#10 佐原近江は心優しい
「気は優しくて力持ち」を地で行くタイプである。細い目でいつもにこにこしているので、大柄な体でもあまり怖がられることはない。先日の北摂でのカテゴリー3事件の時も、志摩隊は現場で戦闘を行うことができなかったが、その代わり逃げ遅れた市民の避難誘導に力を尽くすことができた。近江が助けたお婆さんも、安心しきった顔をしていたのをよく覚えている。ヘルメットで顔の大部分が隠れているとはいえ、近江が醸し出す優しい人オーラは隠しきることができない。
「あ……ど、どうも……きょ、今日もよろしくお願いします……」
なのに、新しく入ったというこの新隊員には、なぜだか怖がられている。初めて顔を合わせたとき、近江にとってはあまり経験のないことだったのでひどく狼狽えてしまった。怖がられるなんて、めったにない体験だった。
「あ、うん、じゃあ、今日も始めようか」
気を取り直し、近江はこの新隊員にレクチャーを始めた。
「そうそう、安定してきたよ、その調子」
この新隊員は茅野みゆきと言うらしい。隊長の環から直々にお願いされているので、FCC隊員としての戦い方の基礎を教えることに何の抵抗もないが、どうやら彼女は男性が少し苦手らしいのだ。それなら隊の誰か(難波隊は全員が女性だ)に指導を受けた方がいいだろうに、なぜ環は近江にその役を依頼したのか。
「右に力が入ってるね。もう少し均等に。そうそう」
FCC大阪支部はどちらかと言うと男性隊員の方が多い。だから男性に慣れさせるためだろうか。それなら納得がいくが。
「あ、ちょっと疲れてきたかな? 下半身が膨張してきてるよ! 人間らしいシルエットを維持して!」
「フールの力」は訓練で抑えることができる。訓練しなければ、暴れ回るカテゴリー3と同じような見た目になってしまう。しかしFCC隊員の戦闘の様子が万一市民に見られたとき、あまりにも人間離れした体で戦ってしまっていたら、制服で隠しているとはいえ「FCC隊員も化け物なのでは!?」と訝しがられてしまう。あえて一部を異形のまま戦う隊員もいるが、基本的には人間らしい体のかたちを維持するのが基本となっている。新人隊員にはまずそれを体で覚えてもらわなければならない。
「よっし、ちょっと休憩しよっか」
決して筋は悪くない。おどおどしているのだけが玉に瑕かもしれないが、ちゃんと鍛えれば強い戦闘員になれると近江は感じていた。
「お、近江さんの、その、変身したら格好が変わるのは、どういう仕組みなんですか? 私、まだパトロールの時は直接制服を着ているんですが……」
「ああ、えっとね、この制服とか武器とか、『フール体の方に登録しておく』んだよね。フール細胞の技術が取り入れられているから、そういうことができるらしくって」
「……?」
この説明ではわかりにくいか。でもこれ以上、近江にもうまく説明できない。
「とりあえず慣れてきたら、変身した後の姿に装備品を登録しておいて、そうすれば次に変身したときにもそのまま制服を着た状態でいられるから」
「はあ……なるほど」
「今はまだ、その変身状態を長時間維持することを頑張ろうね。武器の取り扱いは、そのあとね」
「はい!」
フール兵器の取り扱いは、まだまだこれからだ。
まずはこの体で、自由自在に動けるようになること。
そうすれば、素手でも十分に戦闘に加わることができる。FCC隊員にはそれだけの力がある。
「ぼくねえ、最初『フール兵器』って聞いたときに、『ホールケーキ』と聞き間違えてねえ。ちょうどお腹が空いてたもんだから、よだれ出ちゃいそうになったんだよね」
「……はあ」
近江渾身の冗談もみゆきには通じなかったようだ。
がっくりと肩を落とす。
「お、近江さんは、フールと戦うとき、どんなことを考えていますか?」
珍しくみゆきが話題を振ってくれるので、喜んで応じる。
「なんとなくね、フールも同じ人間、って思っちゃうんだよね。だからできる限り苦しまないように、短い時間で、きっちり『処理』してあげたいんだよね」
「短い時間で……ですか……」
「君のところの環ちゃんなんかは、とどめを刺すのに向いているフール兵器を持ってるよ。君を最後倒したときも、きっとそれで」
本人が思い出すことはできないだろうけど、みゆきが「処理」されたときの難波隊の戦いの様子は大まかに近江の耳にも入っている。
「大体どの隊にも、とどめを刺すのにふさわしい、というか向いている隊員がいてね。うちの隊だと、ぼくだね。鶏介くんと翠ちゃんが近距離で翻弄してくれて、隊長が足止めをしてくれて、で、ぼくが最後、ショットガン型のフール兵器で倒す、って感じ」
考えていることの話だったのに、戦い方の話にすり替わってしまった。慌てて話題を戻す。
「FCCは元フールの集まりだからね。だから、フールに恨みがあるとか、苦しませて殺してやるとか、そんなふうに考える人はほとんどいないんじゃないかな。なるべく救いたい、そう思っているはずだよ」
「そう……ですか……」
彼女の表情からは、近江の話がどう響いたか窺い知ることはできなかった。だが、この話以降、彼女の訓練中の集中力はぐっと増したと近江は感じた。これなら武器の取り扱いの指導もそう遠くない、と近江は嬉しくなった。
仲間が強くなるのは、誰だって嬉しいのである。
……いや、例外もいるが。
――――――
「じゃあ次は、この訓練室の壁沿いを2周しようか。もちろんフール化を維持したままでね」
「は、はい! 走るんですね?」
「走れるなら」
「……」
意識して体を維持するのは初歩であり、FCC隊員として戦うのであればまったくの無意識でその体を維持できなければいけない。
近江も最初はなかなかできるようにならなかった。「走る」ことと「体を維持すること」を同時に行おうと意識してしまい、どちらも上手くいかなかったのだ。その感覚を今も覚えている。
「最初は『リフティングしながらラーメンを食べろ』って言われたみたいで、なかなかできなかったよ、ぼくも」
どちらも中途半端になってしまう。
「それが慣れてくると、『ウインカーを左に出して右折する』くらいの感覚になってきて、今では『息をしながら歩く』くらいの感覚でできるようになったよ」
「はあ……なるほど?」
この例えも伝わりにくかっただろうか。どうもそういう感覚のところを教えるのは苦手だ。環や、理子先輩の方がずっとうまいかもしれない。彼女たちには「近江は教えるのがうまい」と誤解されているようだが、優しい人オーラでごまかせていただけなのかもしれない。
「ま、とりあえずやってみよう」
「はい!」
「15分くらいだね。まあまあ、いい感じ」
「そ、そうですか?」
ふるふると震えながらみゆきが帰ってきた。
もちろん走るなんてとんでもなくて、ゆっくり足元を確かめるようにしながら、しかしフール化は一度も解くことなく2周して帰ってきた。
「最終的な目標タイムは、1分」
「い、いいい、1分!?」
「たとえばカテゴリー3が発現して、変身し終わって暴れ回るまで、だいたい1分。状況によっては1分で周辺の人たちが避難できないこともある。だから1秒でも早く、ぼくらは現場に着かないといけない。地下道のワープ設備で大阪府内ならどこでもすぐに駆けつけられるけど、それでも外に出たら自分の足で走ったり跳んだりしないといけない」
「……」
「ごめんごめん、先の話をし過ぎたね。まずは、明日、14分をめざそうね」
「は、はい……」
実は近江自身は1分ちょうどくらいである。速い隊員は近江の半分くらいである。しかしそれは内緒にしておいた。
――――――
「うん、今日はこれくらいにしておこうか」
「……はいっ……ありがとう……ございました」
みゆきが肩で息をするようになってきたので、お開きにすることにした。
「フール化、だいたい1時間は持つようになったね。訓練し始めでこれなら、十分な成長だと思うよ」
まだ少しぶれるが、長く持つようになってきた。
「カテゴリー3の発現時間はだいたい長くて2時間くらいだから、一応それを目標として伸ばしていこうね」
「は、はい!」
「まあ、ここまでで十分すぎるくらい順調だから、焦らないようにね」
「はい、あの……」
「ん?」
「みなさん、どれくらい長く変身していられるんですか?」
「そうだねえ……ぼくはだいたい4時間くらい、短い人でも2時間はクリアしてるね。一番長い人は16時間くらいだったかな」
「じゅ……!?」
「まあ、そんなのは特別だから、みゆきちゃんはまずは2時間が目標ね」
「は、はい……」
焦らせてはいけない。
ゆっくりじっくり強くなっていけばいい。その道しるべに自分がなれればいい。
「じゃあ、また明日。環ちゃんたちによろしく」
近江は笑顔で送り出した。
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