隊の新入りだね? 墓石隊の瀧北沙尋でーす。よろしくねぃ」
見知らぬ少女が難波隊に増えている。実際に会うのは初めてだった。
「沙尋……ちゃん……よろしくお願いします……私、茅野みゆきです」
「よろしく、みゆきちゃん。同い年って聞いてるよ、タメ語でいいよん」
普通に学校に通っていたら高校1年生。
みゆきの制服姿を想像してみたら、とても簡単だった。
「あんなみゅっち、この子な、美少女に見えるけど男やで」
「ふぇっ!?」
あ、まただな。
沙尋は心の中だけでしかめっ面をした。
何度味わっても慣れない。この感じ。
「え、こいつこの見た目で男なの?」
「気持ち悪い」
「なんで女みたいなかっこしてんの?」
「男が好きなの?」
そう言いたげな顔。お茶を濁す愛想笑い。
そんなものを散々見てきた。
環のことは好きだが、こういうからかいの口調は少し苦手だった。現に今、新隊員の反応を見て楽しんでいる気がする。
……だが。
「あ、そっか、ごめんね。じゃあ、沙尋くん、だね?」
彼女は、ここでは近江以外使わないその呼び方で、沙尋を呼んだ。
「よろしく! 同い年の子、ここでは初めてだ。嬉しいな」
みゆきの反応は、いたってニュートラルだった。好奇の目もない。苦笑いもない。ただただ、ごく普通に、沙尋を見ていた。それがとても新鮮で、嬉しかった。
「おうおう、みゅっちが普通にお喋りできる男子がまた増えたぞ」
「橘くんは名字呼びなのに、沙尋ちゃんにはもう名前呼びなんだ……ふうん……」
「近江さんとも、最近は普通に喋れるんでしょう?」
「あ、えっとえっと……」
女子会の雰囲気だ。
それはそうか。難波隊には女性しかいない。
「あ、さっぴー、ここ座りぃや。ヒマやろ? 喋ろうや」
「沙尋ちゃん、女子会女子会、恋バナしよっ? ねっ?」
「……迷惑だったら断って」
女子会に混ざるのはさすがにどうかと思った。わざわざはっきり言うことはないが、沙尋は自分が女性と同じだと思っているわけではないし、女性になりたいと思っているわけではない。
「えっと、それもいいけどー、みゆきちゃん、ちょっと借りたいなー、なんて?」
「え?」
「まだ私服も充実してないみたいだし、お近づきのしるしに『東京』案内したげよっかなー、みたいな」
「ああ、そうだね、まだ行ったことなかったよね?」
「え? あ、東京なら行ったことありますけど……」
「ああ、違う違う、『東京本部』のことね」
東京本部に行けばなんでもそろう。なんでもできる。
見たところみゆきは自分の服がまだ全然ないようだった。今着ているのもFCCから支給されている味気ない服のうちのひとつだ。
「みゆきちゃん、着たい服ない? カットもしたくない? 東京本部、案内したげるから、行こうよ」
「おー、おー、ええやんみゅっち、行っといでや」
「じゃあ、じゃあ、お土産に『東京メガプディング』買ってきてほしいっ!」
「あ、それなら最近『からめる最中』というのが気になってて……できれば……」
「おけおけー、楽しみに待っといて。じゃあみゆきちゃん、ちょっと付きあってー」
「あ、は、はいっ」
――――――
「東京って、こんなに簡単に来れるんだね……」
「申請だけちょっとめんどくさいけどねー。気が向いたらいつでも来れるよ?」
端末から申請を出し(理由は休暇とか買い物とか)、受理されたら地下道でワープ。
大阪東京間が一瞬である。FCC隊員にのみ許される小旅行だ。一般市民が知ったら歯を食いしばって悔しがるだろう。新幹線もリニアも不要である。
「ここにはね、めちゃくちゃでかいショッピングモールがあるんだよ」
ありとあらゆる娯楽が集まった、FCC専用の超大型モールだ。髪を切りたいとき、服を買いたいとき、化粧品を探したいとき、映画を見たいとき、スイーツに舌鼓を打ちたいとき、カラオケがしたいとき、温泉に入りたいとき、どんなときでもここは受け入れてくれる。沙尋はこのモールが大好きだった。
「さ、まずはー、服買いに行こっか。支給されてる服ばっかじゃテンションあがらないでしょ」
――――――
「あー、買った買った! ぼくもちょうど欲しかったシャツが買えたし! 大満足!」
「あ……あの……本当によかったの? 全部払ってもらっちゃって……」
「いいのいいの、ぼく、まあまあ持ってるから。みゆきちゃんはまだ入ったばかりだからそんなに振り込まれてないでしょ、お給料」
「う、うん」
「今度スイーツでもおごってよ、それでチャラ! これはぼくからの入隊祝いだと思ってくれたらいいから、うぇへへ」
みゆきの気に入った服は全部買ってあげた。
靴やベルトも。可愛いソックスも。
さすがに下着屋には一緒に入らなかった。周りは気付かないし気にしないかもしれないが、それをしてしまうのは沙尋にとっては女湯に入るのと同義である。
「さ、あとはー、お土産買って、化粧品買って、それからお茶でもしよっか」
「うん! 環隊長にはなにがいいかな?」
「あの人はヘンな柄のタオルとかシャツとかでいいよ」
「えー? 本当に?」
「ほんとほんと、あの人ヘンな柄大好きだから」
――――――
「ここにいる人たち、みんなFCCの人なの?」
「うん、そうだよ。戦闘員じゃない人もたくさんいるけどね。事務方の人とかオペレーターとか、開発部の人とか一般隊員とか、みーんな来れるんだよ」
「……店員さんは?」
「お、鋭いね。店員さんも広義の『FCC所属』だよ」
「……私たちの秘密って、ちゃんと守られてるのかな? えっと、つまり、店員さんの一人がたまたま私の元の生活を知っている人だった、とか……そんな偶然があったら……」
「あー、ぼくも気にしたことあったんだけどねー、なんか上層部に聞いてもはぐらかされて。たぶんなんらかのセーフティが働いてるんだろうけど、ぼくらにまで教えてもらえないっぽいんだよねえ」
自らカテゴリー3フールを発現して戦闘員となった沙尋たちは「自分の存在が秘密そのもの」であるが、一般隊員からしたらその秘密の存在は一般市民から見たものと大差ない。基本的には一般隊員は「戦闘員の素性を知らない」ことが多い。そのあたりの線引きは、沙尋にもよくわかっていない。オペはもちろん知っているはず。各地の詰所にいるパトロールメインの一般隊員は知らないだろう。開発部の連中は? 人事部は? よくわからない。
「まあ、あんまり気にしすぎないことだね。ハゲるよ」
「うぇっ!? それは困るなぁ……」
――――――
「ねえ、どうして私を東京に誘ってくれたの? 初対面だったのに」
思いつく限りの買い物を済ませ、カフェに入って落ち着いたところでみゆきがそう尋ねた。
「んー」
沙尋は言うべきかどうか迷った。
だが、たしかに初対面での距離の詰め方としては「普通じゃなかった」かもしれない。みゆきは最初の堅さがすぐに取れたが、一歩間違えればずっと黙ってうつむいたみゆきを連れ回すことになっていたかもしれなかった。
「笑わないでくれる?」
「……もちろん」
みゆきは首をかしげて笑う。
とても魅力的だ。
この笑顔は、沙尋がゴツくてマッチョな男だったら見れなかったのだろうか、と意地悪なことを思う。
「……初対面で、ぼくを『沙尋くん』って呼んでくれたからだよ。それで信頼した。それで好きになった」
もちろん「ちゃん」呼びする人だって、嫌いじゃない。誰とだって基本的には仲良くできると思っているし、本気で苦手だと思っている人は大阪支部にほとんどいない。でも。
「ぼくは別に女の子になりたいわけでもないし、女の子だと思ってるわけでもない。ただ好きなかっこして、好きなように振る舞うだけ。でもそれで、ほとんど自動的に『女の子扱い』されるんだよね。それがちょっとうんざりなときがあって」
たぶんみゆきが打ち解けてくれたのは自分が女のような見た目をしているからだ。それは無関係ではないはずだ。
「だったら男らしい服を着ろよとか言われることもあるけど、男らしい服を着たくないというか、服くらい好きなもの着たいよね。化粧だって、男がしちゃだめな理由、ないし。じゃああんた、角刈りにしないのはなぜ? パーカーじゃなくて道着でも着れば? ふんどしちゃんと履いてる? ていうか男らしいってなに? いつの時代? ぼくは『ぼくらしい』服を着てるんだけど? なにか迷惑かけてる? っていう」
畳みかけるように言葉が連なった。
「髪伸ばしたっていいじゃん、男でも。スカートは履かないよ? ズボン履いてるよ? それでもヘンかな? 男の子に告白したことないよ? 自分のこと、『ぼく』って言うよ? 『女です』なんて嘘ついたことないよ? ぬいぐるみが好きな男の人だっているじゃん、筋肉モリモリな女の人だっているじゃん、子どものおもちゃ集めてる大人の人だっているじゃん、なにが違うの!? ってさ、思うよね」
普段から思っていることの濁流がみゆきを直撃してしまった。
さすがに言いすぎたか。初めましてで食らわせる愚痴ではなかった。
引いたかもしれない。怖がらせたかもしれない。
「ごめん、ヘンなことまくし立てて。みゆきちゃんにぶつけたいわけじゃないのに……ごめんね、うるさかったよね」
「……大変な思いしてきたんだね。でも、その服、すごく似合ってるよ、沙尋くん」
しかし、みゆきの声はあくまで優しかった。
「私はね、ほんとは男の人、苦手なの。大きい声が怖い。大きい体が怖い。恋バナも苦手。でも沙尋くんは、苦手じゃない。こんなにすぐ男の人と打ち解けるの、私の人生最速レコードだよ」
そう言ってまた笑った。
「沙尋くんが沙尋くんらしくあったから、私の心の壁が一瞬で消え去ったんだと思うなあ。だから私にとっては、それが一番よかったってことなんだけど……えっと、伝わってるかな?」
気を遣われている、とは感じなかった。
みゆきにとってはこれがニュートラルなのだろう。今まで出会ってきた様々な差別的な人とは、まったく違っていた。沙尋はこの同い年の友人を末永く大切にしようと心に誓った。
「ありがとう、とても心が軽くなったよ」
本心で言う。
「もしよかったら、またお出かけしようよ。ぼく、みゆきちゃんともっともっと仲良くなりたい」
「うんっ! 私もお給料が入ったら、スイーツおごるからね!」
「それもいいけど……今度はラーメンとか、一緒に食べたいかも。ぼく、ラーメン大好きなんだよね」
「え、意外。私もラーメン、好きだよ? おすすめのお店ある?」
「そうだねえ、ここなら……」
次の約束もして、沙尋は珍しくうきうきしていた。
初対面で仲良くなれたことも、自分の心の内をさらけ出せたことも、それを不快に思わないでいてくれたことも、全部嬉しかった。
「……あ」
と、沙尋の目の端に、顔見知りの姿が映った。
「ねえ、突然なんだけどさ、みゆきちゃんは少女漫画って読む方?」
「え? うん、それなりに……」
「津田カロニって漫画家の先生、知ってる?」
「知ってる! 読んでる! 『微少女妄想中』とかのシリーズの人だよね!? 大好き! 全部持ってる! あ、実家に、だけど……」
「そうそう、その先生なんだけど……」
沙尋は顔見知りのその男に手を振った。
相手もこちらに気づき、手を振り返してくれる。
「『ここ』にいるって言ったら、びっくりする?」
「え?」
津田カロニその人が、こちらに近づいてくる。
少し前に沙尋が仲良くなった男だ。
少女漫画家としてヒット作を飛ばしていた矢先、無期限休養となった作家。
世間ではほとんど知られていないが、カテゴリー3が発現したことでFCCに制圧され、東京本部所属FCC隊員となっている男。世間的には最新シリーズである「微少女爆走中」が途中で止まっており、今もファンが続きを待ち望んでいる。沙尋もその一人だった。
「やあ沙尋ちゃん、久しぶり。隣はお友だちかな? 大阪支部の人?」
「はろー先生、お茶しに来たなら一緒にどう? この子もね、読者だよ」
「え? え? え!? カロニ先生!? え、なんで!?」
漫画の趣味まであうなんて。
やはりこの友人を大切にしよう、と沙尋は思った。
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