#9 日野伊鶴は豪気である

日野ひの伊鶴いづるは豪気である。


大抵のことは笑って受け流すし、冗談は好きだし、自分がピンチでも困っている後輩のために動いてやりたいと思っている。自分や自分の命にそこまでこだわりがない。少し破滅的でもあるし、誰かと(特に上の人間と)喧嘩になることもいとわないし、FCCとして戦っているときに後輩を守るためなら自分が死んでも構わないし、伊鶴自身はそういう自分が気に入っている。


とはいえ後輩の持ち込んでくるトラブルを全部「はいはい、仕方ないねえ」と簡単に受け止める度量はないのだと実感することになってしまった。




「パトロール中に一般人に正体を知られたぁ!?」


これはかばいきれない。記憶抹消の措置が取られるかもしれない。


「しかも高校の同級生で!? 隣の席で!? 新隊員のことが好きで!? それで制服着てても仕草でバレたぁ!? はぁああああ!?」


伊鶴は目の前が真っ暗になりかけた。環はよくトラブルを持ち込んでくる後輩だが、可愛いやつだ。面倒を見たくなる可愛いやつだ。もともと自分の隊の隊員だった環は、数年前伊鶴が一線を引くと同時に隊長になった。それからも、こうして交流は続いているし、彼女が真っ先に自分を頼ってくれることは嬉しく思う。しかしなんだってこんなどでかいトラブルを引き寄せるかな、こいつは。




「伊鶴さあああん、助けてやあああ、せっかく4人揃った思たのに、こんなんでケチ付けたくないいいいい」

「伊鶴さん、あたしが迂闊だったんです。彼女の力を最大限生かそうと思って、繁華街に連れ出したりなんかしちゃったから……」


環は今にも泣きだしそうだ。

理子は責任を感じてしょぼくれてしまっている。

明治は……黙っているがこの事態を重く受け止めているらしいことは表情で分かった。


「すみません……なんと言ったらいいのか……」


新しく入ったというみゆきという少女(伊鶴は初めて会う)は、借りてきた猫というか小動物のように震えている。この子自身に落ち度はない。仕方のないことだ。


「すみません……まずかったですよね……い、言いふらしたりしないのでなにとぞ寛大な処置を……」

「で、君はなんでここにいるのかな!? ここFCCの拠点だよ!? 機密情報いっぱいだよ!? 一般人は入ってきたらだめでしょうが!! 誰が連れてきた!? ていうかなんで入れた!?」


当の橘英介くん本人もなぜかここにいた。




「え、フール!? カテゴリー1!? だからここに入れた。なるほど。バカ!!」


FCC大阪支部は街中にあるが、一般人が入れるスペースは限られている。

基本的にはFCC隊員はほとんどが元フールでフール細胞を有している。だから支部の中には、フール化したり、それに準ずる装備品を携帯したりした状態でないと入れないように作られている。地下通路も同じようなシステムだ。


だからと言ってフール本人を入れてどうする。


「だって伊鶴さん、この子ほっといたらもっとあかんかったと思わん?」


まあ、それはそうかもしれないが。




「ごめんね、橘くん、なんか変なことに巻き込んじゃって」

「いや、大丈夫、おれの方こそごめん。でも死んだと思ってたからさ、元気そうで本当に嬉しい」

「……うん……ありがとう」


みゆきと「橘くん」は初々しくお喋りをしている。

彼がフールだというのなら、元に戻る前にここを出れば記憶を抹消するまでもなく、本人はここでのことを覚えていない。しかし逆に考えれば、またフールが発現すればここでのことを思い出すのである。カテゴリー1なら、再度発現することも珍しくない。月に1回とか、それ以上の頻度で入れ替わる例もある。


「てゆーか、みゅっちが普通にお喋りできる男子って貴重やない? だいたいビクビクしとるもんねえ」

「橘くん相手なら普通に喋れるんだね」

「あ、えっと、橘くんはすごく優しい雰囲気というか、穏やかな感じで……」

「人畜無害って感じやんな」

「カテゴリー1だしね」

「無害認定……ってこと?」

「ちょ、ちょっとみなさん……」

「みゅっちの無害認定いただきましたー!」

「若いっていいなあー。いいないいなー」

「理子ちゃんも十分若いやん?」

「理子先輩も十分若いですよ?」


ああ、やだやだ。年取ったわ。

伊鶴はバレないようこっそりため息を吐いた。

つい何年か前までは子どもっぽいやり取りだわと受け取っていたはずなのに、今は若い会話についていけないわと感じている。理子の反応も、「私よりずっと若いあんたがなに言ってんのよ」と思ってしまう。




「オーミさんのこともまだちょっと怖がっとるもんなあ」

「……すごいね、あんなに優しい人いないのに」

「見た目やんなあ、見た目が大きいと怖いんやろ?」

「それなら八雲さんに会ったら気絶するかもね、怖い人オーラで」

「……まだ会わせないようにしましょう」

「どう好意的に見てもインテリヤクザやんなあ」

「やめなさい」


どうするべきか。伊鶴がこの件を相談された以上、知らないふりでは済まされない。しかしFCC隊員が「元の知り合い」と出会ってしまうことはこれまでほとんど報告されてこなかった。馴染みのある地域を外されることも原因の一つだが、そもそも「制服やヘルメットで身を包んだ隊員を見分けられた知り合い」がほとんどいなかったからだ。


「厄介だなあ……」


しかしこの場の年長者として、一定の結論を出さなければならない。




「よっしあんたら、私なりの解決策を今から言うから、よく聞きなさい」


雑談に脱線していた面々が姿勢を正して伊鶴の方を向く。橘くんも同じ姿勢だ。それが伊鶴には少しおかしかった。


「まずだね、今回のケースは非常にレアではある。それは彼がフールであること。元に戻れば、今回のことの記憶はない。ないはず。だよね?」

「え……は、はい、そもそもおれは自分がフールだったって、今日知りました」

「カテゴリー1の発現時間は長くて1週間程度。だから彼を見張って、今回の件の記憶がちゃんと消えているかを確認する。ちゃんと消えているようなら、つまりみゆきちゃんがFCC隊員になっていることを知らないようであれば、消すべき記憶もない。問題もない。とりあえずここまではOK?」


みんな神妙な顔をしてふんふんと頷いている。理子だけはちょっと心配そうな顔だ。やはりそう甘い話ではないと気づいているのだろう。


「しかし、だからと言ってフールと本人の記憶が、必ず、絶対に、100%共有されないという保証もない。君自身が書いた日記を本人が読むとか、ここで撮った写真を見てしまうとか、みゆきちゃんと連絡した痕跡を見つけるとか。だからここでのこと、今日知ったこと、君とみゆきちゃんの関係について、何ひとつ証拠を残してはならない。これを破れば君の記憶を抹消する必要が出てくる。それは嫌だろう?」


主に橘くんがふんふんと頷いている。




「で、今日以降、君たちはまったく連絡を取ることもなく、お互いを忘れて、みゆきちゃんはFCCとして、橘くんは一介の高校生として、それぞれの人生を歩む。橘くん、君は今すぐここから出て、振り返らずまっすぐ家まで帰って、また新しい恋をしなさい」


場の雰囲気がピンと張り詰めた。誰も彼も引きつった顔をしている。

今さっきまで仲良く話していたこの二人を引き裂くという提案をしているのだ。橘くんに至っては、みゆきのことが好きだとすでに公言している。それを引き裂くという提案。ロミオとジュリエットのような悲劇ではないか。いや、こんな例えは今の若い子には伝わらないか。フールと人間の許されざる恋。フールとFCC隊員の許されざる恋。


「……」


「……」


お通夜のような雰囲気になって少し可哀想に思えてきたので、意地悪を言うのはこれだけにしておこう。


「と、いうのは二人にとってはとても可哀想なので、特別に、橘くんには『フールでいる期間だけこのFCC大阪支部に出入りする』ことを許可します。許可するって言っても、私の一存では決められないからここらへんは提案であって、ちゃんと上層部にこの案を通さなきゃいけないけどね。で、その代わり、橘くんにはフールとしてのことをいろいろと教えてもらったり、こちらの検査や研究に協力してもらったりする。自分をフールとして自覚している人は貴重だからね」


二人の顔がみるみる晴れていく。




「君がまた現れたとき、つまりフール細胞があるとき、ここへは今の入口から入れる。本来は隊員しか入れない入口ね。学校帰りに寄りなさい。そして研究に協力する。親御さんには短期のバイトだとでも言っておけばいい」

「は、はい!」


嬉しそうだ。死んだと思っていた恋する相手にたびたび会いに来れるというのだ。そりゃあ嬉しいだろう。

自分にはもう失われた感情のような気がして、伊鶴は胸がちくりとした。


「で、ここにいる間に元に戻っちゃうとやばいので、えっと、橘くん、君がいつも肌身離さず着けているものとか、あるかな?」

「あ、この時計なら……中学の入学祝いで親からもらって以来、寝るときとお風呂以外、いつも着けてます」

「OKOK、じゃあその時計にちょっと細工をさせてもらって、『フール細胞が確認できなくなり次第電流を流して装着者を気絶させる機構』でも埋め込ませてもらおうかね」


橘くんの顔が青くなった。




「君がこっちの世界に来たことを自覚したら、その機構のスイッチを入れて、えっとこれはなかなか複雑な操作をしないといけないように工夫するとして、あ、そのスイッチが入ったらこっちにも連絡が来るようにした方がいいな。みゆきちゃんの端末と連携させようか。で、まあ3日くらいは大丈夫としても、5日目、6日目くらいはいつ戻っても大丈夫なように気をつけておかないといけないな……あ、そうか、大阪支部を出たら機構のスイッチ切ってもいいのか。毎回道端とか横断歩道とかで気絶するのはまずいもんな。えっとあと考えておくことは……」


ぶつぶつ言いながら考えをまとめる。


「ちょっと、あんたらも意見言いなさいな。上をちゃんと納得させる案に仕上げないと、最初に私が言った解決策になっちゃうよ!」


ここからが大変だ。しかし、この子たちのためにできることはやってやろう。それが先輩としての、日野伊鶴としての、頼ってくれたことに対しての姿勢だ。上層部と喧嘩になっても構わない。


日野伊鶴は豪気である。

伊鶴はそんな自分が気に入っている。


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